新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

南青山でアートして…(前編)

2017-12-09 22:22:44 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

つい先日のニュース、毎日新聞に代表してもらいますと、

1970年大阪万博のシンボルで、大阪府吹田市の万博記念公園にある「太陽の塔」(約70m)の内部が来年3月19日から一般公開される。府が6日、概要を発表した。万博当時はエスカレーターで上りながら生命の進化の過程をたどれたが、閉幕後に非公開になり、昨年10月から塔の耐震工事と展示物の復元作業を進めていた。常時公開48年ぶり

だから、というわけではなく、ホント、きょう、たまたま近くを通りかかったもので、こちらに行ってきました。

岡本太郎記念館です。
南青山岡本太郎記念館があることは知っていましたが、入館したのが初めてなら、建物自体を観たのも初めてでした。
そもそも、南青山って、高級セレクトショップやらブランドショップやらが立ち並び、ちょいと道を逸れると、ひっそりと表札や看板のない立派かつ怪しげな建物高級マンション(語義どおりの「邸宅」)が立っているというイメージで、私には敷居の高い街で、足が向きません。
根津美術館に行ったとき(記事はこちら)以来、2度目かも…。

そんなHigh Societyな街にもかかわらず、こんな看板があったりして…

でも、ビルの裏側の非常階段おしゃれなのは、さすがは南青山 でしょうか。

さて、岡本太郎記念館では、「太陽の塔 1967-2018 -岡本太郎が問いかけたもの-」が開催中でした。

この企画展は、フライヤーに書かれた平野館長の文を転記しますと、

2018年3月、太陽の塔がついに再生します。
耐震補強工事の機に長らく放置されていた塔内が修復され、恒久的な展示施設に生まれ変わるのです。
「《太陽の樹》は太陽の塔の血流であり、内壁の襞は“脳の襞”だ」
岡本太郎はそう言いました。
太陽の塔は内臓を持つ“いきもの”なのです。
太陽の塔が内臓を取り戻し、半世紀ぶりに目を覚ます。
この機会をとらえ、「太陽の塔とはなにか」をもう一度考えようと思います。
(中略)
あのとき岡本太郎が日本社会に問いかけたものはなんだったのか。
それをいま生きるぼくたちになにをもたらし、なにを変えるのか。
生まれ変わる太陽の塔とともに、考えてみませんか?

だそうです。

私が「20世紀の日本美術を代表する作品のひとつ」だと思っている太陽の塔、なんとも好きでございます

2009年(記事はこちら)と2015年(記事はこちら)の2回万博記念公園に行き、太陽の塔の外観を愛でてきました。

大阪万博実際に観ていないことがかえすがえすも悔しいのですが、それはおいといて、太陽の塔の内部には生命の樹があって、観客はエスカレーターで昇りながら、生物の進化を観られるようになっていたことは知っていました。
そして、最上部まで昇った観客は、太陽の塔腕の内部を通って、大屋根にある出口から退場したということも…。

右に載せた「生命の樹」(復元模型)の説明には、

高さ45mの《生命の樹》には、単細胞から人類まで、生命進化のプロセスを表す292体の“いきもの”がびっしりと張りついている。何億年にもわたって受け継がれてきた生命の時間。始原のときから営々とつづく生命の生長と変貌。根源から立ちのぼり、未来へとつづく生命力のダイナミズム。岡本太郎の生命感がそのまま形になっている。

とありました。

2009年2月に国立科学博物館で観た「1970年 大阪万博の軌跡」(記事はこちら)では、生命の樹の一部が再現されていましたっけ…

でも、

《生命の樹》の生物群は、万博終了後にあるものは撤去され、あるものは朽ちていた。万博当時のダイナミックな姿を記録するものは、わずかな写真しか残されていない。そこで《生命の樹》の全貌を3次元で再現するため、2001年の岡本太郎生誕百年事業の一環として本模型を制作した。資料が十分に残っていない状況にあって、ある部分は想像力で補いながら《生命の樹》の全体像をみごとに描いている。
              

だというのは知りませんでしたし、さらに、太陽の塔の下に、こんな展示があったことも知りませんでしたし、

説明板によれば、

地下展示は万博閉幕時にすべて撤去され、埋め戻されてしまったために、いまではわずかな写真資料でしか当時のようすをうかがい知ることはできない。
日本ディスプレイの金字塔というべき地下展示の全貌を3次元で俯瞰しようと、過去にも例のない縮小モデル化を試みた。

だそうな

そして、上の写真の中央部の「地下展示《いのり》」

祭壇中央で儀式を司るのは、太郎が自ら手がけた巨大な仮面《地底の太陽》。二つの眼を大きく見開いているが、鼻も口もない。

とある「地底の太陽」に至っては行方不明なのだとか。

この「地底の太陽」は、原寸大に再現されて、来年3月に公開される太陽の塔内部展示されるのだそうで、その原型(1/10サイズ)も展示されていました。

説明板によれば、

万博閉幕後に行方不明となった《地底の太陽》を復元するために制作された1/10サイズの原型。
これを3次元計測して原寸(顔の直径 約3m、全長 約11m)に拡大し、その段階でふたたび検証と調整を行って制作に歩を進めた。《地底の太陽》は3次元資料がいっさい残されておらず、わずかな写真から立体化をせざるを得なかった。最初の原型は、原型師の木下隆志氏が制作した。
     

だそうで、その「わずかな写真」の一枚がこちらかな?

ところで、「地底の太陽」の左手前にある巨大な「みみずく土偶」は、「EXPO'70パビリオン」にも展示されていましたけど、

これは、実際に大阪万博で展示されていた現物なんだろうか?

それはともかく、太陽の塔内部に入ってみたい 見物してみたい という気持ちがどんどん高まってきます

ありゃぁ~、この1本で完結させるつもりだったのに、終わらない

きょう、何が目的南青山にでかけたのか、とか、MISIA「君のそばにいるよ」のMVで着用した衣装を拝見した話とか、

建設中の新国立競技場を眺めた話とか、

その辺りは、「後編」以降で書きます。

つづき:2017/12/10 南青山でアートして…(後編)

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2017年3度目の関西旅行記 #2-6

2017-12-09 09:40:20 | 旅行記

「2017年3度目の関西旅行記 #2-5」のつづきです。

「東郷邸」こと「旧鎮守府長官官邸」こと、「舞鶴地方総監部会議所」の内部の探訪記ですが、以下、通称「東郷邸」の名称を使わせていただきます。

この東郷邸は、呉鎮守府司令長官官舎だった入船山記念館同様、和館洋館ハイブリッド住宅でした。業務スペースの官邸私的スペースの公邸を兼ねようとすると、やはりこうした形式が最適だということなのでしょうね。
気分の切り換えにもなるでしょうし。

ところで、こちらは東郷邸内に展示されていたパネルです。

東郷邸は、映画日本のいちばん長い日(2015)」で、鈴木貫太郎首相の私邸として使われたのだそうな。

平成26年10月14日、松竹映画撮影チーム、俳優:山崎努氏、堤真一氏らが訪れ、同映画の収録支援を行いました。
作品は平成27年8月8日に公開され、鈴木貫太郎首相の私邸での着替えのシーン(和室)、トランプのシーン(書斎)、迫水氏との語らいのシーン(縁側)等がスクリーンに登場しました。

だそうです。

そうかそうか、ここで鈴木首相(山崎努)迫水書記官長(堤真一)が語らっていたんだなぁ…

ところで、どうして東郷邸鈴木邸として使われたんでしょ?

鈴木首相は、連合艦隊司令長官海軍軍令部長を歴任した海軍のエリートなんですが、経歴をみると、呉鎮守府司令長官の経験者です。
それならば、入船山記念館の方が合っていたんじゃなかろうかと思ったりして(下の写真は入船山記念館和館)

ところで、私、「日本のいちばん長い日」を観たとき、阿南陸軍大臣公邸が高低差が大きくて面白い建物だと思ったのですが、こちらのロケ地長岡京市柳谷観音楊谷寺だとか。

それはともかく、東郷邸は、「自宅」として住むにはかなり良質な物件でした。

ステキだし、

サンルーム(かな?)は明るいし、

応接室寛げそうだし(入船山記念館の洋館部派手すぎると思う)、

そして、やはり、畳敷きの和室開放感たっぷりの廊下気持ちいい (とくにマンション暮らしの私にとってこんな生活環境は憧れです)

ところで、和室二間ぶち抜きで、長いテーブルがセット(掘りごたつ形式)されていました。

東郷邸は現名称「舞鶴地方総監部会議所」ですから、ここで会議が開かれたりしているのかもしれませんな

でも、会議よりも、宴会方が似合うかも…

でもでも、仮に海上自衛隊の方々がここで宴会を開くにしても、

あちこちに東郷元帥が飾られているこの建物の中では、ハメを外すことはできなさそうでもあります
この部屋の掛け軸なんぞ、

天下雖安忘戦必危
(天下安しといえども、戦いを忘るれば必ず危うし)

ですゾ
これじゃ寛げません

ちなみに、この文は、兵法書「司馬法」の一節で、

国雖大 好戦必亡 天下雖安 忘戦必危
(国大なりといえども、戦いを好めば必ず亡ぶ。天下安しといえども、戦いを忘るれば必ず危し)

は、東郷元帥の後輩、山本五十六元帥の座右の銘でもあったのだとか。

というわけで、東郷邸の見学はここまで。

そうそう、東郷元帥といえば、この戦艦を避けて通れません。

日露戦争時の旗鑑三笠の模型です。
三笠のことは「#2-7」以降でも書くことになると思います。

こうして東郷邸の見学を終えた私は、再び降りしきるの中、次なる目的地へと向かいました。
なぜか裏口から入って、正面から出る、という妙なコースで…。

それにしても、どうして私は裏口から東郷邸の敷地に入ってしまったのだろうか

そうそう、東郷邸は、当日のダイジェストにも書いたとおり、毎月第一日曜日のみの公開である一方、今回の私のように「特別公開に巡りあえたりしますので、東郷邸を拝見したい と考えたら、まずはHP公開日チェックしておきましょう。

つづき:2017/12/12 2017年3度目の関西旅行記 #2-7

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