「2017年3度目の関西旅行記 #2-8」のつづきです。
海軍記念館は、っつうか、舞鶴の自衛隊関連施設全体で東郷平八郎色が濃かったわけでして、こんな展示までありました。
何かの帳簿なんですが、これはなんと、東郷元帥が舞鶴に住んでいた頃の所得税課税台帳
説明書きによると、
東郷中将(当時)の年収は、明治35(1902)年には4,500円だったものが、翌明治36(1903)年には、現在の価値にして5,000万円相当だという8,300円へと80%以上もジャンプアップ
しています。
これは、東郷中将が1903年10月に常備艦隊司令長官、さらに同年12月には第一艦隊兼連合艦隊司令長官へと「栄転」したことが影響しているのでしょうか?
それにしても、当時の高級軍人って高給取りだったんですなぁ…
もっとも、
明治40年、高野五十六(山本五十六)当時少尉の年収430円
だそうですから、格差がデカかったということなのでしょう。
また、年収8,300円に対して所得税が166円だったということは、実効税率はたったの2%
今からするととんでもない低税率だったんですなぁ…
ここで、明治35(1902)年度の租税収入の内訳を調べてみました。
すると、こんな結果が出ました。
酒税:38.6%、地租:28.2%、関税:8.4%、所得税:4.5%…
あれまぁ~ ですよね。
ちなみに2015年度の租税収入内訳は、国・地方合計で、
所得税・個人住民税:30.6%、消費税:22.6%、法人税:19.8%、
固定資産税:8.7%、酒税:1.4%
と、激変しています。
明治期は、土地以外の資産を持って稼いでいる人たち、最近聞かなくなったいわゆる「資本家」にとってはウハウハの時代だったんろうな…。
それはともかく、個人の課税台帳を晒すなんて、大丈夫?
東郷元帥といえば、旗鑑 三笠の艦上で日本海海戦の指揮をとる東郷大将(当時)を描いた絵を思い浮かべるのですが、この絵、2種類あるって知っていましたか? (私は知りませんでした)
よく知られているのが、横須賀の三笠艦内に展示されているこちら(B図)で、
もう1枚が、こちら(A図)
どちらも東城鉦太郎画伯による作品で、この2枚を比較するパネルが展示されていました。
これによると、先に描かれた(1906年)のは下に載せた作品(A図)で、このオリジナルは、
築地海軍記念館に展示中、関東大震災で焼失。各方面からの熱心な要望で大正15(1926)年東城画伯が再び「三笠」に赴き再製したのがB図で、Bの原画は横須賀市・記念艦「三笠」の艦内にある。現在各方面に出ているのは大半がBの再製図である。
だそうで、記録をもとに、オリジナル(A図)と再製画(B図)を比較した表が示されていまして、
これによれば、結論は、
最初に書いたAの方がBより当時の状況に近い
だそうです。
ところで、今年5月の鹿児島旅行のとき、加治屋町の鹿児島中央高校の校地で「東郷平八郎誕生地」の碑と説明パネルを拝見しましたなぁ~ (記事はこちら)
さて、舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂)は、
なんとなく学校の体育館のようでした。
でも、この建物は「#2-7」で書いたように、
昭和8(1933)年、海軍機関学校の当時の関係者が、昭和天皇の行幸のため約3カ月の突貫工事で建設したものです。
なわけで、その行幸時の写真が展示されていました。
この講堂のステージ中央に立つのは、いかにも昭和天皇(当時32歳)だ
こんな風にして海軍記念館の見物を終えた私は、再び雨の中に歩き出したのでありました。
つづき:2017/12/17 2017年3度目の関西旅行記 #2-10