新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

あの日から6年

2017-03-11 19:34:42 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは、「ヤボ用」といってもいいような仕事で休日出勤してきました。

土曜朝酷い渋滞を乗りきり、2時間以上かけて出勤したのに、その「ヤボ用」1時間もかからずに完了
たったこの時間のためだけにガソリン代高速代(きょうはあまりに酷い渋滞ゆえに首都高速回避して、ホントに正しい選択だったのか疑問に思うような酷い渋滞環八を通りました)と好天の休日の時間を使うのはあまりにもったいなかったため、お昼まで懸案の仕事を片付けてきました。

そして、駐車場に停めたクルマに戻ると、、、汚いことは十分に判っていたのですが、黄砂にまみれた愛車の汚いこと汚いこと

洗っても、また黄砂にまみれるのは必至とはいえ、これじゃあまりに酷い ってことで、自宅~勤務先6往復(走行距離は750km)して燃料残量警告灯が灯った状態で行きつけのガソリンスタンドに立ち寄り、給油&洗車してきました。

そして自宅に帰り着くと、防災無線から「春の小川が流れてきました。
昼で仕事を終わり、昼食を摂って、給油&洗車しただけで帰ってきたはずなのに、もう4時
往復4時間超だもんな…

でも、ふり返れば、私の通勤史上最長記録は、6年前の3月11日の帰宅に要した6時間でした。
7時頃丸ノ内の職場を出発して、ひたすら中山道(=R17を歩き、日が変わった12日の1時頃に自宅に帰り着いたのでした。

そのときのことは当日(2011年3月12日)の記事に書きましたが、3月12日朝の時点では、「死亡・不明 1,000人超」としか判らなかったんですねぇ。

仙台平野を突き進む津波リアルタイムの映像職場のTVで見た感じからすれば、とてもそんなものじゃすまないだろうとは思ったのですが、まさか2万人もの死者・行方不明者が出ていたとは思いもよりませんでした。

あの日から6年経って、復興した部分もあるけれど、一方で、福島から避難している人たちへの差別やいじめのニュースを見聞きすると、風化ではなく劣化した部分もあるだなと、悲しい気持ちになります。

あの日のことは一生忘れられないと思いますが、あの頃の気持ち忘れてはならないと思うのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝 MISIA様 ご退院

2017-03-10 23:16:10 | MISIA/映画

今朝、起きると、いつものようにTwitterを眺めていると、、、

え" MISIA退院した

「MISIAが急性肝炎で入院」という衝撃のニュースを知ったのは、こちらで書いたように先週の木曜日でしたから、それから約1週間退院ですか
入院のリリースでは

先日、MISIAが体調不良を訴え、医師による診断の結果、「急性肝炎」との診断を受け、入院を致しました。

とありましたから、先週木曜日以前から入院していたのでしょうけれど、それにしても予想外に早い退院です。

何かに「間に合わせるため」早く退院したのではないかと心配してしまいますが、Club MSA Members Loungeに載っている「サポーターズの皆様へMISIAよりメッセージ」には、

病院でしっかりと調べていただきましたが、
慢性化するような肝炎ではなく、一過性のもののようなので
一先ずホッとしています。

今はゆっくり療養させていただいていますので
いつもの私に戻るのは、そう遅くないと思います。
もう心配しないでくださいね。

とありますから、安心していいのですよね?
私も「一先ずホッとしています。」です。

MISIAにとって痛恨のキャンセルだったに違いない、明日夜の「The Unforgettable Day 3.11」は、MISIA想いを受け止めつつ、そして、被災地の復興と、被災者の皆様のご健勝を祈りつつ、WOWOW生放送を観たいと思います。 

このライヴ、私は、当初から、参加するのをはばかってWOWOWの生放送我慢する気でいたところ、何の因果か、あす、3月11日休日出勤することになって、かすかに残っていたわだかまりスパッ消え去った と思ったら、MISIA急性肝炎とライヴ出演のキャンセル…と、何ともいわくありげな経緯がありました。

MISIA退院の報を聞いて、前向きの気持ち生放送を観ることができそうな気がします。

   

ところで、来週金曜日には、MISIAが初めて声優にチャレンジした映画「SING/シング」封切りです

ONE WEEK!

あと1週間

試写会「シング/SING」吹替版を観た人たちの感想を眺めると、、、、

とにかくMISIAが素晴らしかった
MISIAは圧巻!
MISIA、ほんと良かった
MISIAの歌声 鳥肌やばめ 流石っす
singはMISIAの独壇場でしたな
MISIAさんの歌声にとろけた。。。
MISIAすごい
ミーナが超絶歌うま!当たり前だね、MISIAが演じてるんだもの
象のミーナの歌唱には、正に心が震えました
MISIAの歌最高
MISIAが本当すごい…。
MISIAの歌声にぞわぞわきた
MISIAの歌だけで泣けた
象のミーナが歌うシーンはじわ~とくる。ミーナの吹替はMISIAがやってるんだけど彼女の歌唱力に心震えましたね。
MISIAダントツにやばくて
MISIA歌上手すぎ!字幕では泣かなかったのに、MISIAの唄で泣いちゃった(T ^ T)
MISIAさんの声優うまかった
やばいー!最高!!
MISIA根こそぎ
MISIAやばい!ミーナが歌い出したとたん鳥肌がたちました!さすが!
MISIA別格だわ
MISIAさんの歌声素敵やった。
ゾウ役の人、こんな歌がうまい人MISIA以外にいるんだ〜と思ったらMISIAでした
MISIAが最高だった(・∀・)
MISIAの歌はトレーラー見たのに、知ってるのに、泣けた
MISIA さんの歌声に圧倒された
MISIAさんが全てをかっさらっていった

こうやって並べると、なんだか、「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストみたい…

私としては、こちらtweetお気に入りです。

ゾウに化けたMISIAのワンマンライブ状態

って…。期待が膨らんで、どうしようもありません

フェスでのMISIAもそうだけど、MISIA目当ての人じゃない人たちをも魅了するのが、MISIA真骨頂ですなぁ。

5月末鹿児島完全復活したMISIAの生歌に再会するのが楽しみです

つづきのようなもの:2018/03/18 映画「SING/シング」を観てきた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビバ初め」札幌旅行記 #2-6

2017-03-09 22:52:46 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-5」のつづきです。

北海道百年塔を眺めたあとに向かったのは、2008年12月以来THE TOUR OF MISIA DISCOTHEQUE ASIAアリーナツアー初日の遠征以来)となる北海道開拓の村でした。

所要時間にして約15分の距離ですが、キラキラと輝く積もったを見ながら歩く圧雪路が気持ち良くて、私はニコニコしながら歩きました。

そして、北海道開拓の村の入口、旧札幌停車場

私、てっきりこの駅舎は、北海道開拓の村の他の建物と同様、移築したものだと思っていたのですが、

この建造物は、明治41年(1908)に建てられた札幌停車場の正面外観を縮小再現したもので、昭和27年(1952)まで使われてきた。

ですって 知りませんでした。

それにしてもが多い
8年前は、はなかったよな… と思って、当時の写真を引っ張り出しますと、

ねぇ、全然は積もっていませんでした。
もっとも、このときは天候が思わしくなくて、途中からが降り出したんでしたっけ…

さて、北海道博物館との共通入場券を使って入場すると、巨大な雪だるま

そして、その傍らにはスロープが作られていて、ソリ遊びができるようになっていました。

私が最後にソリに乗ったのはいつのことだったろうか…

そんなことを考えつつも、まず、北海道開拓の村を散策する前に、昼食を食べよう ということで、食堂ジンギスカン定食を食しました。

そして、帰りのバス時間を検討。
「北海道開拓の村⇒路線バス⇒新札幌駅⇒○○⇒ホテルニトリ文化ホールという行程を考えると、あまり余裕はなさそうです。
14:30発のバスにするか、15:00発のバスにするか…いずれにしても、2時間ほどしか北海道開拓の村を歩き回る時間はありません。

それでは 北海道開拓の村の散策開始 

つづき:2017/03/19 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-6

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年師走の仙台旅行記 2日目 #8

2017-03-07 23:30:03 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2016年師走の仙台旅行記 2日目 #7」のつづきです。

東北大学総合学術博物館(理学部自然史標本館)の入口には、薄い石板が立てかけられていまして、そこにあったのは、

長さ30cmはあろうかという、超細長い巻き貝のような化石でした。
この細長い巻き貝のようなものは、説明板によれば、「直角石」という、およそ生き物とは思えない名前の生物だそうで、

モロッコで産出した3億7千万年前のデボン紀の石灰岩で、直角石(ちょっかくせき)ゴニアタイトの化石をたくさん含んでいます。直角石やゴニアタイトは絶滅した頭足類で、古生代中期のデボン紀の海に大繁栄していました。直角石はオウムガイの仲間で、まっすぐな殻が特徴です。ゴニアタイトは古生代型のアンモナイトのひとつです。これらの頭足類の殻は隔壁で区切られた多くの部屋をもち、軟体部は最後の部屋「住房(じゅうぼう)」に入っていました。

とな。

ゴニアタイトというのは、直角石の周りに見える小さな「渦巻状のもの」でしょうか?

この標本を見ると、こんな形で後世に伝えられてしまうことは、直角石とかゴニアタイトにとってどんな気分なんだろうか? と考えてしまいます。
少なくとも私は、化石になって数億年後知的生命体鑑賞されたくはありませぬ

   

さて、150円の入館料をお支払いして東北大学総合学術博物館(理学部自然史標本館)の中へ。 

「総合学術博物館」と銘打ってはいますが、展示されているのは、ほぼすべて自然科学系の標本や模型で、やはり「理学部自然史標本館」ということなんだと思いました。

正直、キモい古生物とか、

東北大学青葉山キャンパスのすぐ近く、竜ノ口渓谷の上流部から発掘されたという「センダイミズホクジラ」(約500万年前)の化石とか、

中国・内モンゴル自治区で発掘された約8000年前恐竜の卵の化石とか、

様々な鉱物標本とか、日本近海の海溝立体めがねで見る展示とか、それなりに面白かったのですが、文系の私としては、やはりこちらの展示の方が好みかも…

法隆寺の釘

法隆寺で使われた(7世紀頃)だそうです。
和釘は、1本1本、鍛冶屋さん叩いて(鍛えて)作り出した「工芸品」なんですよねぇ…

そんな中で、私に最も滲みた展示はこちらでした。

地層の剥ぎ取り標本で、長さは約4.5mもある大作です。

この標本をよくよく調べると、過去6000年間に仙台付近に押し寄せた津波の痕跡が読み取れるのだそうです

近いところを拡大しますと、、

2011年3月11日津波の痕跡があり、1896年明治三陸津波らしき痕跡があり、869年貞観津波らしき痕跡を見ることができます。

ここまでは私も知識として知っています。
が、ここまでの地層の深さ約75cm
地層の深さにして約4.5m、時間にして6000年間に刻まれた津波の痕跡らしいものは、貞観津波以前に9つもありました。

貞観津波以来1100年ぶりといわれた東日本大震災津波が、決して「たまたま発生した」ものではないことを目の当たりにした気がします。

歴史を学ぶこと、過去を知ることは、単なる趣味や酔狂の次元じゃないんですな。

「想定外」と口にするのは、自らの勉強不足をあからさまにすることかもしれない…

勉強になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪でビバった旅行記 #1-3

2017-03-06 20:46:53 | 旅行記

「大阪でビバった旅行記 #1-2」のつづきです。

新大阪駅駅ナカでちょいと遅めの昼食(串カツ)を摂った私は、ホテルまで歩き、早々にチェックイン

14:00にはチェックインできるプランだったもので、ひとまず旅装を解いて一息入れました。

部屋は明るくて広いし、窓ガラスがきれいで、眺めいい

よく見ると、万博記念公園(EXPOCITY)観覧車(OSAKA WHEEL)も見えるんですな。

   

しばし寛いだ後、大阪城ホールに向けて出発

THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP 大阪城ホール公演初日出撃するにはちょっと早いのですが、久しぶりMISIA星空のライヴVI ENCORE遠征以来ですから7年ぶり)に大阪城を歩いてみようかと思ったわけで、JRを乗り継いで、森ノ宮駅で降り、上町台地を実感する石段を昇り

「市民の森」から玉造口へと続く石段

玉造口から入城しました。

説明板によると、この玉造口(たまつくりぐち)

大坂城の東南の出入口にあたる。ここに建っていた玉造門の内側には、江戸時代には大手口や京橋口と同様、石垣造りの枡形が造られ、上に多門櫓が建っていた。多門櫓は慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の動乱にともなう大火によって焼失し、その後大阪城を管轄下に置いた陸軍の手により枡形が撤去された。焼け残った玉造門撤去されたため、現在では門の両脇の石組み以外は旧観をとどめていない。「玉造」の地名は古代にまでさかのぼり、古墳時代、勾玉管玉など装飾用の石を作った技術者集団「玉造部(たまつくりべ)がこの南方に住んでいたと推定されている。

だそうです。

旧日本陸軍は、城跡根拠地を置くのが好きだったようで、私がでかけたことのある城跡では、仙台城とか熊本城とか首里城陸軍が所有していた時期がありましたなぁ。

大阪城本丸跡には、いかにも昭和初期っぽい感じの建物が立っています。

この建物は、旧第四師団司令部庁舎だったのだそうで、

大阪城公園の本丸地区にある旧第四師団司令部庁舎の建物は、昭和6年建設され、戦後、大阪市警察本部などに利用された後、昭和35年から大阪市立博物館として使われていましたが、平成13年に現在の大阪歴史博物館へその機能を移転して以降、閉館となっていました。

とのこと。
そして今、こちらのサイト(上の説明文もこちらから引用)によれば、

近代建築としての価値を保存しながら観光拠点に相応しい魅力と賑わいの創出及び飲食や物販などの公園の便益施設として活用する提案を求めたことに基づき、事業者である大阪城パークマネジメント共同事業体により、このたび耐震補強工事に向けた準備工事を始めました。

だそうです。
来年度にはリニューアル・オープンするそうですから、ぜひ出かけて、内部を拝見したいものです。

   

ちょっと先を急ぎすぎましたので、二の丸に戻りまして、玉造口から本丸を目指して歩いていきますと、「蓮如上人袈裟懸けの松」なるものがありました。

簡素ながら小ぎれいな柱と屋根で守られていまして、どんな松なんだろうか? と思ったら、、、、

あれま こりゃというよりも枯山水ではありませんか

説明板によれば、

豊臣秀吉が大坂城を築く以前の戦国時代、浄土真宗の本願寺第八世蓮如上人は、現在の大阪城の地に坊舎をつくり(大阪御坊)、今は切り株だけになっているこの松に袈裟をかけ、宗派の繁栄を祈ったといわれる。切り株は徳川幕府が再築した大坂城の地表にあることから、これはあくまで伝説に過ぎないと考えられるが、西側に「南無阿弥陀仏」の石柱が建てられるなど、大坂(石山)本願寺時代の記憶をとどめる史跡として保護されている。

だそうです。

大阪の素性をたどれば、大坂城の城下町より先に、石山本願寺寺内町として発展したということは、けっこう知られた話です。
ちなみに、大阪でもっとも有名な通り、御堂筋は、Wikipediaから引用すると、

名前は北御堂(西本願寺津村別院)南御堂(東本願寺難波別院)の2つの寺院が沿道にあることに由来する。(中略)
記録上、御堂筋の名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初である。

だそうで、かつて大阪「商都」と呼ばれたもの(らしい)ですが、もっと遡れば宗教都市だったんですな

それにしても、外国人観光客多いこと
7年前に来たときも外国人観光客が多かった印象がありまして、このときは韓国人観光客の比率が高かった気がしますが(忌み嫌っているはずの秀吉由来の大阪城にどうして韓国人が集うのだろうかと不思議に思った記憶が…)、7年前と比べると外国人観光客の比率がメチャクチャ高く(観光客の半数は外国人っぽかった)、そして、そのほとんどが中国語を話していました

それもそのはず、私が大阪城公園を歩いた1月28日はまさしく春節当日でした。

もう大阪城天守閣最終入館時刻(16:30)だというのに、人ワサワサいて、聞こえてくる話し声ほとんどが中国語だというのには、ある程度予想はしていたものの、それを上回る中国人観光客インバウンド圧力でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーレイ・レコーダーを「掃除」

2017-03-05 18:43:45 | 日記・エッセイ・コラム

以前は、ブルーレイ・レコーダーに録画すると、ほどなくブルーレイ・ディスクにダビングしてHDD空きを確保したものですが、1年半前に新しいブルーレイ・レコーダーを購入してからは、内蔵HDDの容量が格段大きくなったことに加えて、外付けHDDも購入したものだから、ついついHDD録りだめしてしまうようになりました。

それでも、いくら容量が大きくなったとはいえ、際限なく貯められるわけではありませんし、コレクションの整理も難しい…

そんなわけで、きょうは珍しくジトぉ~っと自宅に籠もって、HDDに録りためた映画その他をブルーレイ・ディスクにダビングし、レーベル作成&印刷しました。

きょう一日でダビングして、HDDから消去したのは、

REBORN-ART FESTIVAL × ap bank fes 2016 (2日目)
第89回 アカデミー賞授賞式
アニーホール
復讐するは我にあり
戦場のメリークリスマス
卒業
仁義なき戦い
スターウォーズ/フォースの覚醒

8本

時間にして約20時間分にもなりますから、かなりHDD空きが増えました。

これでスッキリしました とならないのが辛いところ・・・

HDDの中には、日曜美術館ブラタモリがそれぞれ1年分と、大量の落語落語研究会日本の話芸)が未整理状態で保存されています。

これらも何とかしたいのですが、時間勢いが必要でして、なかなか手をつける気がわきません…

う~む… です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビバ初め」札幌旅行記 #2-5

2017-03-03 23:28:52 | 旅行記

このの帰省前、私は雪道を新調しました。

昨シーズンまで、見かけは暖かそうな靴を履いて帰省していたのですが、その靴がとにかく滑る
これというのも、この靴底に「滑り止め」として楕円形の出っぱりがついているものの、その凹凸が、進行方向平行についているのですよ

これでは、歩くときに滑るのも当然

そんなわけで、年末年始の帰省に続いて札幌遠征を予定していた今シーズン、靴底を最重視して雪道を新調しました。

この年末年始の帰省では雪道を歩く機会が少なくて、その効果を確認することはできませんでしたが、札幌遠征では、私の靴底を見る眼確かさに我ながら感心しました

という前振りを受けて、「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-4」のつづきです。

圧雪路でも、半ば凍った道でも、ほとんど滑りませんでした

北海道博物館の見学のあと、北海道開拓の村に向かう前に、北海道博物館の裏手にある百年記念塔に立ち寄ったのですが、

こんな圧雪路も、なんの苦労もなく、スタスタと歩くことができました

いやいや、「なんの苦労もなく」どころではなく、積もったのおかげでほどよい湿度静けさのなか、そして、澄み渡る青空の下を歩くことの、なんと気持ち良かったことか

ほんの数分散歩ながら、日頃は大型トラック騒音排ガスの臭いに囲まれることの多い私としては、生き返る気分でした。

首都圏で降る厄介者ですが、こんなにが気持ちいいなんてねぇ…

北海道博物館北海道開発の村のある辺りは広大な公園になっていまして、「歩くスキーコース」が整備されていました。

そして、何人もの「歩くスキー」を楽しむ人たちの姿を見かけました。

林の中をスキー「散歩」するのは、きっと楽しいのだろうな…
マラソンには何の魅力も感じない私ですけれど「歩くスキー」は機会があればやってみたいかも…

さて、百年記念塔

内部に入ることはできなくて、ただの塔なんですが、地面のから上空のへのグラデーションが美しい

いかにも澄み切った空気が感じられますでしょうか?
こればかりは、実際に現地に行ってみないと感じられないかもしれませんナ

こんな感覚につつみ込まれるのは、私が雪国の生まれ&育ちだからなのか、一般的な感覚なのかは判りませんが、ホント、リフレッシュすることができました。

 やはり、私は、雪景色好きだぁ~

宣言させていただきます。

つづき:2017/03/09 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-6

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MISIAに心からのお見舞いを!!!

2017-03-02 22:11:59 | MISIA

きょうの仕事を終えて、帰宅するべく会社の駐車場に停めたクルマの中で気分転換がてらTwitterを覗くと、、、

え"~MISIA体調不良東日本大震災 復興支援ライブ『The Unforgettable Day 3.11』への出演断念ですってぇ~
さらに、今月末の鹿児島・仙厳園での「Misia Candle Night」順延とな

なんともどよ~んとした気分で帰宅して、Official HPを見ると、たしかに発表が載っていました。

NEWS体調不良による イベント出演中止 及び ライヴ延期のお知らせ

いつも弊社アーティストMISIAを応援頂き、ありがとうございます。
先日、MISIA体調不良を訴え、医師による診断の結果、「急性肝炎」との診断を受け、入院を致しました。幸い加療により日々快方に向かってはおりますが、医師よりしばらくは安静が必要との診断を受けております。
従いまして、3月11日(土)に仙台PITで行われる「The Unforgettable Day 3.11」への出演は困難と判断し、出演を取りやめとさせていただくこととなりました。
払い戻しご希望の方は、下記詳細をご確認ください。
また、3月25日(土)、26日(日)に開催予定の「第33回JTB世界遺産劇場 Misia Candle Night 2017 –鹿児島 仙巌園–」に関しましても、下記の日程で、開催を延期することとなりました。
こちらも、詳細は下記よりご確認ください。
現在、一日も早い回復に向け療養しております。
公演を楽しみになさっていた皆さま、関係者の皆さまには、大変なご迷惑とご心配をおかけし、心よりお詫び申し上げます。

だそうです

MISIA自筆メッセージを読むと、MISIA心身共にキツいんだろうな と思います。

こちらのサイトによると、

急性肝炎とは、主に肝炎ウイルスの感染が原因でおきる急性の肝機能障害を呈する病気です。症状としては、黄疸、食欲不振、嘔気嘔吐、全身倦怠感、発熱などがあります。今までに肝炎ウイルスとしては、A、B、C、D、E型の5種類が確認されています。急性肝炎は一般的には経過が良好な疾患ですが、約 1-2%の患者は劇症化し、一度劇症化すると高率に死に至る可能性が高くなり、肝臓移植治療が必要となることがあります。

だそうで、この記述と、リリース「幸い加療により日々快方に向かってはおります」と重ねれば、大事には至らない可能性が高そうですし、何よりもMISIAには最強かつ最愛医師団が控えていますから、きっと回復してくれることでしょう

一日も早い回復を と願っていますが、決して、「一日も早い復帰ではありません。
まずは体調を取り戻していただくことが一番で、復帰はその後の話です。

どうかMISIAには、じっくりと静養していただきたいものです。

つづきのようなもの:2017/03/10 祝 MISIA様 ご退院

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年師走の仙台旅行記 2日目 #7

2017-03-01 21:58:37 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記 2日目 #6」のつづきです。

旅行記3本を並行して書いていると、どれをどこまで書いたのかが判らなくなってしまって困ります

さて、仙台城本丸跡の観光を終えた私は、ループル仙台に乗って、東北大青葉山キャンパスに向かいました。

お目当ては、地下鉄青葉山駅にほど近い東北大学総合学術博物館(理学部自然史標本館)でした。

この博物館は、

東北大学には、創立以来100年の歴史の中で、人文科学・社会科学・自然科学・工学などの教育研究を通じて、様々な種類の学術資料標本類が蓄積されてきました。これらは、多大な労力をかけて採集した貴重な標本であったり、情熱をそそいだ華々しい発明品であったり、まさに大学の研究の歴史を物語る証人であると同時に、現在および未来の研究にも生かされるべき、いわば「大学のお宝」です。
東北大学総合学術博物館は、これらの学術資料標本を保管管理すると共に、標本を用いた研究を学内外の研究者と共同で行い、さらには、大学のシンボル的存在として最新の研究成果を地域社会に広く伝えるための機関です。

というものなのですが、私が訪問するのは今回が初めてでした。
国立大学のこうした施設としては、もう10年以上前(MISIA星空のライヴIIIの遠征)に行った北海道大学総合博物館を皮切りに、2011年10月(THE TOUR OF MISIA SOULQUESTの遠征)に行った大阪大学が管理・運営する適塾跡(記事)とか、2012年のGWに出かけた茨城大学五浦美術文化研究所記事)とかあるのですが、どこもとても良い施設でしたので、さて、東北大はどんな博物館を運営しているのだろうか? 東北大学植物園2010(MISIA SUPPORTERS ENERGY 2010 SATOYAMA BASKET LIVEの遠征)に楽しみました(記事)けど…。

   

東北大学総合学術博物館(理学部自然史標本館)の展示のことを書く前にちょっとひと言。

仙台地図を見ると、東北大学の敷地の広さにちょっと驚きます

地図の左下博物館のある青葉山キャンパスで、そのすぐ右上が仙台城二の丸跡にある川内キャパス、その右下が仙台市博物館のある仙台城三の丸跡仙台城本丸跡で、三の丸&本丸跡川内キャンパス青葉山キャンパスに囲まれた「緑」の部分が東北大学植物園です。地図の右端にある仙台駅から広瀬川まで距離からしても、その広さがしのばれますな。
ちなみに地図の右下がこちらで書いた片平キャンパス

真ん中上が星陵キャンパス、その右上が雨宮キャンパス(学生の頃、ここにあった生協(農学部の生協=農協)でなんども夕食を摂ったものでした)です。 

と、ここで一息入れます。
もうちょいと書きたい気分なんですが、なにせ平日なもので… 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする