3月17日寒の戻りのような日に、東京国立近代美術館にて観てまいりました。「小野竹喬・1889-1979」という画家は大変穏やかな性格の方のようで、そのまま絵画に反映されているようでした。とても簡素でおだやかな絵画です。色彩は晩年になるほど温雅でありながら鮮やかさを増してゆくようでした。人間の魂というものは年齢とともに自由になって輝いてゆくのではないか?思いました。
「小野竹喬」は1903年、14歳で京都に出て竹内栖鳳に入門、西洋近代絵画の写実表現をとりいれた栖鳳の絵画に学びました。1916年、文展で特選受賞。17歳の若さで画壇デビューをしました。1918年に、土田麦僊、野長瀬晩花、村上華岳、榊原紫峰らともに京都で設立された国画創作協会のメンバーの1人として、日本画の新しい表現を模索しました。また「ポール・セザンヌ・1839~1906」「富岡鉄斎・1837~1924」の南画などの影響を受けています。そしてほとんど死ぬまで絵筆をとっていらしたようです。展示された絵画には制作した時の年齢が記されていました。
本画119点、スケッチ52点の作品がありましたが、わたくしが最も好きだったのは、1921年に黒田重太郎、土田麦僊、野長瀬晩花とともに渡欧した時に描かれたスケッチ15点と、晩年の「奥の細道句抄絵」10点(これがすべてです。)でした。この10点に付属する竹喬直筆の短冊も紹介されていました。
田一枚植ゑて立ち去る柳かな
暑き日を海にいれたり最上川
詳細は「ここ」をご覧ください。
《追記》
「奥の細道句抄絵」はここで全点見られます。
久々訪れたこのページに、ウンこれだよねと、思わずコメントを書きました。
それにしても写真の腕もあがったねー
相変わらず「染め」に頑張ってるようだね。その上「介護」まで・・・。心配だから電話しようかなと思ってたところ。
リンク先のURLが間違っていないか?
クリックしても行けないのだよ。
ブログやってるのなら、リンクしようよ。
もう一度教えて。