唄が火に包まれる
楽器の浅い水が揺れる
頬と帽子をかすめて飛ぶ
ナイフのような希望を捨てて
私は何処へ歩こうか
記憶の石英を剥すために
握った果実は投げすてなければ
たった一人を呼び返すためには
声の刺青を消さなければ
私はあきらめる
光の中の出会いを
私はあきらめる
かがみこむほどの愛を
私はあきらめる
そして五月を。
5月になると思いだす詩である。
しかしながら、この詩のなかに隠されているものをわたくしはおそらく正確には把握できていないだろうと思う。
「五月」はおそらく1968年(昭和43年)のフランスの五月革命ではないかと思える。
最後の6行は、そのままそれぞれの心の歴史にも投影されてくる。ひとはこのような季節を繰り返しながら生きてきたのではないのだろうか?
エリオットは「四月はいちばん無情な月」と書いていたけれど、ある季節に「言葉」を与えるということは、次の季節へのいざないではないだろうか?
何度読みかえしても美しい詩である。清水哲男さん30代の詩である。
(MY SONG BOOK 水の上衣 昭和45年・限定250部・非売品・・・編集:正津勉)