[※ 野党共闘 市民連合と政策合意 (週刊金曜日、2021年9月17日1345号)↑]
(2021年09月20日[月])
東京新聞のコラム【ぎろんの森/言わねばならないこと】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/131655?rct=discussion)。
《社説「桐生悠々を偲(しの)んで」…。安倍、菅両政権の九年近くの間、独善的な政治運営が続き、政治は私たちの望む、あるべき方向とは全く違う道を進んでしまいました。でも、それを止める力が新聞にはまだある、義務を履行せずしてどうするのか、と読者の皆さんに教えられた思いです。きのう始まった自民党総裁選後には衆院選があります。どんな政権ができようとも、私たちは「言わねばならないこと」を堂々と言う新聞でありたいと考えます。(と)》
『●『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著)読了
…《あなたの政治的ポジションを見つけて…》』
《だいたいみんな、このごろ、まちがえてんのよね。
「偏らないことがいいことだ」「メディアは中立公正、
不偏不党であるべきだ」「両論を併記しないのは
不公平だ」。そういう寝言をいっているから、
政治音痴になるのよ、みんな。》
《あのね、政治を考えるのに「中立」はないの。メディアの役目は
「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。
それ、常識。》
《党派性をもたずに政治参加は無理である。》
『●『国民のしつけ方』(斎藤貴男著)読了…
《それは調査報道…「番犬(ウォッチ・ドッグ)」としての役割》』
《ジャーナリズムの最大の存在意義は「権力のチェック機能」である。
…専門的には「番犬(ウォッチ・ドッグ)ジャーナリズム」理論という》
《「番犬ジャーナリズム」は、純粋培養の環境下にあるよりも、
一人ひとりのジャーナリストがもがき、苦悩しながら遂行していってこそ
成長し、民主主義社会に貢献できるのではないか》
「自民党総裁選を嗤 (わら) う」新聞求む…アベ様およびカースーオジサンによる9年近くの《メディアコントロール》の頚木の打破を。
『●政権交代の意義が完全に消えた日』
《▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよく
ほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、
言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを
嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた
「関東防空大演習を嗤ふ」は日本の新聞史上、特筆すべき名論説
として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。
数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた
▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、
関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、
かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。
この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、
十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ》
『●自公支持者を「嗤う」、あれで「採決」「可決」!?:
自公支持者も「听う」ことが出来なくなる日は近い』
「先の『読売』や『産経』、『アベ様の犬HK』などの
「アベ様の広報機関」とは違う、『東京新聞』の新聞人の矜持を
示す社説をご覧ください。2番目の記事の、つまり、
《桐生悠々の言葉。…「言いたい事」と「言わねばならない事」は
区別すべきだとし「言いたい事を言うのは権利の行使」だが、
「言わねばならない事を言うのは義務の履行」で「多くの場合、
犠牲を伴う」と書き残している》
……の部分を受け、社説の末尾には、《憲法を再び国民の手に
取り戻すまで、「言わねばならないこと」を言い続ける責任を
自らに課したい。それは私たちの新聞にとって
「権利の行使」ではなく「義務の履行」だからである》と
〆ています」
『●阿部岳記者「桐生悠々は訓練よりも
「実戦が、将来決してあってはならない」ことを訴えた…先見の明は…」』
「《桐生悠々は訓練よりも「実戦が、将来決してあってはならない」ことを
訴えた。…先見の明は、その後の空襲被害が証明している》訳です。
壊憲が進み、戦争できる国、戦争したい国へとひた走るニッポン。
ジャーナリズムの劣化もそれに拍車をかける」
『●Jアラート狂想曲: 「かつて関東上空での防空演習を
嗤った桐生悠々なら何と評するでしょうか」』
《北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練も
行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った
桐生悠々なら何と評するでしょうか》
『●阿部岳さん、《基地問題への見解の違いも…
デマで攻撃された因縁も関係ない。今回は…産経の側に立つ》』
「東京新聞の社説【週のはじめに考える 権力と向き合う覚悟】…
によると、《◆全米の新聞、一斉に社説…◆言論の自由への危機感
…◆桐生悠々の奮闘を偲ぶ…あす九月十日は、四一年に亡くなった
悠々を偲(しの)ぶ命日です。百年という時を隔て、また日米という
太平洋を挟んだ国で同じように、新聞が連帯して時の政権に毅然(きぜん)
と向き合ったことは、民主主義社会の中で新聞が果たすべき使命を
あらためて教えてくれます。私たちは今、政権に批判的な新聞との
対決姿勢を強める安倍晋三政権と向き合います。悠々ら先輩記者や
米国の新聞社で働く仲間たちの奮闘は、私たちを奮い立たせ、
権力と向き合う覚悟を問い掛けているのです》。
《権力と向き合う覚悟》…無しなニッポンのマスコミではなかろうか…」
『●東京新聞《桐生悠々…にとって一連の言論は、
犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だった》』
「《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが
「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、
「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》と。《桐生悠々…に
とって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う
義務の履行だった》。この度、アノ高市早苗氏が総務相に復活。
アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟メディアコントロールの下、
《権力と向き合う覚悟》がマスメディアにはあるのだろうか?
《義務の履行》を果たしているか?」
『●まだまだ続くのか、ウルトラ差別主義者の失言・暴言
…福岡8区の皆さん、いい加減に落選させてください』
『●《この人にそういう羞恥心はない。…山口4区の有権者に聞きたい。
「投票用紙にまた安倍晋三と書くのですか」と。》(前川喜平さん)』
『●癒(ゆ)党・《菅義偉の別動隊がいよいよ動き出した》―――
《部分連合》などと言わずに、スッキリと自公お維で一体化してほしいもの』
『●《立憲民主、共産、社民、れいわ新選組…安全保障関連法廃止を求める
グループ「市民連合」と国会内で会合を開き…共通政策に合意》』
『●醜悪…《安倍晋三や…麻生太郎が偉そうに派閥の領袖として力を
行使し、それに対して首相になりたい…や…が上目遣いでご機嫌を…》』
『●アベ様が《新政権も警察権力も私物化する暗黒時代が始まる》、《官邸の
忠犬…政権の爪牙…山口敬之氏の逮捕を潰した最重要キーマン》が…』
『●山添拓議員の《送検》、八代英輝弁護士の《野党共闘に対する意図的な
攻撃》とそれに群がるお維議員たち、中村格氏の警察庁長官へ昇格…』
『●《国会を開かなければ、それもできない。これを政治空白と言わず
して、何と言う。…国権の最高機関である国会の軽視も甚だしい》…』
『●「自民党総裁選を嗤(わら)う」新聞求む…《明治から大正、戦前期の
昭和まで、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を筆鋒鋭く批判し続けました》』
『●武田砂鉄さん《忘却に加担するのか、しっかり掘り返して問うのか、
メディアが問われている。またいつもの感じでやっているの…》』
(東京新聞)《新聞などメディアは社会に寄り添い、世論を代表しているか。政府の言い分を垂れ流し、報道を規制されても公益のためと思考停止に陥っていないか》。アベ様およびカースーオジサンによる9年近くの《メディアコントロール》の頚木の打破を。桐生《悠々は個人誌「他山の石」の発行で糊口(ここう)をしのぎます》…箕部幹事長の言う「他山の石」ならぬ、「自」山での「石」だらけ。例えば、腐敗した政権や数多のアベ様案件の責任をとらせてほしい。また、《平和憲法の下、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」は、安倍晋三前政権によって容認に転じました。防衛費の増額も続きます。新聞などのメディアが声を上げ続けなければ、平和主義は一瞬にして骨抜きにされるのは歴史の教訓です》。
野党の動きをもっと報じて! 何度でも言いますが、自民党総裁は誰でも同じ ――― 野党による政権交代を! 数多のアベ様案件の解明、公文書の開示だけでも、十分に政権交代の意義はある。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/131655?rct=discussion】
ぎろんの森
言わねばならないこと
2021年9月18日 07時05分
九日に掲載した社説「桐生悠々を偲(しの)んで」に読者から多くの反響をいただきました。ほぼすべてが、東京新聞への励ましでした。まずは心よりお礼申し上げます。
社説で紹介したように、桐生悠々=写真=は太平洋戦争が始まる直前の一九四一(昭和十六)年九月十日、六十八歳で亡くなりました。
その命日にちなんで毎年、悠々に関する社説の掲載を始めたのは今から九年前の二〇一二年。見出しは「言わねばならないこと」でした。
当時は野田佳彦首相率いる民主党政権でしたが、公約違反の消費税増税を決めたり、原発維持の選択肢を残したりと、私たちの命や暮らし、民主主義をないがしろにするような政策を続けていました。
悠々にちなんだ社説の掲載に至ったのも、どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならないという決意を、読者の皆さんに伝えたかったからです。
悠々は「言いたいこと」と「言わねばならないこと」は区別すべきだとして、「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが、「言わねばならないことを言うのは義務の履行」であり、「義務の履行は多くの場合、犠牲を伴う」と書き残しています。
日々の社説は「言いたいこと」ではなく「言わねばならないこと」でなくてはならないという、私たち自身への戒めでもあります。
悠々の社説には毎年、読者の皆さんから励ましのお便りをいただくのですが、今年は私たちの新聞への期待感がより大きくなっているように感じました。それは危機感の裏返しなのかもしれません。
安倍、菅両政権の九年近くの間、独善的な政治運営が続き、政治は私たちの望む、あるべき方向とは全く違う道を進んでしまいました。でも、それを止める力が新聞にはまだある、義務を履行せずしてどうするのか、と読者の皆さんに教えられた思いです。
きのう始まった自民党総裁選後には衆院選があります。どんな政権ができようとも、私たちは「言わねばならないこと」を堂々と言う新聞でありたいと考えます。 (と)
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