『セイちゃん1』、10月に読了。大田垣晴子画文。メディアファクトリー。2005年8月刊。
「のほ~ん」なセイ子さんの自伝的画文集のその1。パパ、ママ、長女おんちゃん、三女りょうこちゃん。付録的に「それからのセイちゃん」として、「実家を出る」と「おんちゃんの結婚」。
K (ないしはT) 文庫にて。
『佐高信の新・筆頭両断』、10月に読了。佐高信著。講談社文庫。2006年3月刊。解説は魚住昭さん「解説 ― 佐高信と反ファシズム」。
「・・・何かを学ぶのは知識をふやすためではなく、ミソとクソの区別をつけるためである。・・・長谷川慶太郎、堺屋太一、そして竹中平蔵の〝時流の経済論者〟の系譜があり、それに対立する〝反時流の経済論者〟として城山三郎、内橋克人・・・の系譜がある・・・時流にはもちろん、バブルというルビ・・・」(pp.35-36)。城山さんは、「・・・言論の自由のない当時の時代や社会、そして国が強制したのだと強調・・・「九条をね。とんでもないことだね。だって、日本が負けて得たものはあれしかない、『戦争をしない』ということしかないんだから」」(p.100)、「言論統制が一度始まれば、とめどなく拡大・・・『美化』という形での情報汚染」(pp.249-250)。
【佐高信×魚住昭著、『だまされることの責任』】
「伊丹の「だまされることの責任」にからめて言えば、公明党に票を入れる人は「だまされたと思わない人たち」、つまり「信ずる人たち」」(p.72) (※5)。(魚住さん)「小泉さんというのはものすごく空疎な人・・・頭の中は空っぽ、中身は何もない・・・。野中さんとか・・・たたき上げの議員たち、・・・彼らは彼らなりの実質というものがあった」(p.79)。(佐高さん)「「自己責任」とイラクで人質になった人たちに向かって言った政治家って、きれいに二世・三世・・・小泉をはじめ・・・福田康夫・・・中川昭一・・・麻生太郎・・・安倍晋三・・・つまり、本当は「自己」というものがない人たち。・・・田中秀征・・・かなり鋭い二世論を書いている・・・「この人たちは存在は許されても、行動は許されていない」・・・保守の中のリベラル、数少ない自民党の民権派の系譜、松村謙三、石橋湛山、宇都宮徳馬、鯨岡兵輔、これがきれいに世襲させてないんですよ。この四人はいずれも文章家です。いわば〝ペンだこをもった政治家〟」(pp.80-81)。(魚住さん)「・・・日中国交回復、老人医療の無料化、公害規制の強化など・・・より平等な社会を作ろうという意識が見られます。たしかに、田中政治は金権を生んだけれども、一方で、きわめて大事な平等志向を持っていた・・・この平等志向がきれいさっぱりなくなっちゃったのが今の小泉政権。惨憺たる世の中になっている」(p.85)。