『続トヨタの正体』、11月に読了。週刊金曜日編、石田靖彦・平井康嗣・山崎龍・横田一著。金曜日。2007年12月刊。ラジオでプリウスの宣伝を聞きながら虚しさを感じる・・・。
世界一の自動車メーカーの理由、「徹底した合理化、労働者いじめ、営業力と政治力、そして莫大な広告料をエサにしたメディアつぶし・・・」。「・・・書評に取り上げることはないでしょう」(まえがき部)。
横田さんによる「トヨタの『不都合な真実』」(pp.47-57)。「日本の将来をトヨタシステムに委ねるのか」(pp.85-94) では、ジャストインタイム・トヨタ生産方式の郵政の場や地方自治体、企業での導入批判。非人間性、長時間過密労働、思想改造・人間改造・・・。「イラクODAに食い込むトヨタと天下り財団」(pp.102-110) では、その〝政商〟ぶりを。「・・・イラクODAについて麻生太郎外務大臣・・・救急車七〇〇台 (約三十五億円。すべてトヨタ車) を供与・・・車関係の援助がやたらに多い」、「傲慢で自分勝手な米国と従順で狡猾な日本とトヨタ――歪んだ日米関係や政官業の癒着・・・」。
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鉄道へのモーダルシフトが進むなか、「現行の排ガス規制さえクリアしていない」、「デッチ上げて・・・導入」(p.60)。
「「ハイブリッド」であれば、何でも環境に優しいという誤解・・・小池百合子・・・は環境大臣時代に「ハイブリッド戦闘機」と発言して顰蹙・・・単純でお粗末な発想が根底に・・・」(p.63)。「燃費が一〇キロ以下のハイブリッド車を『地球環境へ配慮』『環境対応』などと言えるはずがない」(p.65)。「水素燃料電池車にも多くの疑問点」(p.76)。「大量生産・大量消費の枠組みから一歩も出ず、高性能・高機能を追求し、資源を余計に使って製品やそれに必要な社会施設をより複雑にすることが、そもそも持続可能な社会の方向とは正反対なのではないか」(p.77)。
最後の「奥村宏×佐高信」対談のタイトルは今日を予見的にとらえている、「GMは墜ちた トヨタが墜ちない理由がない」(p.111)。そして、鎌田慧さんの『自動車絶望工場』(p.131)の時代と何か違っているのか?
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弟子 (??) にあたる松下竜一さん (p.61)。「松下竜一さんが父から飲まされて死にそうになったのは、まぎれもないこのテキーラである。その顛末はご本人がその著書『小さな手の哀しみ』に書いておられる・・・危うく松下さんの命を奪いそうになったあの酒は・・・」(p.95)。
「・・・母は・・・言うのだ。正義の戦争なんていうものはない。なにがあっても戦争だけはしてはいけない、と」(p.84)。
「・・・下水道未整備だ。・・・もちろん「おつり機能」も・・・鞍手は寒い・・・母には、ホスピスの個室に設置された「温水洗浄機付き便座」が信じられない宝物のように見えて・・・」(pp.85-88)。
「両親は・・・他人への敬意と礼儀、すべての人への心配りを身につけさせようとしたのだろう。・・・自分が誰かより上だなどと勘違いすることはまかりならぬ、と。・・・組織内での階級を、自分の人間的価値と混同しているような人物を嫌っていた」(p.90)。
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「母は自分が手に職を持たないことを嘆いていたが、寸鉄をもって上野英信を操縦するという特殊技能を持っていた・・・」(p.109)。「・・・父は自分の思想や生き様をすべてその作品で表現し、母もまた一冊のエッセイ集にその生涯を凝縮した。・・・五行にわたって記した父は、その最後にわざわざ「上野英信」とフルネームで署名をしている。この署名をもって母と私はこのメモを公にして良いものと解釈した」(p.127)。「「故人がいかなる碑も辞退する・・・」というのが決まり文句・・・「記念の石を建てるな」である」(p.134)。
『カンラク (池)』は『陥落池』(p.153)。
ついに看板を下ろす日。看板を裏返したところ、埃の下から文字が。
「一九六四年八月孟夏朔日
西川の歳月百年の今日を憶い
十年の後に想いを託す
畏友上野英信、晴子さんの健康と
文庫の健在を祈念 正田誠一」
と無言の励まし。
鎌田慧さんが「・・・その片隅に佇んでいた私のことを「戦災孤児のようだったのでは」と書いてくださっていた」(p.209)。
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『キジバトの記』、11月に読了。上野晴子著。裏山書房。1998年1月刊。奥付より著者履歴: 「1926年、福岡県久留米市生まれ.畑 威・トモの六人の子の長女.高等女学校時代の一時期を東京で過ごすが、成人までの殆どは福岡で暮らす.1956年、上野英信と結婚,同年,息子朱を出産.1964年,鞍手に移り,夫と共に筑豊文庫を開設.1997年8月死去.享年70歳」。英信氏に作歌や著作を禁じられた著者が、氏の死後に、周りに勧められて著わした文章をまとめた、唯一の著書。
「気難しい男」(p.7) は、「追われゆく坑夫たち」(※1) を福岡市の茶園谷 (現在の六本松) にて執筆。
本のタイトルの由来。「夫が生きていた間、人の出入りの絶えなかった門前で、キジバトの存在に気づいた人はほとんどなかった。まして、この家の女房がキジバトの平安にあこがれていたことなど誰も知らない。・・・次の世にはキジバトに生まれ変わりたいと子供のように考えている」(pp.8-9)。
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晴子さんの英信氏への尊敬と複雑な心情・・・。「・・・筑豊の闇に根を下ろした・・・不思議な運命・・・滅びゆく炭鉱の記録者たらしむべく、筑豊の地底へと導いた大いなる力・・・。記録文学に携わるについて唱えた「金を惜しむな、時間を惜しむな、命を惜しむな」の三原則・・・この戒めの見事な実践者・・・私はひそかに「偉大なエゴイスト」と呼んでいた」(pp.15-16)。「・・・英信は・・・鈍感過ぎる・・・。おそるべき勁さと非情さ・・・」(p.21)。「・・・腹の中で「このゴクラクトンボめ!」と夫を罵っていた」(p.34)。「進歩的な思想の持ち主でありながら・・・女性に対する部分だけがまるで凍結したように古典的でありつづけた・・・」(p.38)。「彼は私を自分の好む鋳型に嵌めこもうとして、私が内面に保ってきたものすべてを否定・・・短歌を禁じた・・・。・・・教育でなく調教である。私は殆ど窒息せんばかりだった・・・」(p.39)。「・・・文字通り命とひきかえに、愛する筑豊の写真集をまとめあげて静かに退場していった」(p.42)。氏の死後も、「一種の裏切り行為である。彼は私が書くことをけっしてよろこびはしないのだから」(p.145)。
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【上野晴子著、『キジバトの記』】
土門拳さん (p.29)。千田梅二さんと 「せんぷりせんじが笑った!」(p.51、150)。
息子の朱さんのサイセンツウ (臍疝痛、p.104)! 「ヘソセンツウ」やっ!!
「遺言として活字になった短いメッセージ」 (※2) (p.135)。
「英信は病床から急に、川原さんを呼ぶようにと私に命じた。・・・資金を、そっくり彼にあげたいのだという。麻痺しはじめた舌でゆっくりと・・・「オトコガ、シゴトヲ、シタイトキニ、カネガ、ナイホド、ツライ、コトハナイ」・・・二人の友のこれが最後の対面・・・念願の「土呂久羅漢」は完成し、・・・英信との約束を見事に果たした河原さんのただ一つの違反はあのお金を手もつけずに返されたことである。英信と最後の対面をして宮崎に戻るや否や彼は私名義の貯金通帳を作って全額入れてしまった」(p.138)。
川原一之「砦の闇のさらなる闇」(pp.177-185)。上野朱「驢馬の蹄」(pp.187-193)。
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『夢を操る ~マレー・セノイ族に会いに行く~』、11月に読了。大泉実成著。講談社文庫。1996年11月刊。『説得 ~エホバの証人と輸血拒否事件~』で講談社ノンフィクション賞を受賞。ご両親はJCO臨界被曝事故で被爆。
著者自身、悪夢が多かったそう。子供の頃は、繰り返しハルマゲドンの夢を。著者の「業」か、彼女 (パートナー) も悪夢が増えたらしい (p.31)。悪夢が嫌なもう一つの理由は「〝夜半の目覚め〟・・・理不尽なほど激しい不安感・・・ただ、とにかく不安・・・じわじわと不安が僕をこごえさせる。・・・夢と夜とは、僕にとって、そうした何か絶望的な暴力だった」(p.34)。
セノイの夢理論のパンフレットを読んだ影響か、すぐに、夢を制御あるいは管理できるのではないかという気分に転換し始める。「能動的で積極的な夢」(p.41) に。むしろ、夢の中で「攻撃的、破壊的、という行動」。夢の中で「「敵と戦いこれに打ち勝つ」というセノイのセオリーに出会ったことが、僕自身が抑圧してきた攻撃・破壊的衝動を解放したのだろうか」(p.41)。「悪夢が圧倒的に減って・・・消極的な夢や、やられっぱなしの悪夢が圧倒的に減った・・・」(p.43)。
【大泉実成著、『夢を操る ~マレー・セノイ族に会いに行く~』】
今のように (一時期のように?) なる前、ツルシさん (コウさんとともに『Crazy Yang』を編集) の前の渡辺編集長時代の『週刊SPA!』にセノイ訪問のルポ企画を持ち込み、あっさり決定。
秘境の定義 = 〝吉田線〟(「コカコーラ・ライン」)。「コカコーラ・ライン」を越えたところこそ、秘境であり辺境。「コカコーラを飲める、というのは、幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか・・・」(p.66)。出発前にも様々あったものの、とにかく、この〝吉田線〟提案者の秘境キャメラマン吉田さんらとともにマレーシアへ。著者自身も「・・・出版社の三K、ガテンな現場労働者といわれるノンフィクション・ライターなのだ。もう矢でも矢ガモでも持って来い、という心境で・・・」(p.89)。
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否定的マレー学者など、出発前の不安・・・・・・でも、やはり、「セノイには豊かな夢の文化があるのがわかった」(p.141)。「夢のコントロール」(p.250) は? 「単なるアニミズム」かもしれない?? いや、心霊治療 (p.216、233) といった、アニミズム以下の手品の世界か? でも結局は、「セノイがやっているのはたしかに『ただのアニミズム』である。しかし『ただのアニミズム』のなかにこそ『夢コントロール』が存在するのだ」(p.256) という結論に。
「おわりに」(p.294)。再訪ルポも含めて、「二つの旅は、内なるアニミズムを再発見する旅だったように思える。僕は宗教をテーマにノンフィクションを書き始めた。ところが、あらゆる既成宗教が恐ろしくいかがわしく感じられていたところ、ふとしたことでセノイを知り、内なる〝異界〟である夢に強く惹かれた。・・・ありとあらゆる〝進化した〟宗教が強い腐臭を立てる中で・・・」。
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文庫版のためのあとがきにて、ステファン=ランバージュなる博士の論文を紹介。「明晰夢 (Lucid Dreaming)」という現象を科学的 (??) に証明、実証。「彼は自分が夢の中で夢だと気づいたら、必ず左から右へと大きく目玉を動かす、という合図を決め、レム睡眠中に本当にその合図を送ってみせた」(p.302)。ニセ科学を批判するブログ主としては・・・。
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【安田好弘著、『死刑弁護人 ~生きるという権利~』】
光市事件での最高裁の弁論延期申請無視について (pp.32-35)。最高裁は、安田さんたちから事情聴取さえすることなく、却下。過去の慣例を無視し、この事件に限って、延期を拒絶。最高裁は、「・・・新弁護人が欠席することがわかっていて、弁論を強行した。わざわざ検察官に・・・非難の意見を述べさせ、・・・非難した。・・・自分たちの責任を棚に上げて、もっぱら非難の矛先を私たちに向けるための演出であった。・・・皮肉にもこれを差配した裁判長は弁護士出身で自由人権協会のメンバーでもあった」(pp.34-35)。
刑事弁護の基本を理解していない府知事 (※2) に、「懲戒請求が扇動され、総計六〇〇〇件もの懲戒請求が行われた」(p.43)。氏の主張に対し、広島地裁は「職責を正解せず失当」と判断 (10月2日)。
【安田好弘著、『死刑弁護人 ~生きるという権利~』】
「・・・とんでもない事実が判明した。録音した警部の話はまったくの嘘であることが判明・・・都合の良い部分だけを編集・・・数回にわたってダビング・・・鑑定とは、何だったのだろうか」(pp.230-231)。「私たちは司法の現実を知らなかった。一二〇パーセント無実を証明できたところで、無罪にはならない。三〇〇パーセント無実を証明しないと無罪にならないそれが日本の裁判の現実である」(p.243) (※3・※4)。「典型的な「転び公妨」」(p.289)。裁判所と検察のなれあい、「和やかに意見を交換」 (pp.292-293)。「この発言には愕然とした。明らかに刑事裁判のルールを逸脱している。・・・この裁判長に強い不信感を持った。・・・裁判は予断の排除から始まる。・・・先に執着点を決め、しかも期限を切るとは何事か。・・・職務裁判官の最低限のルールである」(p.341)。「・・・検察官は・・・拒否した。裁判所もこれに同調・・・中立性を欠いた・・・もともと事実究明に対する興味を持ち合わせていなかった」(p.365)。「暗黒裁判」(p.379)。