(2024年03月28日[木])
《広島、長崎、そしてビキニ-。》…そして、フクシマ。《…核使用の懸念が消えない。日本は被爆国なのに煮え切らず、原子力の平和利用の名目で原発稼働に前のめりになる。うんざりする》(こちら特報部)。
中島京子さん《杉並区は「原水爆禁止署名運動発祥の地」だし…さまざまな活動をしている区民が多いんです》。
『●岸本聡子杉並区長「日本の政治を変えていくには、やっぱり地方、地域
から変えていくことが大切で、そこにこそ大きな可能性があると感じた」』
「中島:私が素晴らしいな、と思ったのは、杉並で長く運動をして
きた、いろいろな人たちがウワーッと集まって、みんなで
選挙を作っていくのを目の当たりにできたことです。杉並区
は「原水爆禁止署名運動発祥の地」だし、お母さんたちが
学校給食の自校調理方式を守ったり、さまざまな活動をして
いる区民が多いんです。
岸本:私がレジェンドと呼んでいる方々です。」
『●《杉並から世界に拡散した「原水爆禁止」運動...「市民の戦い」…70年前、
先人は声を上げ、局面を動かした…やすやすと諦めている場合ではない》』
再々度引用。東京新聞の記事【こちら特報部/杉並から世界に拡散した「原水爆禁止」運動 声を上げた一軒の魚屋、公民館を拠点にした「市民の戦い」】、《◆デスクメモ 不安定な世界情勢。核使用の懸念が消えない。日本は被爆国なのに煮え切らず、原子力の平和利用の名目で原発稼働に前のめりになる。うんざりする。でも、と思う。70年前、先人は声を上げ、局面を動かした。それも東京からだ。見習うべき姿勢。やすやすと諦めている場合ではない。(榊)》。
『●(こちら特報部)《核使用の懸念が消えない。日本は被爆国なのに煮え切ら
ず、原子力の平和利用の名目で原発稼働に前のめりになる。うんざりする》』
《核兵器をタブーの領域に押し込めた。双子の兄弟の一人を「いないこと」にしてしまった。原発と核兵器の「血のつながり」を論ずることはタブーになった》。
『●烏賀陽弘道さん『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了』
『●NUMO「文献調査」の巨額な《原発マネー》に蝟集しても、空虚な《地域
振興》に終わるだけで、何の解決策にもならずに地域が分断されるだけ』
《日本は被爆国なのに煮え切らず、原子力の平和利用の名目で原発稼働に前のめりになる》。
東京新聞の【<社説>ビキニ事件70年 核廃絶への思い新たに】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/317104?rct=editorial)。《日本のマグロ漁船員が人類初の水爆犠牲者になった「ビキニ事件」から今月で70年。世界にはいまだ1万2千以上の核弾頭があり、実戦での使用をほのめかす国家指導者さえ現れた。広島、長崎、そしてビキニ-。この国に三たび刻まれた被ばくの記憶を、何としても世界に伝えていかねばならない》。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/317104?rct=editorial】
<社説>ビキニ事件70年 核廃絶への思い新たに
2024年3月25日 06時54分
日本のマグロ漁船員が人類初の水爆犠牲者になった「ビキニ事件」から今月で70年。世界にはいまだ1万2千以上の核弾頭があり、実戦での使用をほのめかす国家指導者さえ現れた。広島、長崎、そしてビキニ-。この国に三たび刻まれた被ばくの記憶を、何としても世界に伝えていかねばならない。
ソ連(現ロシア)との核開発競争が激化する中、米国は1946年から58年にかけて、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁で、計67回の原水爆実験を行った。
1954年3月1日、ビキニ環礁で炸裂(さくれつ)した「ブラボー」という呼び名の水爆は、サンゴ礁を粉々に砕いて巻き上げ、放射能を帯びた「死の灰」を振りまいた。
静岡県焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」は、爆心から約160キロ東で操業中、米軍が指定した危険区域の30キロも外側にいたが、死の灰を浴びた。
2週間後に焼津港へたどり着いたが、23人の乗組員全員が「急性放射能症」と診断され、無線長だった久保山愛吉さん(当時40歳)が約半年後に亡くなった。
そのころ「原子力の平和利用」に傾いていた「唯一の戦争被爆国」では、久保山さんの死をきっかけに反核のうねりが起こり、翌年夏、広島市での第1回原水爆禁止世界大会につながった。
第五福竜丸は東京水産大(現東京海洋大)の練習船として使われた後、67年に廃船。東京湾のごみ処分場「夢の島」に捨てられた。
しかし、それを知った地元市民らが保存に動く。役目を終え、公園として整備された夢の島の一画に76年、船体を展示する「都立第五福竜丸展示館」が開館した。
「ここは、過去と今とをつなぎ、未来を見つめてもらう場所だと思います。ビキニ事件は決してひとごとではありません」と、同館学芸員の蓮沼佑助さん。展示館前の記念碑には、久保山さんの「遺言」が刻まれている。
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」
世界の現状に照らせば、一層重みを持つ言葉だ。悲劇の教訓を無駄にしてはならない。
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