
本当のことを言わない組織とは、ハッキリとした意識もないまま、ウソしか言わない組織です。そんな組織に信頼関係も何もあったものではないでしょう。「本当にそんな組織はあるのかな?」、「言い方が極端じゃないの?」 と思っているあなた! 例の電力会社などを想像してみてはいかがでしょうか? でも、もっと身近な組織にも、そのような体質は隠れていますよ。よ~く見ていただきたいと思います。
そういった組織のメンバーも、そのウソっぽさに気付かないはずはないのですが、 「世の中なんて、こんなもの」、「世間はそんなに甘くない」、「働かざる者、食うべからず」、「角を立てるより、仲良しでいこう」、「会社のためには、仕方が無い」などと自分に言い聞かせて(これが誤魔化しという、内なる取引)、組織の中で、息を潜めて暮らしているわけです。「見つかりませんように…」等と念じつつ…。
今日は、第一章「遊びとヴィジョン」の最後ですし、その第4節「遊びの目的」の最後です。次回は、第二章「ライフサイクルと儀式化」の第1節「やり取りのいろんな舞台」に入ります。
Toys and reasons. p.64. 最後の2つのパラグラフ。
成育歴の中で「共に見る」ヴィジョンと人類の進化の歴史の中で「共に見る」ヴィジョン間を,更に繋げる関係として、すなわち、ひとりびとり「共に見る」ヴィジョンと、組織(制度、慣習)が「共に見る」ヴィジョンとの間を更に繋げる関係として、陽気で楽しいことと、日々のやり方,すなわち,人生のそれぞれの舞台で,あらゆる人間社会の中に育まれてきた,毎日を礼拝にしたいろんな行動のやり方との間の境界線上にある,普遍的な現象を研究することが必要です。 それからもう一つ申し上げておく必要があることですが、最初から始めなければならないとは言え、ライフサイクルの枠組みは、大人へと確実に成長するための梯子をプレゼントしてくれる、ということを私は信じています。
これまで(この章では)、私が政治を子どもの遊び如きに格下げしようとしている、とのお叱りをご勘弁いただきとう存じます。格下げしている、ですって? そんなはずもありません。皆々様が,政治の中に、真に偉大な指導者たちが指し示し、息吹を吹き込みもした、真剣で陽気な楽しい(「真面目なことを愉快に」する)本物の舞台があることを、見て分かるようになりますようにと,お祈り申し上げます。
毎日の生活を礼拝にすること,それがライフ・サイクルの枠組みであり,エリクソンの神髄なのです。真剣で,しかも,陽気で楽しい,日常生活を礼拝にすることは,確実に大人のなるための梯子,とするのは,一番簡潔な定義だといえますね。しかも、毎日役立ちます!
みすず版の翻訳が,「洞察と責任」と同じくらい,エリクソンの原著を台無しにしているか,わかりますでしょ。