
私の好きな聖書の言葉から。
私どもはみんな,神の子の(訳注:キリストが体現していた)信頼と完全な気付きに至り,キリストが心身に満ち溢れた,全うな大人になるためです
(エフェソ:4-13)
こうして,エリクソンのライフサイクルの心理学は,パウロさんのキリスト中心の教えに忠実なことが判ります。
私の好きな聖書の言葉から。
私どもはみんな,神の子の(訳注:キリストが体現していた)信頼と完全な気付きに至り,キリストが心身に満ち溢れた,全うな大人になるためです
(エフェソ:4-13)
こうして,エリクソンのライフサイクルの心理学は,パウロさんのキリスト中心の教えに忠実なことが判ります。
#精神分析は,#トラウマには無関心?発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.98,第2パラグラフから。ここ何日かの部分もご一緒に。
生きがい:命の持ち主になること
「生きがい」とは,自分の人生は自分持ちと実感する実感に対する専門用語です。自分の立場を弁え,自分に起きていることに口を出す権利があることも分かっていますし,自分の状況は自分で作り出せる力もあることも知っています。アメリカ退役軍人局の建物の壁をぶち抜く退役軍人は,生きがいを主張しようとしていたんでしょう,事を起こしたかったんでしょう。しかし,結局は,一層,何もできないと感じて,かつては自信があった多くの人が,狂ったようなことと,引きこもりの間を右往左往する罠にかかっていました。
生きがいは,科学者が内臓感覚と呼ぶものから生じます。内臓感覚とは,かすかな感覚,身体に由来する様々な感じです。内臓感覚に気づけば気づく程,自分の生活をコントロールする私どもの潜在能力も,大きくなります。自分が感じていることを意識することは,自分がなぜそのように感じるのかを意識する,最初の一歩です。もし,私どもが,身体の内の環境と,身体の外の環境の様々な変化を,刻一刻と気付いているなら,その内外の環境をコントロールするために動くことができます。しかし,私どもの見張り台である,内側前頭前野が,身体の内で何が起きているのかを見張ることができなければ,内外の環境の変化に気が付きません。ですから,マインドフルネスをするのですし,マインドフルネスは,内側前頭前野を強化してくれますから,トラウマから回復する1つの要石になります。
素晴らしい映画「ペンギンの行進」を見た後で,私は患者さんたちのことを考えているのに気づきました。ペンギンは無心で忍耐強いものですから,ペンギンが,大昔から,何十キロも離れた内陸まで,海からトボトボ歩いて,信じられないほどの困難に耐えて,営巣地にたどり着き,生きられるたくさんの卵をさらして失い,それでまた,ほとんど食べるものも食べずに,大海まで舞い戻るのです。もし,ペンギンに,人間の前頭葉があれば,そのひれ足で氷の家を作り,よりよい分業を工夫し,食糧調達を考えなおすことでしょう。私どもの患者さんたちも,トラウマを生き延てくる時には,途轍もない程の勇気と忍耐が必要でしたし,結局は次から次へと,おんなじ問題をぶち当たってきたんです。トラウマは,患者さんたちの心の方位磁針を働かなくして,もっとましなことを創造するために必要な想像力を,奪っています。
かくしして,発達トラウマ障害の子どもも,大人と,人間に与えられた前頭前野を使うことが困難になり,爬虫類の脳(死んだふりをする脳幹)や,脊椎動物の脳(戦うか逃げるかの,交感神経)でしか,危機を生きられない人間になってしまいます。
エリクソンの叡智: #知るはじめ #真実を実感するはじめ, #希望の源発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,......
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』。 P.99,第2パラグラフから。ここ数日分も,ご一緒に。
本気で遊ぶ年頃と感性通りに真似して :関わりを始めることと人真似
それでは,まず,感性通りに真似をする原理です。思い出さなくてはいけないのは,組み立て遊びの,2,3のテーマです。それは,真似をして遊ぶことは,「本気で遊ぶ頃」が大いに進歩したことに土台があることを理解するためなんです。「本気で遊ぶ頃」のおかげで,その子どもは,手に入るもので,「対立した命の回転,役割にピッタリとあっている予定表」と,かなり自由になる,解像度の高い見通しとを創造します。思い出しますでしょ。あの(訳注:黒人の5歳の)少年がブロックで作ったイメージからは,1人の,真っすぐに立った身体が,両手を広げて,ダンスを踊っているのが分かりましたでしょ。しかし,そのイメージは,その黒人の少年をイメージした人形そのものでしたでしょ。その人形は,遊びでイメージを作ったその男の子を,性別でも,年恰好でも,人種でも,封印している姿に思えましたし,仰向けでしたが,その人形は,そのイメージの中で一番高いところを占めていました。その人形になった黒人少年は,1つの対立の(訳注:を和解に導く)半神でした。その対立は,その主題の枠組みだけしか分からないだけではなく,その個人的な意味も十分には解釈できません。しかし,この少年が短い物語が指摘しているのは,1人の田舎者,あの蛇(ずっと,地獄にいるように,強く非難されています),と,このようにして,卑しさと邪悪な危険を象徴するものです。と同時に,かなり高貴な動物たちが,その田舎者でもある,あの蛇を征服し,破壊するように,委託されていました。両腕を広げたその人々は,ワクワクした気持ちを表していますし,おそらくは,罪を克服した歓びも表しているのでしょうか? その罪は,その人たちが今も感じているものです。
しかし,ブロックでできた背の高いイメージは,ある種の勝利を表していますが,また,1つの十字架,聖書の神様を象徴するものも示していることに思い至らざるを得ません。2人3人でも,ウソのない場が,遥か彼方の天国にまで,私どもを運んでくれます。「天国などは遥か彼方すぎて」,と身震いしていう人もいます。
2人3人でも,ウソのない場とは,「自由にして,同時に,守られた空間」,さらには,自由と賢慮が働く場,あるいは,「2人でも,3人でも,キリストの名前で集まった場」(マタイ 18:20)は,命が一巡して,「互いに大切にしあう」関係を回復し,神の国を実現する場です。
発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。
Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.65の,第2パラグラフからです。 その前も,ご一緒に。
復活して生きる課題に対する見方は,それぞれですが,精神科医,産科医,小児科医,人類学者のみなさんでしたら,この人たちには親近感を覚えますが,きっと賛成してくれると思います,「聖書の神様を根源的に信頼することが,迷って不信に傾くよりも,いつでも勝っている心の習慣(訳注:安定的な愛着)」を不動にすることこそが,赤ちゃんの最初の(訳注:神様が課した)義務ですし,したがって,お母さんが赤ちゃんを心から大切にするために,一番初めにしなくてはならない義務でもあります。「聖書の神様を信頼する信頼が育つ」のは,赤ちゃんの頃の経験からですが,「食べ物や,大切にしていることを態度で示すこと」の絶対量で育つものではありません,むしろ,お母さんが2度生まれで復活していて,「どれだけ心から優しいか」次第で育つものです。お母さんたちが,子ども達の中に,慎ましい世話人としての心からの優しさによって,創造します。お母さんの慎ましい世話人としての,心からの優しさは,赤ちゃんひとりびとりのその子ならではのニーズに敏感に応えて大切にすることと,自分の仲間の生き方の,信頼できる土台の中で,自分には値打ちがあると堅く信頼していることの2つを1つにした優しさです。聖書の神様を信頼する心の習慣は,その子どもの中にある,聖書の神様と一心同体になって,自分が確かにされる心の習慣の土台です。この自分が聖書の神様と一体になって不動にされる心の習慣は,「大丈夫」と実感する心の習慣,「腑に落ちる」と実感する心の習慣,「そんな人になると他の人たちが信頼している人になれる」と実感する心の習慣を,一体にしたものです)。親たちは,「ダメでしょ」と「いいよ」と言って教える生き方だけではなくて,自分がやっていることには,1つの意味がある,ということに対する,深い,ほとんど身体に滲み出るほどの確信と言っていいほどの確信を,その子どもに示さなくてはなりません。この意味で,先祖から伝わってきた,聖書の神様を信頼して歩む中で,子どもを心から大切にして,真の平和を実現する全体像(訳注:神の国で神様の命が一巡している全体像)は,信頼を生み出す唯一の光です。ただし,この先祖から伝わった聖書の神様を信頼する歩みも,形ばかりのいろんな偽物になると,偽物の一つを取り上げただけでも,理に合わない上に,不必要でもある苦しみを子どもにもたらすことになるように思われます。ここで,ことを大きく分けるのは,先祖伝来の一つ一つを,親が子どもに強いるのが,先祖伝来の,聖書の神様を堅く信頼して「これこそ正しい生き方だ」と信頼する信頼からなのか,それとも,親が,赤ちゃんや子どもを管理監督することを取り違えて,自分の怒りをぶつけるため,不安を減らすため,口げんかに勝つために,子どもや他の人たち(義母,医者,聖職者)を道具にしているからなのか,親がどちらを選択しているかの差からです。
変化の時代の中で(他にどんな時代が,私どもの思い出の中にあるのでしょうか),1つの世代が別の世代とが大きすぎて,先祖伝来の教えの一つ一つが,心乱すものになる場合が多い。母親の生き方が,自分の生き方とぶつかり,体験から学んだものの見立てが母親の生き方とぶつかり,体験から学んだものが引用する聖句が,自分の身勝手な生き方とぶつかりますから,このように様々なぶつかり合いがあると,母親は自分を信頼する心が試みだされることになる場合があります。
いまは,変化がとても大きな時代ですから,母親が自分を信頼しにくい時代,子育てが難しい時代です。
だからこそ,母親向け,子育て向けの社会的支援が,余計に求められる時代です。