エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#神の国の秘密 及び #心から自由な人生のハビット と #超越なしには自分を生きられないのが人間

2020-06-06 04:56:38 | エリクソンの発達臨床心理
 
#子どもの遊び と #日本人の社会病理

 #根源的な超越的自覚 #淨と不浄の分別を自覚的に卒業する #生きている実感      私どもの心からは、意識しないと、無意識裡にありとあらゆるおぞましきものが......
 

 

  Chilhood and Socirty から。p.251から。第2パラグラフから。またまた。

思いがけず,多くの人が眼にしてくれたおかげで,3年半ぶりに翻訳し直すことができました。5訂版感謝

 

 

 どの社会でも,どの時代でも,聖書の神様を畏れ敬って,心から不動にされ、心から自由にされた人生の習慣が,なくてはなりません。聖書の神様を畏れ敬って,心から不動にされ、心から自由にされた人生の習慣は,その社会,その時代の,この世の中をどう見るか?というイメージから生まれます。そのイメージは,(訳注:宗教改革者カルヴァンの)予定説から(訳注:量子力学者のハイデルベルグの)不確定性原理まで様々です。人の育ちを臨床している者は,無宗教を誇る人が多いことを見知っていますが,その無宗教を誇る人の子どもは,聖書の神様を畏れ敬うことなしに自分の命を全うできません。他方,人と関わる活動や科学的真理探究から,手応えのある確信を得ているように見える人もいます。方や,神様を信頼していますと口先では言っていても,日々の生活では,「人生も人も信頼できません」という気を出している人もいますからね。

 

 

 

 エリクソンが,この本の中で,聖書の神様を心の底から信頼する心の習慣(a sense of basic trust)と,根源的に聖書の神様を信頼できない心の習慣(a sense of basic mistrust)を対比させて論じたところの最後の件です。

 日曜礼拝に行く人やお寺を礼拝する人が,キリスト者,仏教徒とは限りません。むしろ,日曜礼拝信者やお寺を礼拝する信者に,偽物が多いのが,ウソとゴマカシが溢れているニッポンの悲しき現状でしょう。

 方や,人と関わることに歓びを感じている人や真実な学者が,真理に対して畏敬する生活習慣を生きている人もいますでしょ。

 オープンにはなっていても,神の国の秘密,という狭き法門に関われる歓びを知る者は,いつの世でも少数者なのかもしれませんね。

コメント
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