#生きてるって素晴らしい #決まっています
#口が寂しい性質 #心が迷子 #悪い良心の猛毒にやられる最初 #自分がバラバラ #息も出来ない酸欠社会ニッポン エリクソンの叡智: #滅び #発達トラウマ障害(D......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと試練』
p.179の,ブランクから。
今朝は,p.181,第2パラグラフから。
備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。
忘れてはならないのは,お母さん(聖書の神様)と仲良く(一心同体に)成ることができて中心軸の自分が腑に落ちることの反対は、お母さん(聖書の神様)に馴染めず(一心胴体に成れず)心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません。
…
共に従う仲間の : 2つに分けることができない個人が一心同体に成り損ねることから
共に従う仲間に課される聖書の神様の規律
Ⅰ
重たい一心同体に成り損ねの全体像の絵をお示ししましたから,その全体像の様々な部分を取り上げて,一見バラバラに見える現象に,その一つ一つを関連付けたいと思います。それはひとりびとりの子どもの頃と育ちの過去です。重たいケースで出会う あの諍いは,だいたい全ての人に当てはまりますし,だからこそ,目の前にある絵も,普通の青年の立ち位置が歪んだものにすぎないと,私どもは考えて当たり前と思っていますから、 まず問わなくてはならないのは,この青年期の諍いが子どもの頃の古い諍いを、どんな感じで受け止めていると分かっているのか? ということですし,第2に問わなくてはならないのは,それぞれの子育て文化が「普通の」青年に提供する様々な育て方で,(訳注:過去の)子どもの頃に退歩させようと引き戻す力に打ち勝ち,将来を見据えた目標を目指す勇気に感動して生きる道を見付け出す育て方とは,どんなものか? ということです。
第1に,子どもの頃に引き戻す力,青年期の諍いがもたらす退歩の見方です。事柄をたまらないほど複雑にしたくありませんが,人と関わる心が育つ私どもの枠組みの中で退歩する「場を置く」ために,心が育つ表を,ここでまたご紹介しましょう。この心が育つ心が育つ表に,空欄のままになっている部分はどうするるの? と疑問に思っている読者もあることを知っています。また,この表を読み続けて,興味がある表に関心を示すだけで十分,という読者も恐らくいるでしょう。ですから,この表を大事にして下さる方のために,1つの段落をここに挿入しようと思います。この表を大事にしてくれる人に,この部分を通して,この表のセルに数字を施して,人と関わる心が育つ道を広げたいと思います。この表がお気に入りでない方は,次の段落と( )に入れた数字は,読み飛ばしても構いません。その方々に対しては,本文それだけで,人と関わる道を語ってくれることを,心から願います。
聖書の神様の予定説で人と関わる心が育つ創造の表(p.94)(訳注:上の写真)の「対角線」だけ,第3章で充分に論じました。私ども夫婦が申し上げたのは,この創造図は,人と関わる心がイキイキした心であるための大切な割り当てが,中心軸になる本当の自分を創造する時にひとつひとつ広がっていくことを示しています(Ⅰ.1~Ⅷ.8)。私ども夫婦は,赤ちゃんの時から聖書の神様と一心同体に成る時の垂直方向の大事なセルも,すなわち,1.5~Ⅴ.5も埋めました。この部分のセルを埋めたことは,とても大切なギフトになります。すなわち,過去の(訳注:4つの)舞台が,(訳注:5番目の舞台にある)聖書の神様と一心同体に成ることを育てることに真っ直ぐに繋がっている,ということです。すなわち,互いに大切にし合いえば,自ずから本当の自分が創造されて,シャローム平和を創造することになります,というキリストの約束をはじめから「信頼する」(から,陽気で楽しい歓びがいつもあります)し,本当の自分であることを,「陽気で楽しい歓びをもって,実現しようとしている」ことが,人生の習慣の根っこになりますし,本当の自分に次第に創造されていく道の中で,自分のあるべき生き方を,上手に生き「られるように」なる力が付きます(から,陽気で楽しい歓びがいつもあります)。しかし,過去の(訳注:4つの)舞台が,(訳注:5番目の舞台にある)聖書の神様と一心同体に成ることを育てることに真っ直ぐに繋がっている,ということことは,5番目までの発達創造の舞台が,聖書の神様と一心同体に成り損ねることに通じる,子どもをよそ者扱いにする粗末な子育てにも,役立ってしまう,というわけなんですね。つまりね,赤ちゃんの時によそ者扱いするような粗末な子育てをされれば,互いに大切にし合いえば,自ずから本当の自分が創造されて,シャローム平和を創造することになります,というキリストの約束を,「自己愛過剰で」守れないんです。聖書の神様と一心同体に成り損ねる,一番根っこにあることは,これまで確認してきたように,赤ちゃんの時にお母さんと一心同体に成り損ねることにさかのぼれます。赤ちゃんの時期にお母さんと自分が互いにぶつかり合うことを刷り込まれる,という,始まりにある一心同体に成り損ねがありますと,いわば,その後の人生でも全て,一心同体に成り損ねることになってしまいますし,青年期になっても,お母さんと自分が互いにぶつかり合うことを身に着けてしまうことになりかねません。それで,今まで記しました臨床像に倣って,表を用いて試しにやって見ますと,その表の第Ⅴ列に,様々な一心同体に成り損ねの「バラバラにされた心の病」を振り分けることに成りますし,子どもの頃の前の舞台へと,1,2,3,4と「退行している」縦のセルに沿って,「バラバラにされた心の病」をどうやって辿ったらいいのかを示しています。読者の皆様は,この退行している縦のセルに,目を風任せにして下さい,そうすれば,キリストの後に従う人生の習慣の場所が分かります。
いま記しましたばかりの,一心同体に成り損ねの学びの最初のアイテム,すなわち,(訳注:創造発達する)時間そのものを信頼できない不信と,「見通が利かない不安」に乗っ取られること(Ⅴ.1)から始めましょう。
お母さんと一心同体に成る歓びを繰り返し体験できませんと,時間と共に発達創造する,という見通しが揺らいでいます。
根源的不信とは,自分が次第に,創造に向かって発達することを「信じらんない」と感じる心です。