エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#自傷の目的 #善悪を超えた大切な視点

2020-06-07 08:38:18 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#創造の神秘  #気高い恵み #心からの優しさ

 #間違った子育て #忙しいと間違いやすい #互いに相手をコントロールしようとする害悪 #互いに命をすり減らす #ニッポンの発達トラウマ障害の圧倒的多数派 #信......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.123から。

 今朝は,p.123,第2パラグラフ,4行目から。

 

 

解離:知ると知らない

 

 リオンズ・ルースは,解離という症状に特に関心がありました。解離とは,失った様々な気持ち,受け容れることが叶わないこと,見捨てられたこと,人がかまってくれないこと,から起きてきまして,粗末で空っぽでガラクタで,逃れようもなく,押さえつけられていると自分を見做すことです。リオンズ・ルースが気付いたのは,「顕著で意外な」関係があることでしたが,その「顕著で意外な」関係とは,お母さんが,生後2歳までの間に,赤ちゃんをホッタラカシにしたり,赤ちゃんに息を合わせないことがあったりすると,大人になってから,解離症状を起こしやすい,ということでした。リオンズ・ルースの結論は,お母さんから真実に善く見てもらい,真実に仲良くしてもらえない赤ちゃんは,青年になっても,自分も人も良く見ることができないし,自分とも人とも仲良くすることもできない,ということでした。安心してやり取りできる関係の中で生きている赤ちゃんは,様々な不満や悩みだけではなくて,自分に割り当てられた湧き上がる私も人に出すようになります。自分に割り当てられた湧き上がる私とは,すなわち,自分が心魅せられる物事,自分の好み,自分が目指している物事ですね。自分の気持ちを分かって貰うと,赤ちゃんも(大人も)、極端に強いショックを受けることに対して,クッションも貰うことになります。もしも,皆さんのお母さんが,皆さんの願いを粗末にされたり,皆さんがそこにいるだけでイライラされたりすれば,皆さんも,人はダメっていうものだ,人って相手になってくれないものだ,と見通すようになりますからね。皆さんのお母さんがすぐに「ダメ」と言ったり,相手をしてくれないことを意識的に見ないようにすることで,ことに当たりますし,ことに当たれるでしょうし,そんなことは大したことじゃないかのように振る舞うこともできるでしょうけれども,皆さんの身体は,警戒警報を出し続けます

 

自傷

 研修中,朝の3時に3晩続けてベッドから叩き起こされたのは,手に入る鋭利なもので自分の首を深く切った女性の切り傷を縫合するためでした。その女性の話しは,なんとなく勝ち誇った感じでしたが,「自分を傷つけると,気分が上がるのよ」ということでした。

 

 

 自傷というと,悪いこと,気分の悪いことという決めつけがありませんか?

 でも,今日の女性の様に,「自分を傷つけると,気分が上がるのよ」ということはあまり知られていませんね。

 周囲のものから見れば,一見「悪く」見えることでも,当人には「善い」目的がある場合が多いのは,臨床の常です。ですから,臨床する者には,無記,善悪を超えた視点が必要です。

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#共に自由になる2人 #神の国体験

2020-06-07 08:04:16 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #かけがえのない私

 #聖書の言葉 #1人豊か #あ~んしん    私の好きな聖書の言葉から。   安心して信頼していことに,神様からの力がありますからね。 (イザヤ 30-15)  ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 

 p.346,ブランクから。

今朝は,p.347の第2パラグラフ,2行目から。

 

 

 

 5 思春期以降 :理想的,と 創造的

 

 私がこれまで心を込めた来たのは,驚き感激する私を創造することですし,昔みたいに、子どもの中にある毎日礼拝が,善悪を超える源だ,ということです。ここから,私どもは2つの志があれば,腑に落ちることができますでしょ。1つは,「毎日礼拝」が,いつも驚く体験で,内側から打たれるくらい強く促される気高さがあるかどうか,を体験的に試してみることができるでしょう。毎日礼拝は,若者たちがお互いの関わり方を腑に落ちて,自分の創造性を,大人とも違うし,子どもにはできなかった形で生き方で示すことになります。もう1つは,成人式(訳注,日曜礼拝)に戻ってもいいかもしれません。と言いますのも,その成人式(訳注,日曜礼拝)が,堅信礼や入隊式になるやもしれないからです。全ての人にとって,すでにお話しして参りました本当の自分を育てる道筋の中にある様々な元気は,赤ちゃんの時に見付けた信頼を,理想の育ちをするイメージに結び付けると同時に,いろんな視点やいろんな理想が腑に落ちるものにしてくれる式(訳注:日曜礼拝)の推進になります。本当の自分を育てる道筋の中にある様々な元気は,心から安心できる場に自分から参加している感じと,新たな仲間ができた感じを,大人になりつつ子どもにプレゼントします。ですから,大人と呼べるのは,2人が自分自身を育て,2人とも心から自由になるのが毎日礼拝の目的ですから,自分自身を育て心から自由になった人だけですし,子どもの暮らしの中で日々毎日礼拝の司式をする者になることを見通せる人だけです。

 私ども夫婦が驚き感嘆する私の育ちをスケッチしてきたことには,思春期以降の舞台も入ります。と申しますのは,お互い様の関係があるからでして,動物には,大人と若者が,生得的にお互いを大切にする本能のパターンでやり取りを全うすることがあるのですが,人間にあるのは,「子どもの時と若者の時に,母子が互いに大切にし合う生き方など」だけなんです。人間が生かされている意味を十分に体得することは,単に「縦の関係と横の関係」に加わるばかりじゃなくて,仲間の「人類を上下2つに分けるウソ」「夢中になって自分たちを共に賭けること」も意味します。仲間の「人類を上下2つに分けるウソ」「夢中になって自分たちを共に賭けること」は,(道徳なんて糞くらえ,狂ったように正義を無視し,軍事がお好き)敵視したものと,古いか馴染めないかとしたものを「締め出す」ことらになります。他のところ(エリクソン,1965)で,一心同体に成れない危機をクッキリ描くことを引き受けてきました。この一体になれない危機は,「『上に』忖度するウソの一体感」の習慣が,青年期に生まれることになりますし,その人が属する文化が創り出す忖度する気持ちが出来上がります。 縦横の関係と関係に対する本気度の2つうまく噛み合った場合だけ,若者は新しい人品を,聖書の神様が差配する縦横の関係と聖書の神様を実体験することと結びつけることができます。私は,仲良く一致することが大切にできず2人がバラバラになる関係「「一体になれない病気」と呼んできました。臨床的に(前に申し上げましたように)「一体になれない病気は,自分を出せませんから毎日礼拝できないことや一匹狼ですから毎日礼拝を怠ることに現れます。「一体になれない病気」は,境界性人格障害や犯罪,危険な非行や病んだ狂信があるかどうか,あるいは,どこにあるのかを決める,心の病や政治や法律的な,善悪を仕切る壁を生み出します。若者らしい生気溢れる「鬼のお出まし」は,2人で分かち合えない中では,こんなものになります。人間らしさの欠片もない金太郎アメや,なるほど本当だと認め合う人品もない者に,あるいは,表と裏の2つの分けることができない本当の自分を生きることや,2人が互いに大切にし合う生き方が分からない者に,若者がなることから,その若者の心が2つにバラバラになることを(時には,嘲りによって,時には,面倒を画策することで),遊びにします。しかし,特に,科学技術の変化がとても速い中で毎日礼拝の全く新しい関わり方を見付けなくてはなりませんから,変わり身の速さ自体が大切な態度になります。聖書の神様と一心同体に成る見通しがないのは,聖書の神様と一心同体に成れない危機に大多数が陥っている時の印ですし,割り当てられた仲間の作り方の変化に「追いつく」ように,見通しを新たにすることで,初めて,聖書の神様と一心同体に成れない危機に大多数が陥っている現状を解決できます(エリクソン,1959)。

 私どもがいまの時代の(訳注:ナチスの)全体主義で目の当たりにしてきたのは,大規模なパフォーマンスの中で,驚き感激するヌミノース是非を分別する分別感じたままにピッタリと身体を動かすことを組み合わせた大規模な儀式をやって,若者たちの理想を巻き込んでいったことでしたね。 このナチスが大規模に若者の理想を巻き込んだやり方は,多くの若者に,変わり続ける変化全てを1つにする(訳注:ナチスのウソの)口約束に掛ける義務を課したんです。実際,このナチスが大規模に若者の理想を巻き込んだやり方は,古い信念全て(聖書の神様のいのちが一巡する前にあった⦅訳注:この世的な忖度を是とする信念⦆)を,「ダメ」と言われている人と故意に一体になった人の割り当てにします。

 私がこういったこと全てを,いまこの仲でご指摘するのは,毎日礼拝が本当の自分を創造することを理解する,という難題があるからです。と申しますのも,ここで問われていることは,(1)最初の毎日礼拝が,全ての人を超越する聖書の神様のいのちが一巡して,2人がピッタリと一心同体に成り自由になることと,ピッタリと一体になる必要があるからですし,(2)…

 

 

 これがパウロさんが繰り返し手紙に記している神の国体験です。

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#神なき時代 の #心の病 と #回復の道

2020-06-07 06:19:51 | エリクソンの発達臨床心理
 
#かけがえのない私 #空前絶後の私

 #礼拝 #相手にピッタリと合わせる心身の働き掛け #幼い子どもの時期が一番難しい 聖書の言葉: #全てには時がある #うまく出来てる #爽やかな喜び   イン......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと試練』

 p.176の,ブランクから。

 今朝は,p.179,第2パラグラフ,3行目から。

 備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。

 

 

 忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません

 

家族の中の特別な場 と 子どもの時

 

 病気になりがちな患者さんのことを論じる時,患者さんに共通するものは何かな? と問うことになります。私どもが治療しているケースでは,お母さんに目立った飛び道具がいくつかあると言えると思います。その飛び道具は,ぜひ関わりたいと願って仲間になり心から自由になる場で,必ずしも飛び回る訳ではありません。第1に,目に見える立場理解,すなわち,自分が上り調子なのか,変わりないのか,「食い下がっている」のか は,いろいろでしょ。いろんな立場でも,お金のためだから,ポストのためだから,面子のためだから,「家族の幸せ」のためだからと言って,心から誠実な気持ちや賢い判断を生み出す源を,お母さんたちは,ほぼほぼいつでも進んで蔑ろにします。事実,お母さんたちは,自分の感受性の鋭い子ども達に,「自然に」,しかも,「喜んでよい子になる」のフリをするように無理強いします。第2に,お母さんには,いつもどこにでも付き纏うという特性があります。なぜならば,お母さんの普段の声や情に絆されたすすり泣きさえもが,尖っていて,悲しくて,イライラしたものになるからですし,そのお母さんの声やすすり泣きからは,どんなの頑張っても,逃げられませんから。ある患者さんは子どもの頃にずっと,チョキチョキきるハサミが部屋中に飛び回る夢を繰り返し見たそうです。夢に出て来たハサミは,切り刻み,バラバラにするお母さんの声を表していたことが分かりました。切り刻む声のお母さんたちの躾は,希望を見失っていているから,押しつけがましくもなるんです。お母さん自身が,誉めてほしい,認めてほしいと飢えていますから,複雑な不満,特にお父さんに対する不満を,自分の子どもに負わせているんです。すなわち,「『私には子どもがいるんだから』ということで子どもの母親である自分が生きている意味を与えて頂戴なぁ」,と我が子に懇願しているんです。お母さんは妬み深く,しかも,人の妬みにもとても敏感なんですから。2人が聖書の神様の結界を作る時に,特に大切なのは,お母さんが妬む子どものサインが,子どもが主にお父さんと一心同体に成るかもしれないというサインですし,最悪なのは,お父さんが一心同体に成っていることに,子どもが一心同体に成ることを土台にしているというサインです。付け加えなくてはならないことは,こういうお母さんがどんな人でも,いまここに踏みとどまるようにされる,ということです。そういうお母さんがいつもブツブツ「お父さんたら,私を女性として大切にしてくれない」と零す不平不満背後には,「いまここに踏みとどまっても,本当の自分を創造する母親に自分がなれない」という,母子が心の奥底で,なんとなく気付いている不満です。いまここに踏みとどまるようにされている者は本当の自分を創造する母親を粗末にすることで,生まれてこの方,お相子で,自分のお母さんも粗末にしてきたんです。それは,気まぐれでバラバラだと最初に見えたことに到底耐えられないからです。しかしながら,このバラバラに見えることが,ピッタリと一心同体に成った夫婦関係成れの果てになります。ピッタリと一心同体に成った夫婦関係成れの果てって,ここに踏みとどまるようにされた者が,自分を押し殺しすぎやすいことですし,あるいは,慌てて関わりすぎやすいことです。その粗末にされたお母さん死に物狂いで子ども等に口やかましくなるのは,おしなべて,生まれ育った家族が病んでいたからです。

 私がここで描いているのは,軽い程度のものですが,ありがちなことですから,子どもの病のせいだと「非難する」ことはできません,と申しますのも,家の中にいる子ども等がすべてがすべて,創造できない強い悪意に,応えている様に見えないからです。私どもが心の刻んでおかなくてはならないのは,粗末にされたお母さんに出会うのは,粗末にされたお母さんが傷の上で道に迷っている,ということです。確信をもって申し上げることができると考えますのは,お母さんとその子どもが「互いに粗末にし合う」のがここだ,ということです。この「互いに粗末にし合う」のは,「互いに大切にし合う」ことの創造できない強い悪意のある反対です。

 そのお父さんらは,たとえ仕事でいつもうまくいったり,大成功を収めていたりしても,自宅で奥さんらに逆らえません。といいますのも,お父さんらは奥さんに頼りきりだからですし,それは,お父さんたちも我が子を心深く嫉妬しているからなんです。お母さんが子どもにあれこれと口うるさいのを見逃したり,お母さんを避けようとしたりすることに,お父さんの思いやりや人の好さが堕すると,その結果として,お母さんはお父さんが堕落するのに見合って,その分,お母さんはますます心貧しくなりますし,不満タラタラになりますし,子ども等にあれこれ口うるさいことに「献身的」になりますから。

 いまここに踏みとどまるようにされる者が持つ,兄弟姉妹に対する関係について申し上げられることは,最高の親族関係以上に,瓜二つだ,ということだけです。赤ちゃんの頃にお母さんと一心同体に成れなかった心の飢え渇きのゆえに,私のところに来る,いまここに踏みとどまるようにされた者達は,まるで双子同士みたいに,1人の兄弟か姉妹にピッタリと自分をくっ付けがちです。ただし,一組の双子がいる場合は別です。まるで双子同士みたいに,1人の兄弟か姉妹にピッタリと自分をくっ付けがちとは,いわば,双子でない相手を,双子の相方の様にしようとすることですから。瓜二つの兄弟姉妹は,アンナ・フロイトさんが「一体感がもたらす利他主義」をはるかに超えたやり方で,少なくとも瓜二つの兄弟姉妹に,埋没して一体となった一体感に,献身する場合がとても多いんです。まるで,いまここに踏みとどまるようにされた者達が,1人の兄弟姉妹と一体となる一体感に献身するのは,埋没して一体となることで,もっと大きな,もっとマシな一体感を取り戻したいと,願っているかのようですよ。一時はうまくいっても,残念ながら,双子の真似事は必ず壊れますから,その後の「こんなはずじゃぁなかったのに…」という失望だけが残りますので,赤ちゃんの時の発達トラウマ体験の傷を一層深くすることになります激しい怒りと千々に乱れた思いが起こるのは,瓜二つの兄弟姉妹の片割れだけは,一心同体に成れて,満足できたかもしれませんが,少なくとも,もう1人の片割れは,「お姉ちゃんに騙された」という隠れていた思いが芽生えた後になります。

 いまここに踏みとどまるようにされる者の赤ちゃんの時期の成育歴は,概して,全くの真っ白です。中には赤ちゃんの時に,1人ぼっちで居ることがほとんどだったことが見られるのに,その両親は赤ちゃんが1人ぼっちで居るのは仕方がないと屁理屈を言うのが普通です。しかしながら,皆さんも抱く一般的な印象は,若者になっても一心同体に成ることが全くできない,という創造できない強い悪意がどれだけ重症かは,赤ちゃんが一人ぼっちで居た程度しだいだ、ということです。それから,皆さんも抱く一般的な印象は,若者になっても一心同体に成ることが全くできない,という創造できない強い悪意が重症ですと,「互いに大切にし合う」ことの創造できない強い悪意のある反対「互いに粗末にし合う」程度がひどくなりますし,幼い時に取り入れた一人ぼっちの二十億光年の孤独を生きざるを得ません。子どもの頃と若者の頃のトラウマについては申し上げれば,1つの特色,すなわち,エディプス期か思春期の初めの,重度の発達トラウマ体験がよくありますし,重度の発達トラウマ体験故郷を失うことと結びついていることが普通です。この重度の発達トラウマ体験は,もしかしたら1つの外科手術かもしれませんし,あるいはまた,遅まきながら診断された発達障害かもしれませんし,あるいは,1つの事故かもしれませんし,重度の性的虐待かもしれません。

 たほう,赤ちゃんの時の苦しみが,この重度の発達トラウマ体験と一致します。この重度の発達トラウマ体験は,家族の魂を癒す関係を知るために打って付けと分かるようになってきました。一心同体に成り損ねは,病気の診断ではないのは,明らかでしょ。でもね,いつでもある大事な問いがありますね。たとえば,心の病が一心同体に成り損ねであるのは,果たして,若者にたまたま出た心の病と取るべきなのか? それとも,一心同体に成り損ねが酷いと,心の病もそれだけ成りやすくなると取るべきなのか? という問いがありますね。

 

 

 

 いまは,若者が聖書の神様と一心同体に成ることが難しい,神なき時代

 一心同体に成れませんと,心の病や身体の病になりやすいし,生き辛さを抱えて生きざるをません。

 しかし,エリクソンに言わせれば,若者が聖書の神様と一心同体に成ることが出来ないことが,家族の魂のを癒す関係を知るために打って付けですし,聖書の神様と一心同体に成る道に繋がっているようです。

 

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #隠されている新しいいのち

2020-06-07 04:52:31 | 聖書の言葉から
 
#創造の神秘  #気高い恵み #心からの優しさ

 #間違った子育て #忙しいと間違いやすい #互いに相手をコントロールしようとする害悪 #互いに命をすり減らす #ニッポンの発達トラウマ障害の圧倒的多数派 #信......
 

 

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生きているのに
死んでいるあなたへ



今朝も,ジェームズ・フーストンさんの言葉からも

 

 

 

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のは

 

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #聖書の神様の味わい

2020-06-07 04:23:40 | 聖書の言葉から
 
#希望の足  と #ウパニシャッド哲学 #をとてる

 #マインドフルネス #落着き #無心になれる エリクソンの叡智:  #トラウマになった経験も遊びが癒す     発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ......
 

 

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生きているのに
死んでいるあなたへ



今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から

また,お静かに… に舞い戻って

 

 

聖書の神様を体得する

 

とは

 

聖書の神様を

 

眼で味わい

 

耳で味わい

 

素肌で味わい

 

鼻で味わうの

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