九月の薬師詣での〈つづき〉です。
二之江神社。昭和四十二年創建という新しい神社ですが、ここにはかつて二之江村の鎮守だった香取神社があり、このあと訪ねる妙勝寺には、寛文年間(1661年-73年)創建の八幡神社がありました。この二つの神社を併せ、旧地名(現在は江戸川区江戸川)を冠した神社が二之江神社です。
古川親水公園を流れるせせらぎに沿って二十分近く歩きます。
日蓮宗・妙勝寺。
寺伝によると、この寺が始まるキッカケとなったのは弘安七年(1284年)のこと。堀江の浦(葛西沖)に漂着した難破船に残っていた少年を二之江村の漁師が救い上げたということです。少年は平家の末裔で、中山法華経寺の二世・日高上人の弟子となり、のちに成就院日尚と号して古川べりの妙見社のかたわらに小堂を建てました。これがこの寺の始まりで、徳治二年(1307年)三月のことといわれています。
蓮華寺。
寺伝によると、昔この地に観音堂があって村人の信仰を集めていたそうです。祀られていたのは聖観世音菩薩で、行基の作といわれています。
永享十年(1438年)、栄源という僧侶が不動明王を背負って遍歴したのち、この地に永住するようになったので、人々が協力して御堂を建て、蓮華寺と称したのが始まりといわれています。
宇田川家長屋門(上)と門前にある道標(下)。
宇田川家は江戸時代に二之江村の村役人を勤めていた家柄です。道標は高さ67センチ、周囲152センチ。丸い自然石で、正面には「是ヨリ左リ行徳道」、左面には「田中孫右衛門」とあります。元はすぐ近くの突留橋にありました。
西光寺(浄土宗)。
天文元年(1532年)一月、常蓮社西誉報阿元光上人によって開山。
真言宗豊山派真福寺。
宝徳三年(1451年)の開山。
ここから次の目的地・感應寺までは少し距離があります。最短距離を行く道はあるのですが、道を間違えるといけないので、遠回りを承知で旧江戸川畔に出て、新大橋通りを歩いて行くことにしました。
日蓮宗・感應寺。前の真福寺から二十七分も要しました。
元久二年(1205年)、空念という僧がが建立した真言宗寺院を、正応元年(1288年)、日蓮聖人が日蓮宗寺院に改めて創建したと伝えられています。
日蓮宗・長勝寺。
天正十一年(1583年)の創建。十三年創建という説も。
先に訪ねた感應寺と次に訪ねる妙覚寺の中間にあるので、「中寺」とも呼ばれているそうです。いまは独立した寺ですが、昔は次に訪ねる妙覚寺の塔頭だったそうです。
いったん外に出て妙覚寺を目指そうとしたら、裏門に当たる北側の門は閉ざされていましたが、境内は妙覚寺と繋がっていました。
日蓮宗・妙覚寺。
弘安七年(1284年)、等覚院日全上人が開山となって創建。
細い径を縫って行くと、また親水公園がありました。全然違う方向へ歩いてきているはずなのに、先ほどの川がこんなほうまで流れていたのかと思えば、違う流れで、一之江境川親水公園とありました。しばらく境川に沿って歩きます。
浄土宗・法養寺。
貞誉法養大和尚が大永元年(1521年)開山。
真言宗豊山派・圓福寺。
大永二年(1522年)、賢明法印が開山となり、創建したと伝えられています
また境川に沿ってしばらく歩き、薬師詣での目的地である妙音寺(真言宗豊山派)に到着しました。
この日の寺社巡りの最後です。
建久元年(1190年)の開山といわれ、「江戸名所圖会」にも記載されている、江戸川区内でも有数の古刹です。本尊は木造十一面観音像で桃山時代の作といわれています。
江戸川区教育委員会の掲示板には、「片目の鮒の伝説」が紹介されています。
昔、目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に二十一日の願をかけ、食を断って祈りました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒はすべて片目になったといわれています。
妙音寺薬師堂。
薬師如来は仏師春日の作で高さ二尺(約60センチ)。
秘仏と聞いていたのに、扉が少しだけ開いていたので、拝むことができるのかと思ったのですが、薬師如来は扉を閉じた厨子の中におわしました。
帰途に就きます。一之江駅の手前-環七通りと今井街道の交差点(一之江駅北)歩道に埋め込まれていた今井の津(いまいのわたし)の絵タイル。
妙音寺から歩いて十分とちょっと。都営地下鉄の一之江駅から帰ることとしました。
→2011年九月の薬師詣で・江戸川区(1)からつづく部分、古川親水公園の入口から一之江駅までの行程です。
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