龍ヶ崎を歩く、の〈つづき〉です。
来迎院から二十五分歩いて般若院に着きました。天台宗の寺院です。
天元元年(978年)の創建とされますが、創建の地は別のところで、大永四年(1924年)、現在の場所に遷されました。江戸時代は仙台・伊達家の位牌所とされたということですが、なにゆえに仙台の大名がこの地に、というと、伊達政宗は慶長十一年(1606年)に徳川家康から常陸河内郡と信太郡二十六か村(一万石あまり)を与えられていて、現在の龍ケ崎市域の一部は仙台藩領だったのです。
いったん寺をあとにしかけましたが、門前に設置された地図を見て引き返しました。桜の季節ではないのでノーマークでしたが、樹齢三百五十~四百年という枝垂れ桜(茨城県天然記念物)で有名な寺だったと思い出したのです。
戻って見回したところが、しかし……見当たらない。
樹高約10メートル、幹囲り約5メートル、枝張り東西約15メートル、南北約22メートルという大木だというのですから、目に入らぬわけがないのですが、どこをどう見回してもないのです。
まあ、見つけ出したところで、花が咲いているわけでもない、と負け惜しみを呟きながら引き揚げたのですが、庵に帰ったあと、よくよく調べてみたら、桜樹があるのは本堂の後ろでした。
般若院から細い路地をクネクネと歩いて六分。曹洞宗大統寺に着きました。
天正十三年(1585年)、龍ヶ崎城主だった土岐胤倫(たねとも)が創建しました。
根町台にあった大運寺という寺を現在の場所に移し、大聖院、天真院という二つの寺を合併させて、寺名を大統寺と改めたということです。
当時は七堂伽藍が聳える大寺院だったそうです。
大統寺本堂。本尊はお釈迦様。
本堂前にある竹柏(ナギ)の樹です。龍ヶ崎市指定の天然記念物。
文化年間(1804年-18年)に本堂を再建した記念として植えられたもの。元来、温暖な地に自生する樹木なので、関東地方でこれだけ大きくなる竹柏は珍しいそうです。
歴住の墓所に参拝。
開基・土岐胤倫の墓もありました。
豊臣秀吉が小田原を攻めたとき、土岐氏は北条氏の傘下にあったため、豊臣方の攻撃を受けました。天正十八年(1590年)、江戸崎城主だった兄・土岐治綱とともに没落の運命をたどったのでした。
龍ヶ崎市の市の花は桔梗です。土岐氏の家紋に由来しています。昭和四十五年に制定されたそうです。
すでに季節外れであることは確かですが、松戸ではわずかながらも咲き残っているのですから、ここでも見かけていいはずですが、一輪もありませんでした。
大統寺から龍泉寺に向かう途中に、小野瀬家店舗と住宅がありました。国の登録有形文化財です。
小野瀬家は江戸時代からつづく絞油製造業兼肥料商でした。大通りに面している店舗は大正時代初期の建築。木造二階建て(一部平屋)、間口五間、奥行三間、建築面積は210平方メートル。
奥に木造平屋建ての母屋があり、建築面積は65平方メートル。明治時代初期の建築。
こちらは指定にはなっていないようなので、どのような由来を持った建物なのかわかりませんでしたが、右手に遺された門を見ると、こちらのほうが古そうな気もします。
大統寺から十分で龍泉寺に着きました。通称・龍ヶ崎観音として親しまれています。
お参りすれば、安産、子育ての御利益があるそうです。また出世、開運、厄除け、十三参り、家内安全、交通安全などの観音様としても信仰されています。天正年間(1573年-92年)、日光を開いた勝道上人の法弟・蓮雪上人が開山したとされています。本尊は弘法大師の作とされる聖観世音菩薩です。
本堂右にはおびただしい数の地蔵と風車がありました。全部で二百体もあるのだそうです。
龍ヶ崎観音から七分。龍ヶ崎巡りの最後は我が宗門・曹洞宗の醫王院となりました。締めくくりが自分の宗派のお寺、というだけでもなんとなく嬉しい気がするのに、本尊は薬師如来というおまけがつきました。
慶長三年(1598年)の創建。龍ヶ崎城主だった土岐胤倫が設けた十二薬師の一つ。なお、薬師如来の開帳は三十三年に一度ということなので、滅多に見ることはできません。
龍ヶ崎市観光物産協会のホームページには観光スポットとして十一か寺が載せられていますが、この日巡った六か寺(予期していなかった正信寺は除く)は
最後に竜ヶ崎城址を訪ねて、今回の龍ヶ崎訪問を締めくくることにしました。
城址は竜ヶ崎二高のグラウンドに変わっています。
佐貫まで行く帰りの電車は成り行き……と、思っていましたが、一時間に二本しかないので、時刻表をプリントしていました。運よく発車間際に乗り込むことができました。
駅前の交差点は六差路になっています。駅へ急いでいるとき、前方に神社仏閣らしき建物が見えていました。庵に帰ったあとで地図を見ると、薬師堂でした。いつの日にか、薬師詣でで参拝にこようと思います。
竜ヶ崎から佐貫までは関東鉄道竜ヶ崎線で二駅七分。取手から出ている常総線と同じディーゼルカーでした。常総線では二両編成もありますが、こちらは一両だけ。
↓龍ヶ崎を歩く(1)と同(2)の参考地図をつけました。
http://chizuz.com/map/map98130.html