桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

酉の市

2008年11月30日 19時09分28秒 | つぶやき

 十一月晦日。
 昨日は三の酉でした。三の酉まである年は火事が多い、というのは江戸の町の言い伝えですが、今年はどうなんでしょうか。妙な事件は多いような気が致しますが……。

 二十七、八歳のときのいまごろ、私は花のパリーにおりました。仕事で、です。
 その日が十一月の何日であったか憶えていませんが、一の酉の翌日でした。日本からきていた少数の団体客があって、当時開港したばかりだったシャルル・ド・ゴール空港へ迎えに出ました。

 その日のパリは朝から冷たい雨で、非常に寒かったという記憶があります。急に寒くなったので、赴任一年目だった私には冬服の用意がなく、薄いサファリコートの襟を立てていました。
 客は年配の人ばかりでした。ターミナルビルを出て、私が用意しておいた小型バスに乗り込むとき、一人が「寒いと思ったら、今日はお酉様だ」と呟くのを耳にしました。

 パリと日本は九時間の時差があります。出迎えたのは朝の十時ごろでしたから、日本の酉の日は終わっている時刻です。まだ若くて生意気だったワタクシは旅行客の出迎えという臨時の仕事に狩り出された憤りがあって、「時差も知らずに何をとぼけたことをいってやがる、糞ジジイめ」と心の中で毒突きました。

 私の本職は別にありました。たまたま会社の幹部の知り合いがパリにやってくることがあると、事前にカタカタとテレックス ― メールはもちろんファックスすらない時代です ― が入って、空港まで出迎えたり、ホテルの手配をしたり、観光案内をするというように、旅行業者みたいなことに狩り出されるのです。
 いまも昔も変わらないと思いますが、ヨーロッパ周遊旅行の上がりはパリです。

 折角のパリの夜、といっても、一晩だけの滞在客にできることは限られています。日本が懐かしくなっているのか、和食が食べたいという人もいれば、フランス料理(食用蛙はともかく猿の脳みそ)が食べたいという人もいます。それぞれの店に送り込んで注文を取ってやり、ホテルの名を書いたカード ― タクシーの運転手に見せて無事送り届けてもらうためです ― を渡して、一足先にホテルに戻ります。
 食事を終えて帰ってきた連中の何人かは部屋に戻って、おとなしく眠ってくれます。まだ元気のいい人たちがいれば、ムーランルージュやクレイジーホース、リドといったキャバレーに連れて行きます。

 その上、なおかつ元気のいい人が残れば、目的は知れたこと ― ♀しかありません。
 一週間か二週間、ヨーロッパを周遊してきているというのに、元気なおじさんがいるものです。そういう人がいると、店の名は忘れてしまいましたが、ピガール広場のとある店に連れて行くことに決めていました。

 中に入ると、止まり木の前に女の子たちが勢揃いしています。客はシャンパンを飲みながら一渡り見廻して、品定めをするという次第です。品定めが済めば、二人で近くのホテルに行くのです。
 相場はショートで、シャンパン代とホテル代も含めて$50。当時は固定相場で、$1=300円でした。つまり1万5000円也 ― 。
 はるばる花のパリーにやってきて、明日、目が覚めれば日本に帰る飛行機に乗るだけ。お金を使うとすれば、アンカレッジの売店で土産物を買い足すか、日本に再入国するときの関税だけ ― というのに、ケチなオヤジもいるもので、私に値引き交渉をさせようとするヤカラがいました。

 路上で客引きをしている♀ならいざ知らず、この手の店ではいくら粘ったところで、値引きには応じてくれません。面倒なので、$40で話をつけたといって、私が$10を負担したことも何度かありました。
 ポン引きや幇間みたいなことをしていた ― とはいっても、私にはなんの役得もないのです。
「いつもお世話になるから……」といって、店のマダム ― 吉原のようなところでいえば遣り手婆 ― がシャンパンを出してくれようとしたこともありますが、当時の私はアルコールに対して晩熟(おくて)でありました。ワインをグラス一杯呑めば酔っ払っていたのです。
「アン・キャール・ドゥ・ヴィッテル」でいいから、といって、500ミリリットルのミネラルウォーターをもらっていました。
 蛇足ですが、ホテルのロビーで待ち合わせたりするときはコーヒーは飲まず、ミネラルウォーターを頼むのが普通でした。
アン・キャール(四分の一=500ミリリットル)のヴィッテルかエヴィアンです。

 大概は値段の交渉が終わって、客と♀が店を出て行くのを見届けると引き揚げてしまうのですが、中にはコトが終わったあと、午前二時三時という時間ですから、タクシーを捕まえられるかどうか、ホテルに帰れるかどうか不安だという我が儘な人がおりました。
「バカヤロウ」とケツをまくりたいところですが、会社の幹部との繋がりを考えると、ムゲに断わるわけにも参りません。
 客が娼婦とよろしくやっているのを、ミネラルウォーターをちびりちびりとやりながら待っているという、情けなくも哀れな一晩を過ごすのです。

「お酉様だ」といったオヤジもピガール広場に案内しました。
 その人は黙って$50を払い、ホテルの名を書いたカードを渡すだけで解放されましたが、近年になって、酉の市と聞くと、新宿花園神社や浅草鷲神社で呑んだことより、顔も名前も忘れてしまったそのオヤジのことを思い出すのです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿