桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

廣壽寺から前ヶ崎城跡へ

2010年08月30日 11時09分53秒 | のんびり散策

 日曜日は朝の散歩に出なかったので、夕方、少し涼しくなってから散策に出ました。廣壽寺を目指しました。



 庭に植え替えた桔梗殿が思い出したように、一輪ずつ花を開いています。
 その花の蜜を吸いに、シジミ蝶がきていました。桔梗殿は代替わりさせながら二十年も手許に置いていますが、蝶がきたのを見るのは初めてです。
 受粉して種ができるかもしれない。愉しみです。



 台地を下り、台地を上って下り、もう一度台地を上って、廣壽寺の山門まで千六百余歩。
 坂があるので、同じとは感じられませんが、前に勤務していた会社~最寄りの市川大野駅間とほぼ同じ距離です。毎日この距離を通勤していたのか、と思い返すと、ちょっとゲッソリし、二度と歩くことはないのだと思うと、幸せな感じがします。



 山門の
すぐ後ろにあった石蕗(ツワブキ)。



 廣壽寺御本尊の観音菩薩坐像。直接見ることができないので、説明板を撮影。

 廣壽寺のあとは清瀧院へ足を延ばすことにしました。



 廣壽寺と清瀧院の間にあった江戸川八十八か所第五十五番札所。
 祠が建っているだけで、見たところは何も説明がありませんが、木の村・コレクションというホームページの中の「江戸川四國札所」によると、この祠の名称は染谷大師。この近辺には「染谷」という苗字の家がたくさんありますが、それと関係があるのかどうか……。

 前後を挟む五十四番と五十六番、両方とも寶蔵院。これから向かう清瀧院が三十五番。金曜日、坂川を遡ってたどり着いた金乗院(こんじょういん)が四十九番。新松戸の旧庵から一番近かった正福寺が七十四番となっていました。



 畠の真ん中にポツンと建つ清瀧院。
 画像と違って、実際は左右に拡がる畠が視野に入るので、ほんの一瞬だけですが、奈良の西の京から斑鳩にかけての野にいるような気分になります。

 清瀧院の後背地は緩やかに下って谷になっています。川が流れているに違いないと思いましたが、道は清瀧院で行き止まりになっていて、下る道が見当たりません。 



 下る道を捜していたら、大きく迂回させられることになりました。おかげで名都借(なづかり)の香取神社を見つけました。このあたりの神社にしては杜も深く、なかなか荘厳な雰囲気がありました。

 


 香取神社の狛犬。



 すでに色づき始めている柿も見つけることができました。



 清瀧院から徒歩十一分。川があることはありました。しかし、用水路のような川で、橋には名もなく、川の名前もわかりませんでした。

 川を越えると柏市という標示が眼に飛び込んできて、ちょっと意表を突かれたこともあり、どのあたりを歩いているのかわからなくなってしまいました。

 このあたりで庵を出てから六千歩。
 六千歩を超えると脚に疲れを覚えます。一番いいのは歩くだけでなく、もっと総合的な運動をすることだと思いますが、いまのところは歩く以外に方法がありません。もっと歩いて鍛えておかなくては……と思いながら、まだ強い西日を正面から受けて、闇雲に歩きます。

 車が頻繁に通る道が見えてきたと思ったら、見覚えのあるフライイングガーデンの看板が眼に入りました。坂川に架かる富士見橋近くに出たのです。
 方向違いですが、外出ついでに行きたいところがあったので、これ以上足を延ばすのはやめにして、踵を返しました。



 前ヶ崎城跡。一度見ているので、通りがかっても通過していましたが、久しぶりに上ってみました。



 南北350メートルにわたる城郭だったようですが、いま、遺されているのは北端に位置するこの本郭跡だけです。



 土塁跡。土塁を越えると裏口がありました。出た道は寶蔵院につづく高台の道でした。



 再び寶蔵院にきました。前回きたときは早朝です。庫裡の門灯が点いていましたが、人のいる気配は感じられませんでした。まだ日暮れ前で充分に明るいのに門灯は点されたまま。やはり無住の寺のようです。



 寶蔵院前から富士川に下る山道。前回見つけて、恐る恐る下ってみたら、下の道路に出られることがわかりました。



 自宅には寄らず、違う道を通って本土寺の参道に出ました。雨のない日はすでに二週間を超え、十七日連続となりました。参道脇の紫陽花はますます悲惨な状況です。

 行こうと思っていたのは旧小金宿本陣跡です。
 標柱が建てられているだけで、痕跡は何もないとわかっていますが、所在がハッキリと知れず、機会あるごとに捜しながら見つけられなかったのです。
 旧水戸街道に遺されている玉屋という旅籠が本陣跡と思いこんでいる人もいるようですが、明らかに違います。インターネットをさまよっていて、ようやく場所が確認できたのです。



 旧水戸街道から本陣跡に入る路地の入口。入るとすぐ左手にあります。
 私が所在を知った地図と現実とでは入口に当たる店が違っていて、こんな路地を二往復半させられました。



 ようやく見つけました。確かに標柱が建っているだけ。
 説明には代々大塚家が経営に当たっていたとありますが、右に見える玄関には「大塚」さんの表札がありました。



 今週、といっても月が変わってからの週末ですが、土曜日曜と小金宿まつりがあります。本土寺参道にはこの夜から提灯が吊されました。


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