昨日はさすがに歩き疲れました。目的を達することができなかったので、なおさらです。
富士川の源泉・大清水(おおしみず)湧水の探索を試みたのですが、途中で道を間違えて、どこを歩いているのかわからなくなり、やっと土地勘のあるところに辿り着いたころには脚が棒のようになっていて、それ以上歩く気力を失っていました。その失敗の過程を振り返ります。
出発してすぐ常磐線を跨線橋で越えたところにある東雷神社。東雷? なんと読んだらいいのかわかりません。鳥居も珍しい。稚児柱に支えられた両部鳥居(四脚鳥居ともいう)です。上は跨線橋から見下ろした画像。
途中で富士川の支流・平賀川を渡ります。今夏はまったくといっていいほど雨がありませんが、画像下は昭和五十年七月の集中豪雨で浸水した水位を示す注意書きです。中央のほんのりと赤い横線。
根木内城址橋から上富士川の探索を始めました。
柏方面に向かう旧水戸街道。
川に沿った道はないので、できるだけ川に近い道を捜し、橋を渡る道があれば行ってカメラに収め、また元の道に戻って、橋のある道に出会うのを待つ、という繰り返しです。
根木内城址橋から歩き始めて、最初に出会った橋からの眺め。橋の名は不明。カルガモたちに混じってコサギが一羽おりました。
次に見つけた橋は橋のていを成していません。
この橋に出会ったのが失敗の始まり。この川は上富士川だと私は思い込んでいますが、支流でした。
橋を越えるとすぐ、川に沿った農道のような道がありました。プリントして携帯していた地図には川沿いの道はありません。
なんだ、ちゃんと道があるじゃないか、と間違っているとも知らずに歩き始めました。道の左に川、右はゴルフ場でした。
このゴルフ場も地図に載っていないのが不思議でしたが、それよりも道が途中で行き止まりになっているのではないか、というほうが不安でした。
じつはゴルフ場は地図には載っているのです。違う道を進んでいるので、私がプリントした部分には載っていなかった、というだけの話。
山裾を流れる清流という感じです。ザリガニもたくさんいました。
民家の軒先をかすめて流れています。
私の前方を歩いていた親子。
追いついたら、この道が行き止まりでないのかどうか、訊ねてみようと思っていたのですが、まさに二人に追いつかんとしたとき、車が走る道路が見えたので、訊ねずじまいでした。
道路さえ見えなければ声をかけていたはずで、見当違いの方向を歩いていたことも気づかされたはず……。
その道路に出て再び地図を取り出しましたが、道路の走り方が地図と実際とでは全然違う。違う場所なのですから当たり前です。
新興住宅地に出たところで住所表示を見ると、柏市中新宿とありました。目指す大清水湧水があるのは柏市酒井根というところです。
方向違いなので、私が持っている地図には中新宿という地名が載っていない。どっちを目指せば酒井根というところへ行けるのか見当もつかない。探索はやめにするかと思い始めながらも、自分の家がどっちなのかもわからなくなっています。
新興住宅地を抜けて交通量の多い道路に出ると、北小金駅行の東武バスとすれ違いました。すなわち北小金には背を向けて歩きつづけているわけで、再び正しい方向に戻ったと思っています。探索を続行する意欲が戻ってきました。
が、しばらく歩いて次に目にした住所表示は流山市向小金(むかいこがね)。
ナガレヤマ??……。
香取神社があったので、しばし木陰で休ませてもらって、頭の混乱を鎮めようと試みました。
香取神社前にあった一里塚の碑。
お江戸日本橋から七つ目、すなわち七里。昔の一里塚跡です。
道路工事で消滅してしまった塚を記念して昭和六十二年に建てられたもの。「下陰を さがしてよぶや 親の馬」という小林一茶の句碑がありました。
私が歩いていたのは旧水戸街道で、全然方向違いの柏駅に向かって歩いていたのでした。ここで間違っていることに気がつきましたが、正しき方向はわからない。
香取神社。元禄年間(1688年-1703年)の創建とだけ伝わる旧向小金新田の産土神(うぶすながみ)です。ここも両部鳥居でした。祭神は径津主命(ふつぬしのみこと)。
昨日もこんな夏空でした。香取神社の木陰で小休止したとき、マグボトルに入れてきたダカラは飲み干してしまっていました。
流山市内で見つけた桔梗殿を愛でる家。
どこをどう歩いたものやら……廣池学園の広大な敷地の間を抜けて歩いているときこそ、豊かな木々の恩恵を受けましたが、抜け出るとまた日陰のない新興住宅地です。富士川はどこに行ってしまったのか、見当もつきません。
強烈な西日を正面から受けながら、広い道路を歩いていたら、「ここから松戸市」という道路標識が見え、左手に団地らしき建物群が見えました。
きたのは初めてですが、これが小金原団地なのだろうと思うと、探索を続行する気は完全に失われました。やっと正常な道筋に戻ったとはいえ、大清水湧水まではまだまだ距離があるのです。
北小金駅までバスで帰ろうと思いましたが、最寄りのバス停に着いてみると、路線バスではなくコミュニティバスの停留所で、なんと一時間に一本しかありません。間合いが悪く、ちょうど三十分待ちでした。腰掛けて待てるような日陰もない。
で、やむなくテクテク、と。
再び平賀川を越えて我が庵も近くなったところ。鉄錆びた看板に描かれた文字は辛うじて「しろがねフード」と読めます。
猫じゃらしにじゃれる猫殿を見つけました。
行きと同じく常磐線を跨線橋で越えて、ようやく我が庵が近くなってきました。しかし、最後に待ち受けているのはこんな急坂なのです。
私は脚が長いので(?)、かつては大股でスイスイと歩いたものでした。歳とともに知らず知らず歩幅が狭くなり、ピッチも遅くなっているので、歩みものろくなりました。
本土寺の参道を歩いていると、若い勤め人ふうの男にスイスイと抜かれるようになって、実感を新たにしていましたが、この坂で女子高生に追い抜かれるとは思わなんだ。
庵に帰ったあとで、歩いたところを検証してみたら、とんでもない方向を歩いていました。この日は11キロ以上も歩いたことになります。
http://chizuz.com/map/map74353.html
酒井根リベンジまってます。暑いので気をつけて(>_<)