秋分の日、我が庵があるマンション裏手の通り-私が金木犀(キンモクセイ)通りと名づけている道で金木犀が咲きました。
ブログの更新は写真を撮ってからと思っていたのですが、写真を撮る機会がなかなか訪れません。撮るとしたら、勤めに出るときしかないのですが、高木なので、見上げて撮すアングルしかなく、すると朝の空の明るさが邪魔になるのです。
今朝は払暁まで雨。
出勤時の空は厚い雲に覆われていたので、なんとかカメラに収めることができました。
金木犀の開花とともに、曼珠沙華の花が終わり、梨の季節も終わりました。月曜日から蝉の声も聴きません。
金木犀の香りを嗅ぐと、大学時代、ことに一年生のときの大学祭を思い出します。つれて、死んでしまった同級生のS・Tを思い出します。
学科でたこ焼き店を出すことになり、私が屋台の裏で蛸の足(誰が仕入れてきたのか憶えがありませんが、本物でした)を刻み、S・Tたちが覚束ない手つきでたこ焼きを焼きながら接客していました。私たちが屋台を開いたすぐそばに金木犀の樹があって、甘酸っぱい香りを漂わせていました。
それから三年後、S・Tがあっけなく死んでしまうとは考えてもいませんでした。
心なしか、過去を思い出すことしきりです。秋のせいでしょうか。
ブログに江戸時代の医師・橘南谿さんのことを書いたら、急に読み返してみたくなって、千葉県立西部図書館で本を四冊借り出してきました。
奇を衒っているわけではありませんが、私が借りたいと思うような本は、この図書館では自由に閲覧できる開架書庫にはありません。係員に頼んで閉架書庫から出してもらわなければならないので、実際にはどんな内容で、どんな装丁の本なのか、出てくるまでわからないのです。
前に、私にとっては重いだけの「藤岡屋日記」を借りてしまうという大失敗を犯したのも、事前に見ることができなかったからです。
幸い今回は平凡社の東洋文庫二冊、吉川弘文館の日本随筆大成一冊、昭和初期の有朋堂文庫一冊と、本の体裁も、大体の重量もわかっていたので、四冊借りることにしました。
これは南谿さんの故郷・久居市立図書館(三重県)に所蔵されている像です。非常に特異な様相をしています。
南谿さんは喘息持ちだったそうです。医者の不養生ではありません。現代でも喘息は厄介な病気なのですから……。
図書館のすぐ近くに21世紀の森と広場があります。芝生に寝っ転がって南谿さんを読もうと立ち寄ってみました。
50ヘクタールという広さがあります。東京ドームに換算すると、十一個分の広さだと案内書きに記されています。
新聞記者をしているころ、橋の長さを著わすのに、東京タワーを○つ繋いだ長さと書いたり、ダムの貯水量や湖面の広さを著わすのに、東京ドーム○杯分(私が現役のころは後楽園球場でしたが)と表現したりしていました。
3キロと書くより、東京タワーを約十塔ぶん繋げた長さ、と書いたほうがわかりやすいという説を誰も不思議とは思わず、ただ電卓を叩いて書き直していたのに過ぎませんが、私は東京タワーを縦に十塔並べた長さや高さと書いて、一体誰に見当がつけられるのだろうと思ったものでした。東京タワーを見たことのある人にも見当がつかないのに、世には見たことのない人だっているのです。
広場の中に千駄堀池があり、池の畔にカフェルームとは名ばかりのカフェルームがありました。そこで餡パンと冷茶を買って芝生の上に寝っ転がりました。
大地の上で身体を伸ばすのにはいい気候ですが、本を読むのには少し風が強い日でした。2ページも読まないうちに、苛々してきたので、読書は中止。
この千駄堀池も5ヘクタール、東京ドーム約一個分と案内書きにあります。
園内のガイドマップです。右中央の水色部分が千駄堀池。
秋桜(コスモス)の群落があったので、撮影しました。ガイドマップでいうと、左側中央の濃い緑色のあたりです。
野良の母猫殿に行き渡らせるだけのミオを持っていなかったことを後悔させられた翌日から、鞄には二袋忍ばせておくことにしました。せっかくですからそれまで持っていたのとは味の異なるものを買っているのですが、あいにく野良殿に出くわすことがありません。
21世紀の森と広場から武蔵野線の新八柱駅に戻る途中、行きずりの野良殿にでも会えば、と思っていましたが、一匹だに見かけませんでした。
野良猫といえば…
新松戸のスリーエフ階段下か前の橋の脇あたりに いつも白にゃんこがいるんですよ!!
まだ 3ヶ月くらいかなぁ
めちゃ 可愛いですよ
夜の方が出現率多いので 今度 仕事帰りにちょっと足を延ばして見に行ってみて下さい☆