桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

醫王寺と蓮の花

2011年07月22日 22時15分58秒 | のんびり散策

 時期的には少し早いかもしれないと思いながら、手賀沼の蓮の花を見に行ってきました。
 浅草に棲んでいたころ、よく不忍池の蓮を見に行っていました。

 蓮は朝早く咲いて、昼にはほとんど閉じてしまいます。
 手賀沼まで行くのですから、先に鷲野谷という集落にある醫王寺に寄ることにしました。山崎辨榮(べんねい)さんと經譽愚底(きょうよ・ぐてい)さんのお墓参りもすることにします。



 我孫子駅からバスに乗り、いつものように ― といってもまだ二度目ですが ― スポーツ広場前というバス停で降りました。



 バスを降りて田舎道をトコトコと歩くこと十数分。醫王寺に着きました。
 寛正二年(1461年)、經譽愚底上人が開創した浄土宗のお寺です。經譽さんは木曽の洗馬というところから、ここ鷲野谷にきて庵を結び、のちに我が庵の近くにある小金の東漸寺などを開かれた方です。



 醫王寺境内の公孫樹(イチョウ)の古木。
 樹齢等を記した標識はありませんが、なにゆえにこのように垂れたのか。鍾乳洞のような瘤です。



 本堂より一段高いところにある薬師堂。
 安置されている薬師如来は長禄二年(1458年)に彫られたものです。開帳されるのは寅年だけ、十二年に一度です。
 寅年といえば去年ですが、四月十八日に御開帳が行なわれたそうです。私がこのお寺の存在を知って訪ねたのは御開帳に遅れること半年の去年の十月末でした。

 この日は二十二日でした。
 東京・本郷で偶然見つけた本郷薬師堂には八日、十二日、二十二日が薬師如来の縁日と書かれてありました。
 八日以外に十二日と二十二日も縁日という言い伝えは初めて知りましたが、調べてみると、愛媛県東温市にある香積寺というお寺の本尊は薬師如来で、ここでは毎月十二日が縁日だということです。
 この日、この寺では何事もなく、境内はひっそりと静まり返っていました。



 經譽愚底さんのお墓です。薬師堂の左手 ― 墓所へつづく小径を進んで行くとありました。東漸寺その他の寺を開いたあと、最初に開いたこの寺に戻ってきて、永正十四年(1517年)、この寺で示寂。

 中を覗いても、暗過ぎるのとレンズを突っ込むにしても、格子の空き方がちょうど具合が悪いのとで、撮すことができませんでしたが、この中に「經譽愚底上人之墓」と彫られた墓石がありました。



 こちらは前回もお参りした辨榮聖者こと山崎辯榮(1859年-1920年)さんのお墓です。



 鷲野谷の集落をあとにして、將門神社のある岩井集落に向かいます。途中は一面の玉蜀黍(トウモロコシ)畑でした。



 醫王寺から岩井集落の中心にある龍光院までは歩いて十分足らず。

 


 龍光院境内。
 將門の娘・如蔵尼が將門と一門の菩提を弔うために建てたといわれる地蔵堂(上)と將門神社(下)です。



 鷲野谷も岩井も集落は小高い丘の上にあります。といっても、標高は10数メートルに過ぎません。しかし、それだけでも陽気が異なるのか、松戸流山地区ではこの手の紫陽花(アジサイ)はすでに花期を終えてしまっているのに、ここではまだ咲いておりました。

 


 最後に手賀沼の蓮を見に行きました。今年は七月三十日に、蓮を見るボートや遊覧船が出るという催しがあるそうなので、行ってみようかと思っています。

 手賀沼に蓮の群生ができるようになったのは、昭和二十三年ごろ、付近の農家が沼の浅瀬や付近の水田で栽培したのが始まりだといわれています。その当時の手賀沼には、完全な堤防もなかったので、根茎が沼地内へ伸びたり、出荷時に沼の澄んだ水で蓮根を洗った際に不良品として捨てられたものが自生したりして、五十年の歳月を経て10ヘクタールにも及ぶ大群生地となったということです。



 手賀大橋たもとにある道の駅・しょうなん近くに梨園がありました。
 我が庵近くにある梨園と同じようにネットが張られていましたが、入口が開いていました。人がいれば一言断わって見せてもらおうと中を覗きましたが、人の気配はありませんでした。
 そこで無断で足を踏み入れ、何枚か撮影しました。種類が異なるのかもしれませんが、我が庵近くの梨よりふた回りほど大きく、色づきもひと足早いようです。



 道の駅しょうなん。

 

 我孫子駅近くまで戻ってきて、興陽寺に寄りました。画像上が本堂、下が薬師堂です。

 今年の二月八日、ここへ薬師詣でにきています。非常に寒い日だったということもあったのかもしれませんが、その日の私の体調はすこぶるつきの悪さでした。いまから思えば、恐らく胃潰瘍が再発していたのでしょう。


 二十一日の夜、最後のランサップ400錠を服んでヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)の除菌療法が終わりました。
 薬を服んでいた一週間の間、断酒も達成しました。煙草をやめる前と同じように、優柔不断なワタクシめに断酒ができるのだろうかと危ぶみましたが、枯渇感が極まって発狂するようなこともなく、一週間は淡々と過ぎました。
 その勢いでアルコールをやめられるのではないかというと、これがやめられないのです。

 喫煙は入院したときに絶って、もう一年半以上になります。
 正しくは一年と少しです。去年の初夏、いろいろなことが重なって、生きて行くのはもういいか、と気持ちが切れかかったとき、死ぬ前に何をしたいだろうかと考えて、おもむろに煙草を買ってきて、確か二本……吸いましたので、一年と少しということになるのです。



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