今朝もいつもの公園まで散歩。まだ六時過ぎという早い時間なのに、ガキどもが集まっていました。
何事ならんと思ったら、ラジオ体操でした。今日から学校は夏休みです。
ガキどもが現われたりすると、身を翻して逃げてしまうのが常の於京(おけい)が集団から遠く離れながらも、逃げることなく坐っていました。ラジオ体操など見たことがないので、珍しかったのでしょうか。
しかし、眠そうでした。眠いのなら寝てしまえばいいのに、私の近くに坐ったままで、ときおり目を閉じて眠っていました。
今朝はちゃんと食器を用意しておきました。ジャム瓶の蓋一杯のミオでは食べ足りぬようだったので、特別にお代わり一杯追加。
仕事のない私には土曜も日曜もないのですが、世間も休みだと思えば、どこかへ出掛けるかと思ったり、部屋の片づけをするかと思ったりします。
いまの私は引っ越しを控えているので、土日を問わず荷造りにかからなければならぬのですが、引っ越しを頼んだ運送屋さんの都合で、月曜日でないと段ボールの手配がつかないというのです。この土日で少しでも荷造りを進めて行こうと目論んでいたのに予定を狂わされ、焦りも手伝って落ち著かない気分です。
食器や割れやすいものを新聞紙でくるんだり、靴を箱に入れて紐で縛ったりと、できることもあるのですが、食器棚を空にしても、代わりに床が置き場所になって、少しずつ足の踏み場がなくなってくるだけ、と思うとイマイチ気が進みません。
九時になるかならないか、キーンキーンという金属音が響き始めました。カッターでアスファルトを切っている音です。先月からマンション前の道路で水道工事が始まっているのです。
工事期間は九月初旬までの二か月半。長さ130メートルほどの道路にしては随分時間をかけるもんだ、と思ったら、日によって路地に入ったり、また戻ってきたりしています。
ひが目かもしれませんが、暑苦しい騒音を伴う工事はわざと暑い季節を選んでやるような気がします。
私はエアコンが苦手な体質なので、夏は窓を開け放しにしています。すると、こういう金属音はたまりません。避難して図書館でも行くかと思い立ちました。
外へ出ると、陽射しが翳っていて、昨日ほどの暑さではないようです。
ところが、新松戸で電車を待っている間、また陽射しが戻ってきて、ムッとする暑さになりました。県立西部図書館は新八柱まで一駅だけ武蔵野線に乗り、十数分歩かなければなりません。この暑さの中を図書館まで歩くのはちょっとかったるいかな、と気持ちが引きかけたとき、そういえばそろそろ最後かもしれない、と気づくことがありました。
最後、というのは新鎌ヶ谷駅前にある桔梗の花期のことです。
今年二月、偶然その駅で降りることになって、駅前に桔梗が植えられ、鎌ヶ谷市の市の花が桔梗であると知ったのです。急遽図書館行は変更。桔梗を見に行くことにしました。
新八柱で新京成に乗り換えて十二分。改札を出たら、100メートルほど手前から桔梗の花壇が見えました。目に入ったときから私の目尻は垂れ下がり、顔はほころんでいます。懐かしい友達に会ったような気分です。
開花の時期が取手の高井城趾の群落と一緒だとすると、二週間近く前が最盛期です。すでに萎れた花が目立つのは仕方がありません。
その数、百株? では、きかないか。数は結構ありますが、生えるに任せて放ってあるという印象です。折角植えたのですから、もうちょっとやりようはないかなと感じました。
私を緑関係の嘱託で雇ってくれれば、もし予算がないというのなら、交通費だけのボランティアでもいいが、丹精込めて、たとえば次の画像のように……。
これは紫式部ゆかりの京都・廬山寺の源氏庭に咲く桔梗です。
予算がなければ、白い石を敷き詰める、てな具合にはいかないかもしれませんが、せめて少しずつ株をまとめて、と考えるのですが。
近くに佐津間城という戦国期の城跡があると知ったので、このあと向かうことにしました。
大宮神社。
新鎌ヶ谷から歩き始めて二十数分。鳥居が見えたので寄ってみましたが、無人でした。
千葉県神社名鑑によると、祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。元禄三年(1690年)三月に再建したという記録が遺っているようですが、それ以前の由緒および沿革は不明。
新鎌ヶ谷駅から佐津間城趾間(2・2キロ)で初めて、であり、ただ一軒だけ出会った民家の桔梗です。
鎌ヶ谷市の市の花が桔梗になったのには、いわく因縁があるわけではありません。一種のファン投票によって決まったのです。
決め方は構わないけれども、桔梗がよいという市民が一番多かったからには、全戸、とまではもちろん期待しないが、何軒か桔梗を愛でている家があるのだろうと思いました。
しかし、行けども行けども桔梗の花はない。
フン、所詮はこんなことか! これが民意というヤツの正体なのだ。
帽子は被っていましたが、いまにも血液が沸騰するかのような暑さで八つ当たり気味でした。
それでも一軒だけでも桔梗を植えてくれている家があってよかった。
佐津間城趾は新鎌ヶ谷の駅からさほどの距離でもないと思ったのですが、地図を読み違えていました。東武線で一つ柏寄りの六実駅を新鎌ヶ谷駅だと思い込んでいたのです。
歩き始めれば、すぐあるはずの大宮神社がなかなか見えてこないので、待てよ、と思って地図を開いたら、かくの如し、だったわけです。
引き返すのも業腹なので歩きつづけましたが、結局三十分も歩いてしまいました。
佐津間城趾。
鎌ヶ谷市内で城跡と認められるのは、ここを含めてただの二か所しかありません。左の画像の中央に石段がありますが、そこを上り詰めた右側あたりが本郭跡であろうと考えられています。
石段を上って行くと、空堀跡と思しき窪みがあったりしますが、いまの季節は藪蚊の季節です。覗き込もうと歩みを止めたとたんに、ウィーンとやってくるので、早々に尻尾を巻くことにしました。
佐津間城趾をあとにしたら、桔梗を愛でる家がさらにもう一軒ありました。この先になおも一軒ありましたが、庭の奥のほうだったので撮影できませんでした。
佐津間城趾から二十分。途中、日陰がまったくなかったので、一時間以上歩いた気分で、気息奄々となりながら東武線の高柳駅に辿り着きました。いつの間にか市境を越していて、この駅があるのは柏市です。
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