桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

小金道を歩く(1)

2010年07月08日 20時17分53秒 | 歴史

 今日八日の天気予報は曇のち雨。明日は雨のち曇。
 廣徳寺の境内清掃の儀はいっぺんにいろんなことをしようとせず、まず枯れ草の山をレーキでひっくり返しておくことから始めようかと思っていたのですが、雨というのでは、濡れていないところをわざわざ濡らすことになり、賽の河原の石積みのようなことになってしまいます。日曜日あたり、天気がよいようであればいよいよ行ってみませうか、と考えていたところ……。
 九時になると、いきなりビャービャーと不審な機械音。ヘッジトリマーというヤツの騒音で、どうも我がマンションの植木の剪定に、植木屋さんが入ったらしい。十時になっても十一時になっても熄む気配がありません。
 ッたく! 
このクソ暑いときにルッセェなァと思っていたら、さらに廃品回収車の来襲。よりによって私をもっとも苛立たせるシンジケートの車がやってきやがりました。そうするうちにもう一台。これも常連。二台が右から左からと入り乱れて、交互に右へ行ったり左へ行ったり……。

 最悪じゃ! と思わせたのは、参議院選挙の立会演説をするという、これまた私がもっとも信用できぬと思っている政党の街宣車がきて、我が庵周辺はまったくの騒音の坩堝(るつぼ)と化してしまったことであります。
 候補者みずからこの車に乗っています !!  後ろで手を振っているのが候補者です! と、まるで鬼の首でも取ったみたいなことを盛んにいっていましたが、ンなこたぁ当ったりめぇの話じゃねぇか。

 寄ってたかって、こいつら本当にウルセェ!
 私はダカラをマグボトルに詰め、カメラとキャッティという旅支度を整えて、どこかへ避難することにしたのでした。
 外へ出てみると、曇のはずがカンカン照りです。
 どこへ行くべぇかと思案しながら歩いているうちに、そうだ、小林一茶の歩いた小金道の半分だけ歩いてみようと思いついて、「←流山・北小金→」の標示があるT字路へ。



 小金道を歩く試みはここからスタートします。

 


 上・我が庵から一番近いお寺・正福寺。四日前の朝の散歩で立ち寄ったばかり。女躰神社(下)ともども写真を撮っただけで通過。



 新横須賀橋で坂川を渡ります。ここから流山市。
 一茶の時代(1763年-1828年)はまだ放水路(新坂川)が整備されておらず、坂川は逆川と呼ばれて、しばしば洪水を起こしていたはずです。



 雷(いかずち)神社。ここは初めてだったので参拝しました。
 創建はいつの時代なのか不詳ですが、江戸時代に入って再建されたということだけわかっているようです。祭神は大雷神(おおいかずちのかみ)。吉川の蕎高神社と同じように、ここも狛犬の配置が一般とは逆になっていました。



 この神社では毎年一月の二十日に、享保年間(1716年-36年)からつづくといわれている「鰭ケ崎おびしゃ行事」が行なわれます。赤鬼青鬼の面をあしらった的に矢を射て邪悪を払うという行事です。
 かつては千葉県内の利根川流域の多くの神社で行なわれていたのですが、いまはどこも継承する人がいなくなり、この雷神社の祭は貴重だということです。
※写真は流山市のホームページから拝借しました。



 鰭ヶ崎の東福寺。ここも参道入口だけを撮影して通過。



 県道白井流山線に出ました。
 街路樹は桜です。しばらくこの道に沿って歩き、用水路(神明堀)に出くわしたところで、用水路沿いに右折。



 用水路沿いの道の二階で風にはためいているものがありました。以前もこの前を通ったことがあって、なんだろうと思ったものでした。大きなものはコントラバスの胴体のような形をしています。
 しばらく立ち止まって見上げていたら、車が停まってオーナーらしき初老の紳士が降りてきました。思い切って声をかけたら、果たしてオーナーでありました。

 風にはためくものの正体はコードバンでありました。
 この工場では染料染めだけをしていて、染料染めをしているメーカーは日本ではただ一社だけだそうです。他のメーカーでは塗料染めをせず、上塗りだけをするので、使い込んでもコードバン独特の艶が出ないのだ、とか。
 ふーむ。靴にせよ小銭入れにせよ、コードバンがほしいと思っていたけれど、ちょっと値が張るので……私が持っているのは付箋ホルダだけです。



 流山街道を突っ切って歩いていると、江戸川の堤防が見えてきました。もう少し手前で右に折れなければならなかったようです。



 曹洞宗流山寺。二度目なのでここも写真だけで通過。

 


 赤城神社と境内のムクロジ(無患子=下の画像中央の樹)です。
 ここは三度目ですが、ムクロジがあるので入らせてもらいました。すでに花は散ってしまったようでした。



 真言宗豊山派光明院。本堂はまだ工事中でした。



 前は素通りしましたが、今日は最終目的地の一茶双樹記念館。一茶寄寓の地です。入館料100円也を払って入り、「葛飾下総今様小金道繪圖」(¥200)も手に入れました。



 これを開くと、馬橋にある大川立砂邸からここまで、一茶が歩いたであろうと考えられる経路の地図があります。
 版型が大き過ぎるので、我がスキャナでは取り込めず、ここに載せることはできませんが、当てずっぽうで歩いてきた道は大体正解でありました。

 
 


 上・この時期にはいかにも涼しそうな双樹亭。中・双樹亭前の枯山水の庭。下・「夕月や 流残りの きりぎりす」の句碑。一茶が流山で詠んだ句です。



 一茶双樹記念館を出てしばらく歩いたところ、民家の玄関先で見つけた桔梗の鉢植え。桔梗のある家を見つけたのは流山市内では二軒目です。

 


 流鉄の平和台駅近く、イトーヨーカ堂の中。
 ミスタードーナツやKFCがあり、各店共通のテーブルでセルフサービスで食べます。去年の夏、守谷駅ではこういう形式のところで食べるのは抵抗を覚えたものですが、いまではとくにこだわりはなくなりました。
 私は天狗麺房という店のサラダうどんなるものを食べました。胡麻だれの冷やしうどんの上に貝割れ大根、キュウリ、トマトなどの野菜サラダが乗っかっています。
 暑かったので冷やし中華を食べようかとこの店を選んだのですが、順番を待っている間、ふと目を惹かれたので初志を変更。
 結論。冷やし中華を食べるべきでありました。

 店内は冷房の効き過ぎです。ドップリと汗をかいていたので、最初こそ心地はいいが、ギンギンと冷え始めると、また偏頭痛が出るのではないかと心配になります。早々に食べ終えて、暑い盛りの街に出ました。



 帰りはさすがに疲れたので、歩く気力は完全に奪われていました。
 平和台駅から流鉄に乗って、二つ目の小金城趾駅で下車。ここから我が庵までは歩いて十分。左が私の乗ってきた電車です。

 今日歩いた小金道は3キロ強。半分ぐらいかなと思っておりましたが、馬橋~流山9・1キロ(先の「葛飾下総今様小金道繪圖」による)の三分の一に過ぎませんでした。

今回の地図です。


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2 コメント

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Unknown (雷光)
2010-07-12 01:27:30
今度の日曜日 18日に雷神社でお祭りがあります。
12時過ぎくらいからだと思いました。
体調が良ければ 見に来て下さい。
返信する
雷光殿 (桔梗)
2010-07-12 02:40:36
ご教示ありがとうございまする。
近いので是非行ってみようと思いまする。
返信する

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