私が住む地方では二月一日夕方から雪になりました。初雪でした。
雪だるまづくりなどとても望めないほどの微々たる積雪でしたが、うっすらと雪化粧した街を眺めることができました。
年に一度か二度しか望めない雪景色なのに、昨日は夜七時ごろからまた雪になりました。
我が庵から見下ろした雪景色です。上は今朝。下は二月二日朝(初雪の翌朝)に撮影した景色。樹木の冠雪を比較すると、昨日の雪のほうが多かったようです。
ところが、今朝は不思議なものを見たような気持ちになりました。
通勤電車でわずか十分しか離れていない市川大野ではまったく積雪がなかったのです。
両地点の間に丘はありますが、せいぜい標高20メートルほどの台地が点在しているだけで、山と呼べるようなものではありません。勤めを終えるころに雨に降られれば、自宅近くでも雨というのが当たり前なので、こんなに違うとは考えてもみませんでした。
通勤電車の窓から竹林の見える場所があります。普段はとくにどうということなく眺めますが、今日は雪の重みで、いっせいに頭を垂れているのを見て、写真に撮ることができればよかったのに、と思いました。
しかし、一秒もかからず通り過ぎてしまうので、あらかじめ知っていてカメラを構えていない限りは撮影不可能です。代わりに、あそこの竹林を撮ってやろうと思いました。市川大野の駅を降りると、右手に同じような竹林があるのが見えるのです。
ところが、ところが、でした。凍っていないどころか、濡れてもいない駅前の道を目にした私が見上げた竹林は、普段となんの変わりもない竹林だったのです。
当然通勤路も何事もなかったように乾いていました。ほんの二十分ほど前に自宅を出るときは、凍りついた道路に足を取られぬよう、抜き足差し足で歩かなければならなかったというのに……。
一面の雪景色であろうと楽しみにしていた「こざと公園」にも雪はありません。雪のように見えるのは霜です。
代わりに霜柱を見つけました。盛り上がりが小さいので、イマイチわかりにくいと思いますが……。
これは二月一日、初雪の降る前、「こざと公園」南園で見たアオサギ(中央)とチュウサギのつがいです。私が知る限り、アオサギはいつも単独行動です。
新松戸の駅から自宅までは徒歩九分弱です。山に分け入って行くわけでもなし、その程度の距離では、気温はさほど変わらないと思えるのですが、実際は如実に違います。
流鉄の踏切を渡ると、新坂川に架かる大谷口新橋があります。長さわずか十数メートルという短い橋ですが、いまの季節はここを渡るころからグンと冷え込むのが身に沁みてわかるのです。
春も夏も秋も、このあたりから気温が下がると意識することはありません。意識するのは真冬だけ。橋を渡りながら「おお、さぶ」と独り言を呟き、コートの襟を立てたり、マフラーを締め直したりして、そういえば、と思ったりするのです。
積雪も目に見えて多くなります。人通りが少なくなるということもあるでしょう。新松戸の駅前付近はベタベタと人が通るので、雪の積もる暇がないのです。
上・初雪の日の帰り道、午後八時過ぎに撮影したものです。下は昨日の帰り道。
今夜も大谷口新橋を渡ると、やっぱりだ。
ところどころに雪の凍りついた場所が残っていました。マンションの陰になっているので、まったく陽の当たらないところができるのです。
始末の悪いことには、そういうところは街路灯の光も乏しく、直前まできて初めて、凍っているとわかるのです。
あっと思って、踏み出した脚をそのまま踏み下ろさず、蹈鞴(たたら)を踏むような形になりました。身体をひねって脚の下ろし場所を捜しましたが、目をつけた場所もなんとなく黒っぽく、凍っているような気がしました。
瞬間的に抵抗するのを諦めました。凍っていたからといって、必ず滑ると限られているわけでもないし、ドンと尻餅を搗いたところで、顔から火が出るほど恥ずかしいような歳でもない。第一、目に見える範囲に歩いている人の姿はない。それよりも、避けるためになおも無理をすれば、筋肉痛が出かねない。
転んでもいいと諦めたのに、無事よけることができて(筋肉痛も出た様子がなく)、ふと気づいたことがあります。ひところと較べると、身体が軽いのです。
去年十一月の入院前、胃潰瘍が原因で多量に出血しているとも知らず、身体が重く感じられるのは、単純に歳のせいであり、運動不足のツケが回っているのだと感じていました。
電車に乗り遅れそうになって小走りを試みると、なんとか間に合ったとしても息が上がってしまって、電車の中でいつまでもゼイゼイハーハーとやっていました。大体息の上がる前に、脚が動きません。
これでも高校二年生から大学三年生ごろにかけては、100メートル10秒9(追い風参考ではあったけれども)という俊足だったのですよ、と遙か昔の話を、いまさら持ち出しても仕方がないが……。
退院後、年が明けて、三~四日に一度ぐらいは遅刻しそうになることには変わりがなく、小走りを強いられています。
依然脚の動かないことにも変わりはなく、息の上がることにも変わりはないものの、電車に乗れば、ゼイゼイハーハーするのは短時間で治まるようになっていたのです。
そんなことも思い返しながら、ちょっとうれしくなって頬を弛めながら帰ってきました。しかし、ゆめゆめ無理は禁物。
歳を取ったら気をつけること。昼夜を問わず、こういう道はなるべく歩かないこと。それから、餅を急いで食べないこと。
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