すでに半月が経過してしまったというのに、宙ぶらりんになったままのブログがあります。関西から友が訪ねてきてくれたときのブログです。
ボヤボヤしているうち、その友に東京での所用ができ、くるついでにまた訪ねてきてくれるというので、急ぎ結末をつけておかなくてはなりません。
初日は病み上がりの私に危惧したほどの不調は出ず、二日目。
前日(すなわち友人の来訪当日)、私がホテルを出たのは午前三時でした。庵に帰って眠りに就いたのは三時半。なのに、昂奮状態だったのか、八時には目覚めてしまいました。
友に電話を入れると、もう起きていて朝食も済ませたという返辞です。早速ホテルへ行って、私も朝食をとりました。
前夜は三日ぶりに酒を呑み、夜更かし&午前様で、寝不足のわりには身体が軋んでいません。
この日の計画は、まず大町自然観察園というところへ行き、水族館が好きだという友の意向を尊重して葛西水族園。そのあと水上バスで浜松町へ出て、どこかで食事、一献傾けたあと、新松戸へ戻るというものです。
満開の尾花。
桜や金木犀(キンモクセイ)の花とは違って、尾花の満開 ― という表現はちょっとしっくりしないところがありますが、満開というほかはありません。
ホテルに向かう途中、武蔵野貨物線の土手を見上げると、朝日を受けて美しく輝いていました。しかし、写真に撮ると、思ったほどの感動はない。カメラのせいか、撮し手の腕のせいか。
東松戸で北総鉄道に乗り換えて、大町駅で降りました。
私が食事を終えたのは九時半ごろでしたが、食事が終わっても話し込んでいたので、着いたときは昼を過ぎていました。
自然観察園までは500メートル足らず。ここで前日の無理が祟ってきたのか、身体が軋み始めました。入園してしばらく歩いたところで東屋を見つけて、早くも小休止です。
しばらく休んだら、ちょっと元気を恢復したので、園内を散策。カラスウリを見つけました。
手の届きそうな場所にありますが、私のコンパクトカメラではこういうふうには撮れません。友のちゃんとした一眼レフで撮った写真をもらい受けました。
完全に爆ぜた蒲の穂。駱駝を思わせます。
この時期、花はほとんどありませんでしたが、園内にはマヤラン、キンランという野生のラン科の植物があるそうです。しかし、年々数が減少しているらしい。二酸化炭素の増大が原因ではなく、泥棒が増加しているからなのだそうです。
昔から花盗っ人は罪にあらず、といいますが、山野草を根こそぎ持って行くというのは花盗っ人という風流の範疇ではない。周囲を慮ることを考えてもみぬ先天性のデコ助、ポン助、田舎者の仕業であり、泥棒です。
興醒めしてしまったので、早々に引き揚げ。
スタートが遅かったので、水族園に着いたのは三時過ぎになってしまいました。この日の第一の目的は水族館ではなく、水上バスに乗ることでした。
水族園に入る前に出船時間をチェック。四十分ほどの余裕しかなく、水族園は足早に駆け抜けて船上の人となりました。
出発するとすぐ船は荒川の河口を横切ります。
なかなかくる機会はありませんが、船から眺めるこの眺めは私のもっとも好きな風景の一つです。
橋や土手から見下ろすのと違って、船からの眺めは視点が低いというのがいい。秩父の奥からさまざまな流れを集めて、水がドウドウと押し寄せてくるのが肌に感じられるようです。
この日はあまり揺れませんでしたが、たまたま雨の降ったあとだったりすると、川から流れ出す水量に押されて、船がグラグラと揺れることもあります。
私は都会で生まれ、都会で育ったので、川といえば、両岸をコンクリートで固めたような川しか知りません。海といわれて眼に浮かぶのは、白い砂浜や岩に砕ける波ではなく、埠頭のような岸壁です。
豊かな自然に恵まれて育った人には味気ないかもしれませんが、私は草に覆われて青々とした川の土手、岩に砕ける波の見える海岸 ― そういうところで育ってみたかったと思ったことはありません。
むしろ、河原のない川である代わり、コンクリートの堤防ギリギリまで水が押し寄せ、ヒタヒタと波打つ川を見るほうが、自然の圧倒的な力を感じるように思えるのです。
レインボーブリッジの下をくぐり抜けました。
東京には馴染みも少なく、この船に乗るのはもちろん初めてという友はおおいに愉しんでくれたようです。
お台場に着くころには日没を迎えていました。
暗くなり始めると、屋形船がゾロゾロと現われました。何を眺めんとして集まってくるのか不明ですが、一艘二艘と集まってきました。
一方で、私の体調は非常に悪くなっていました。しかし、アルコールを入れると、麻痺するのでしょうか、持ち直すことがあるので、缶ビールを買って呑みましたが、前日の夜更かしと寝不足が祟って、一向に持ち直す気配がありません。
明るい時間だったら、私が我慢しているのを悟られてしまったかもしれませんが、幸い暗闇なので、友は気づかぬ様子です。
もともと口数が少ないという私の性向も幸いしたようで、あまり喋らなくても、不審には思われなかったのでしょう。
ゆりかもめで新橋駅に出ました。新橋に着くころにはようやく缶ビールが効いてきたのか、体調は少しよくなっていました。
しかし、ここで方向感覚を失うという失敗。
銀座方向に歩いて、どこかで軽く食事。軽く一献傾けたあと、日比谷で千代田線に乗って新松戸に戻ろうと考えていたのですが、かつて根城のようにしていたニュー新橋ビルを通り抜けたのが方向感覚を失った原因です。
ビルそのものは変わっていませんが、かつての根城とはいっても、思い返してみれば、根城にしていたのは十年以上も前の話です。
テナントはすっかり変わっているし、土曜日なので開いている店がない。通り抜けて、銀座のほうに向かっているつもりが、まったく方向違いを目指していました。
変だゾ、と気づいたのは、右側に愛宕神社の薄明かりを見たときです。銀座・日比谷方面に向かっていると思い込んでいるときに、予想もしなかった光景が眼に飛び込んできたので、動転して右も左もわからなくなってしまいました。
すでに宵闇に包まれているとはいえ、野中の田圃道で迷ったわけではなし、そんなに慌てなくてもよかったのですが、東京のことなど知らぬ我が友は、頭から私を信じてかたわらを歩いています。
幸い勤め人ふうの男性が信号待ちをしていたので、神谷町の駅を訊ねました。東京で道を訊ねるなど、私にとっては前代未聞のことです。
教えられるままに歩くと、馴染みのある愛宕山のトンネルに出ました。こうして神谷町の駅に辿り着き、無事新松戸に戻ることができましたが、すっかり動転したせいで、一献傾けようと思っていた気持ちも、ちょっと悪くなっていた体調のことも、すっかり忘れていました。
その夜は直接友の部屋に行って、手土産に持ってきてくれたオールドパー18年をチビリチビリ、と。
引き揚げたのはまた午前様で、二時半。
最終日の日曜は小田原の最乗寺を訪ね、海を見て、魚を食って、なおかつ時間があれば、湯河原で温泉に入って……最後は小田原駅で別れるつもりでしたが、突発的な仕事が発生して、私はまたまた日曜出勤。友人を四時間ほど独りにさせてしまいました。
結局その日はどこにも行けず、私が仕事から戻ってからはホテルの喫茶ルームで過ごすことになりました。
私が計画していた半分しか消化できなかったのにもかかわらず、心優しい友は私の身体のことばかり気遣ってくれました。
まだ若いころ、友達など要らぬ、惚れた女がそばにいてくれればよい、と粋がっていたものですが、寄る年波、かつ惚れた女もいないとなると、つくづく持つべきは友、との思いを新たにします。
二十時三十分発の「のぞみ」で帰る友を東京駅に見送って、私は京葉線乗り場へ。
無事勅使接待を終えた浅野内匠頭という心境で家路に着きました。
これは友からのお土産第二弾。数々あった中でも特筆すべきお土産です。
正体はコースターです。キイロトリという人気キャラクターらしいのですが、私には詳細はまだ不明。メインキャラではなく、サブらしいというのがよい。
ほかにも盛りだくさんなお土産がありましたが、ものによっては友人がどんな人物か特定できてしまう可能性もあり、そのことへの許可も得ていないので、ご開帳はここまでとします。
有名キャラのお友達です。