桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

久しぶりの横浜

2010年03月14日 08時08分28秒 | 日録

 一昨日、久しぶりに横浜へ行きました。去年の十月以来です。
 私の内勤の仕事が増えて、お役ご免がつづいていたのですが、一昨日はあいにく人を欠いてしまって、行ける者がいない。
 で、再び私にお鉢が回ってきました。



 しばらく通らなかった紫陽花径を通りました。かなり大きな芽が出ていました。



 横浜公園のチューリップ花壇を見るのが楽しみでしたが、あいにく改修工事中でした。花壇はフェンスで隠されていました。季節的にも少し早かったかもしれません。
 この公園はいつも通り抜けるだけでした。横浜スタジアムがあるほかは取り立てて特長のある公園ではないので、とくに注目することもなかったのですが、今回初めて横浜が開港した当時は港崎(みよざき)という遊郭があったのだと知りました。
 遊郭が公園に変わったのは火事が原因です。

 慶応二年(1866年)の十月二十一日朝、遊郭の南にあった豚肉屋・鉄五郎宅から出た火が遊郭に燃え広がり、遊女四百人以上の犠牲者が出たそうです。
 火はさらに外国人居留地、日本人町も舐め尽くし、鎮火したのは十四時間も経ってからでした。この火事は豚肉屋が火元だったので、豚屋火事とも関内大火ともいわれます。

 天気がよかったので、開港広場からは横浜ランドマークタワーがハッキリと見えました。

 開港広場隣にある横浜海岸教会。
 本邦初のプロテスタント系教会です。ここに石造りの小会堂が建設されたのは明治四年(1871年)のこと。翌年三月十日に日本基督公会が設立されました。
 現在の建物は関東大震災で倒壊したあと、昭和八年(1933年)に再建されたものですが、塔屋で鳴らされる鐘は明治八年の鋳造だそうです。



 横浜地裁裏から見た開港記念会館の後ろ姿。



 関内仲通り。
 開港広場のある通り(大桟橋通り)から日本大通り、みなと大通りと広い道路ばかりを横切って行くと、狭く、猥雑な感じのする通りに出ます。それが関内仲通りですが、いまはベイスターズ通りと呼ぶらしい。
 本町通りと横浜市役所裏手の尾上町通りを結ぶ、長さ400メートルほどの街路です。なんということのない、どこにでもあるような通りですが、私の好きな通りです。

 横切ってきた広い通り沿いには、神奈川県庁、横浜地裁、日銀と官公庁が多く、無機質で、よそ行きな感じがするのに対して、生活の臭い、人間の臭いが感じられるのがいいのかもしれません。
 関内へきたときの帰りは必ずこの道を通り、楽文堂という文具店を覗いて帰ることにしています。

 ベイスターズ通りという名前の由来は、この通りの終点・横浜市役所近くに、横浜ベイスターズの日本一を記念するモニュメントが設置されたことによるそうです。



 Barbarbarもベイスターズ通りにあります。この日も横目に眺めるだけで通過。
 一昨日十二日の出演は荒川和子(vo)、翌十三日土曜日はデキシー・ジャズ・オールスターズ、日曜は豊嶋映子(vo)。
 寡聞にして私の知らない人ばかり。

 


 1998年、優勝当時のメンバー四十人の手形があしらわれたベイスターズのモニュメント。上・いまはドラゴンズの谷繁、下・大魔神佐々木の手形。


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