三郷寺院巡りの〈つづき〉です。
延命院を出て、再び彦成通りに戻ります。とくに何かがあるという通りではありませんが、見知らぬ街の見知らぬ道を歩くのはなかなか佳い興を覚えるものです。
道は陽炎のようにゆら~りゆらりと曲がっています。
特段古い建物が遺っているわけではありません。ところどころにお寺があり、郵便局があり、開いているのかいないのか、閉店してしまったのか休業日なのか、わからないような小さな店があったりします。
ずーっと歩きながらふと気づいたのは、我が庵のある北小金の住宅地と同じように、コンビニが見当たらない、ということでした。
次に目指す東光院はこのあたりを曲がるのだろうか、と見当をつけて曲がると、鳥居が見えたので寄ってみました。
上口香取神社でした。創建年代は不詳、祭神は経津主命。かつては次に訪ねる東光院が別当でした。
香取神社の狛犬。
狛犬は阿吽が対のはずなのに、両方とも口を開けています。社殿側から撮影。
香取神社の隣に東光院(真言宗豊山派)がありました。
本堂の右手には薬師堂がありました。いつの日か薬師詣でで再び訪れる日がくるでしょう。
東光院から四分で善照院。ここも真言宗豊山派の寺院。永禄年間(1558年-70年)の創建。
善照院から十分で迎攝院(こうしょういん)。真言宗豊山派の寺院。
迎攝院の観音堂。本堂の右にありました。
室町時代の建立と推定される三郷市内最古の建物で、堂内の肘木(ひじき)は法隆寺金堂と同じ様式です。
祀られているのは准胝(じゅんでい)観音。准胝観音は我が曹洞宗でもわりと重要視されている観音様です。
迎攝院から八分ほどで円能寺。本尊は室町末期作とされる不動明王立像。真言宗豊山派の寺院で、悲願山正連院円能寺と称している。
当院は、武田信玄の家臣だった田中修理という人が、天正十年(一五八二年)の武田氏の滅亡後まもなくこの地にきたとき、携帯してきた不動明王像を本尊として建立したと伝えられています。
円能寺から首都高速三郷線の高架をくぐり、九分で密乗院。三郷市による掲示によると、開基は寛永五年(1628年)卒の嶋根主計といわれている。
密乗院から十三分。西善院。ここも真言宗豊山派。村民の五郎左衛門が開基となって、慶長年間(1596年-1615年)に創建。
本尊は鎌倉時代の作と考えられている阿弥陀如来立像。
西善院から六分で、この日、最後に訪れたのは成就院です。真言宗醍醐派の寺院で、本尊は不動明王です。
寺伝によると、この不動明王は、最初は我が下総国小金領大谷口城主が本尊として供養していたもので、天正十八年(1590年)に落城したとき、家臣の神谷安右衛門が密かに持ち出した。その後、この神谷氏から分家に出た者が当地に移住し本尊としてこの不動明王を供養していたと伝えられています。あるとき、不動明王が安右衛門の子孫・神谷安兵衛の夢枕に立ち、「村人の願いごとは何でも聞き届けるから、そのことを人々に伝えなさい」と教えた。そこで安兵衛は僧となり、明治初年に一堂を建立したのがこの寺の始まりで、成田山新勝寺で開眼供養をして安置したのが本尊の不動明王です。
帰りは第二大場川を渡って……。
成就院から十二分……実際は曲がるべき道を間違え、行き過ぎてしまったので、十五分かかりましたが……TX(つくばエクスプレス)の三郷中央駅に出ました。
ここから→南流山→新松戸→北小金と一駅ごとに乗り換えて帰ることにします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます