今夜は、本当に寒いです。
風もとても強かった
夕食は、鍋にしました。
厚手の靴下、長めのネルのガウン着て、そしてひざ掛けも使って。
首にも薄い布巻いて、ひどい格好です。
ねぎや白菜、春菊を食べて体の中からポカポカにするのがいいですね。
それにしても強い風が吹いています。
先ほどの強い風が吹き荒れた時、お気に入りの、ぶどうの絵柄の傘たてが、倒されて割れてしまいました
パリンガシャーンという音にびっくりして出てみると、ひどいことに・・・。
ゴォー、ボォーと吹き上げる風の時は、要注意ですね。
皆さんも大切な鉢物など気をつけてくださいね。
昨日、赤坂レッドシアターで、毬谷友子さんのひとり語り『弥々』を観て来ました
女優さんの語りは、もちろん演出が光る、芝居語りです。
毬谷さんが、自然体の姿で、『弥々』という女の生涯を語ってくれました。
毬谷さんを通して語られた『弥々』。
純粋で純情で強い女の一生が熱く胸に残りました。
素晴らしかったです
こちらは、明日までの公演です。
今、語り部、語り手、ストーリーテラー、朗読家、ナレーター・・・と言葉で語る人たちがたくさんいます。
そして、その方たちが語りという形で、伝えることをしています。
呼び名は、その人の決めた呼び名でいいと思います。
そこには、何かの、純粋な想いがあるはずだから。
辞書やネットの情報だけではない、長く考えているものや、支えられているものや、憧れも含めて想いはあるのです。
私は、どの語りも、本当の語りだと思います。
熱く語っても、淡々と語っても、芝居風でも。
どのようなスタイルの語りでも、人の前に立つ時、語り手は、自分勝手にはなれぬものです。
直向で、そして、清らかな意思が見える語りならば、
人に向かって、心に届く祈りをもっての語りならば、
さらに良いなというだけです。
自分がストーリーを作って語るものも、作者のある創作を語っても、民話を再話しても、何かのテキスト通りに語っても、語る人が、その作品、言葉を愛し、語りの中で、本当にそれが一番自由な自然体の語りならば、それがその人の語りなのだろうと思うのです。
私が好きな語りは、時々、その人の笑顔や、悲しみや、怒ったり、切ながったりしている時の素の顔がちらっと垣間見える語りです。
安心します。
その人に語られている安心感があります。
よい声だと思うのは、その人が、熱を帯びて夢中になり、目が生き生きと輝いている時の声です。
首筋から胸の辺りが少し高揚し、血の通った体の中から生れるような肌の温度を感じるような声。
そんな時、心をこめていっぱい語ってくれていると感動してしまいます。
もちろん、これは、私の場合です。
そして、課題です。
立て続けに良い語りに出会っています。
とても幸せなことです
心が膨らんで、少し、情が増したかしら。
人情話を語るのは、まだまだ先ですね
それにしても寒い。
寒い日は、大好きな人に、優しく語ってもらいたいですね。
「何かおはなしして。」
「じゃ、好きな話。O・ヘンリの都会の敗北」
好きな人に語ってもらってください。
愛が膨らみます。
はずかし~
ストーリーテラーですから。私。許してくださいね
明日は、かなり冷え込むようです。
みなさん、風邪、ひかないでくださいね。
おやすみなさい