~ストーリーテリング「愛依の風」ainokaze~

絵本・素語り・わらべうた
ストーリーテラーやえはたのりこ(やえちゃん)の徒然便り

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広島原爆の日。

2012年08月06日 | お知らせ
67年前、

昭和20年(1945年)8月6日、朝8時15分、

アメリカ軍により史上最初の原子爆弾が広島市へ投下されました。

約14万人にも及ぶ尊い命が一瞬で奪われました。

原爆の放射線による後遺症の苦しみは今もなお続き、

その悲しみは永遠に消えるものではありません。

8月6日、午前8時15分を忘れてはならない。

しっかり胸に覚えて。


原爆の恐ろしさを、残された写真、映像、書物、記事、被爆者の方々の話などからしか知ることはできないのですが、

その写真を前にすると、

背筋がぞくっとし、胸がしめつけられ、足元が崩れそうなほど怖くなります。

すごく怖いです。

年々、怖さがつのってきます。

だから、しっかりと、伝えていかなければならないと思います。


67年前とはいえど、私が生まれる20数年前のこと。

私が20の時、原爆の日から40数年だったわけですが、

私は、この恐ろしい原爆のことを、深く知ることはできませんでした。

鎮魂の祈りを今のようには捧げることができませんでした。

それは、広島から離れていたからでしょうか、

戦争を知らない人間だったからでしょうか、


20の時からさらに20数年たった今、

日本に何が起きたのか。

今は、深く知らなければならないし、しっかりNOと言わなければならない、

守らなければならないから、真剣にならなくてはならない。


広島出身の出会ってもう20年以上の親友がいます。

原爆、戦争、平和、核兵器、原発、まったく意識が違います。

出会えたことに感謝しています。

でなければ、あまりにも無知でした。


良く見聞きしわかりそして忘れず。

せめて、我が子二人には、原爆の日の祈りの意味を、私なりにでも伝え続けたいと思っています。

そう思いながら、また、この日を私自身胸に刻みます。