2年前の3月11日、その日は無理に博多出張をつくり博多事務所で打ち合わせをしていた。
ちょうどリレーつばめのラストランもあり、18時前後の列車で最後のリレーつばめに感傷的になったのを覚えている。
家に帰りテレビのニュースを観て、悲惨な光景に唖然となった。
そして翌日は九州新幹線全線開業の日だった。
派手な宣伝や行事はすべて中止になり、テレビのコマーシャルは「ポポポポ~ン」や子宮頸がんの公共広告機構などが流れていたっけ。
次の日からは福島第一原発が大々的に取り上げられるようになった。
津波の映像といい、原発事故といい、人々は逃げ回ることしかできなかった。
当時、首相の管さんはヒステリックな声を張り上げ周りの反対を押し切って原発視察に行ったり、直接現場に指示をだしたり、尋常な行動ではなかった。
自衛隊のヘリコプターからの海水の散布やポンプ車を出して注入をしたりとあまりにも原始的な対応しかできなかった。
しかし原発はメルトダウンという最悪な事態になってしまった。
テレビでは20km圏がどうのこうのといった議論があった。
マイクロシーベルトという初めて聞く言葉に恐ろしさを感じた。
そして管さんは復興支援よりTPPだ、日本の新しい開国の時だなどとすりかえていた。
管さんから野田さんへそして再び自民党政権へ移った。
あの悲惨な出来事から2年が過ぎた。
懐かしいというより個人的には、2年なんてあっという間に過ぎたな、という感覚だ。
あれから2年か・・・。
ちょうどリレーつばめのラストランもあり、18時前後の列車で最後のリレーつばめに感傷的になったのを覚えている。
家に帰りテレビのニュースを観て、悲惨な光景に唖然となった。
そして翌日は九州新幹線全線開業の日だった。
派手な宣伝や行事はすべて中止になり、テレビのコマーシャルは「ポポポポ~ン」や子宮頸がんの公共広告機構などが流れていたっけ。
次の日からは福島第一原発が大々的に取り上げられるようになった。
津波の映像といい、原発事故といい、人々は逃げ回ることしかできなかった。
当時、首相の管さんはヒステリックな声を張り上げ周りの反対を押し切って原発視察に行ったり、直接現場に指示をだしたり、尋常な行動ではなかった。
自衛隊のヘリコプターからの海水の散布やポンプ車を出して注入をしたりとあまりにも原始的な対応しかできなかった。
しかし原発はメルトダウンという最悪な事態になってしまった。
テレビでは20km圏がどうのこうのといった議論があった。
マイクロシーベルトという初めて聞く言葉に恐ろしさを感じた。
そして管さんは復興支援よりTPPだ、日本の新しい開国の時だなどとすりかえていた。
管さんから野田さんへそして再び自民党政権へ移った。
あの悲惨な出来事から2年が過ぎた。
懐かしいというより個人的には、2年なんてあっという間に過ぎたな、という感覚だ。
あれから2年か・・・。