朝5時半起床。
母に声をかけ、しっかりしているのを確認して、朝食をしっかりとって家を出る。
その前に
「今日は燃やすごみの日」
といって妻がお土産を持たせてくれる。
クルマに乗って途中のゴミ捨て場にゴミを捨てて熊本駅に向かう。
2月はまだ真っ暗な中での出勤だったがずいぶんと明るくなった。
熊本駅には6時45分くらいにつく。
改札を抜けてしばらくホームで待っていると7時11分の電車が7時ころには入線してくるので、ドアが開くと同時に乗り込む。
そして持ってきた文庫本を開く。
今、読んでいるのは「白い航跡」という吉村昭の長編。
当然、ノンフィクションだ。
主人公は高木兼寛という海軍の軍医総監の物語。
当時、海軍や陸軍では脚気という病気で軍の半数以上が発症したり亡くなったりと大きな問題を抱えていたそうで、この脚気という得体の知れない病気で軍としての機能はガタガタになっていた。
そこで英国への留学で英国式の医療を学んだ彼は、脚気病を前に色々な実験を通し、食事の栄養バランスがこの病気の原因ではないかと軍にパンや肉といった洋食を勧める、しかし当時は白米が主食でなかなか認められず、それではと麦飯を推し進め海軍では脚気の患者が激減し最後には脚気患者がゼロになった。
一方、陸軍や東京大学医学部はドイツ医療を取り入れたため高木の麦飯に対し厳しい批判をした。
その中には陸軍軍医総監の森林太郎(鴎外)などもいて対立することになる。
彼らの脚気に対する考えは、細菌による伝染病という考えで白米を主食としていた。。
しかし現実には海軍では脚気患者は壊滅したのに陸軍では増え続けていた。
その後、ビタミンという物質が発見されその摂取不足が脚気の原因ということが判明。
という物語。
開国はじめの医療、日本はドイツ医学を中心に高木兼寛たちには批判的な考え方で日本ではあまり評価されていなかった。
かえって海外では高木兼寛に対する評価はものすごく高かったわけだ。
いかにも日本らしい組織構造と風習。
私自身も高木兼寛という人物の名前は知らなかったし、このような功績を残していたとは知らなかった。
痛快な気分で読み終えたところだ。