打越通信

日記ふういろいろ

戦い終わって

2015-06-10 22:51:07 | 日記ふう
帰りもわりと混雑もなく我が家に着いた。
彼はシートで熟睡していたがエンジンを切るとパッと目覚め起き上がった。
先ずは風呂に入ってもらい、その間に妻は料理の準備をした。
風呂から上がり料理とともに美味しそうにビールで酒盃だった。
暴走老人ことハマさん(64)とは長年の付き合いで、妻もランニングしていた以前からの付き合いなのだ。
やはり外輪山からの下り坂でふくらはぎをやってしまったようだ。
私もゴールからあの坂を途中まで登ったが、あの急な坂はかなり足に来るなと思ったし、降り切ったところ(阿蘇谷)からは平坦な道が10kmほど続くのだ、これは地獄だなと思った。
賢い人は歩いて降りてきていたし彼はいつものペースだった。
まあ始めての挑戦(コースを知らない)だったし、さてさて来年再チャレンジするのか、夜更けまで飲み明かした。



翌日は朝6時に起き2人で散歩に出かけた。
足の方も痛みは消えたようだし、少し歩いてほぐした方が良いようだ。
いつもの散歩コース(坪井川遊水公園)をぶらりと一週した。
じつは前日、6時半からラジオ体操をしているグループがいるので行こうとなったのだ。
しかし私の方がへばっていた。
それもそうだろう、いくらクルマで移動とは言いながらも7時間も昼飯も食わず立ったままで待ちぼうけ、おまけに登山までした(歩数計は14,000歩を超えていた)。
彼と歩いたほうが楽か走っていたほうが楽かという話になった。
彼としては走っていたほうが楽だと言うが、私は歩くほうが楽に思えた。
しかし50kmという距離を考えるとどうかな?



そんな話をしているうちにもうラジオ体操は始まっていた。
しょうがないラジオ体操のグループを遠めに見ながら公園を一週して家に戻った。



朝飯を食ってゆっくり目に家を出た。
今日は娘の誕生日だったので娘の予定次第では福岡まで送る予定だった。
娘からの連絡はなく(多分旅行にでも行っているのか)チケットショップに寄り、熊本駅まで送っていった。
2時間もしないうち、無事に自宅に着いたこと、お世話になったことを知らせるメールが届いた。
さてさて来年はどうなる事になるのか・・・。