打越通信

日記ふういろいろ

山口の旅

2016-06-20 21:50:41 | 小旅行
旅の間はちょっと風邪気味だった。
クシャミに鼻水、そして頭がぼうっとしていてあまり快適な旅ではなかった。
それが良かったのかどうかはわからないが、今日は今回の旅に浸って過ごした。
ただ見たモノを肌で感じ、その雰囲気を取り込んで、その中に何も考えず漂っていた。



やはり日本海のあの綺麗な海には感動だった。
港町の長門市、海に囲まれた州のようなところに家が点在していて、その先には青海島がある。
橋が架かり、その下には深く蒼い海が見えた。



その半島の先の方に金子みすゞの生家があった。



上を見上げるとトンビがひゅうひゅうと何羽も飛んでいた。
港には大きな市場があり、大きな港町の雰囲気だった。
そして萩の町だ。
閑散とした海岸線に突然のように港町が現れる。
三方を山に囲まれたいわば偏狭の地に長州藩の藩主が居たというのもこれまた驚くべきことだろう。
幕末から明治維新にかけ活躍した偉人たちがこの地から生まれたというのも驚きだろう。
戊辰戦争の流れは今でも引き継がれ、友好都市としての誘いにもあっさりと断られた経緯のあるという。
町自体がその当時のままのようで、時代を感じさせられる、そんな思いにさせられた。
山陰という言葉があるように、山陽とはうって変わった風景があちらこちらに見る事ができた。



萩から津和野への山道は険しく、ところどころに見られる民家の屋根瓦に独特の雰囲気が見られた。
津和野から山口市に向う国道(9号線)も昔の山陰道という道だったようだが、なんとも侘しい道だった。
それが帰って魅力的に移った。
山口市も山に囲まれた小さな町だった。
山口市に入る寸前まで秘境のような佇まいには驚いた。
山道(国道)の下を眺めると絶壁になっており、下には集落が見える。
山を下ると盆地に都市が広がっているでは無いか。
失礼だがこれが県庁所在地なのかと疑うようなこじんまりした都市だった。
ここが山陰と山陽の境目なのだろうか。
下関、防府や宇部といった看板が目に入る。
そこまでが今回の旅の記憶だった。
それから妻に運転を代わり熟睡だった。
アパートに帰りそれからも熟睡状態で今日を迎えた。
しかし、目に焼きついた今回の旅は、強烈な印象として心の中に焼きついたようだ。