英彦山に初めて行ったのは、結婚式に出席するために行ったのが初めてだった。
まだ学生だったので新幹線に乗り、博多駅で在来線を乗り継いで行った記憶がある。
父から、鹿児島本線の羽犬塚という駅で乗り換えて行くようにと言われた記憶がある。
どこをどう行ったのか覚えていないが列車で行ったのは確かだった。
今思えば小倉からの方が近いような気がするが記憶違いかも知れない。
結婚式は長い階段を登った先に神社がありそこで行われた。
祖父も祖母もまだ元気で、その長い階段をみんなで登った思い出がある。
厳かな結婚式だった。
それから数年して英彦山の中腹近くのある、古い旅館で1ヶ月近く住み込みのアルバイトにかり出された。
学生だったので夏休みの間、妹と一緒に住み込みで働いた。
旅館は初老のご夫婦と若夫婦の4人で切り盛りしていた。
若夫婦の奥さんは子供を身籠もり、大きなお腹を抱えて四苦八苦されている。
老夫婦は赤い鼻の気さくなお父さんとおしゃれでおしゃべりが好きなキュートなお母さんだった。
旅館の仕事は結構な重労働で、布団の上げ下げに、天気の良い日は布団干しなどある。
部屋の掃除もこれまた大変な作業で、箒で掃除した後はぞうきんがけを丁寧に一部屋行う。
確か古い建物で2階建てだった。
階段の上り下りも布団や座布団を持ってだから毎日くたくたに働いた記憶がある。
旅館の庭は何か由緒ある庭で、それがこの旅館の唯一の自慢だった。
部屋の掃除が終わると庭の掃除になり草取りが待っていた。
たまに若旦那と山の麓の添田町まで買い物に出る。
宿泊客に出す料理の食材の買い出しだ。
行きつけの魚屋で丸々と肥った鯉を2,3匹買う。
ビニールに肥った鯉と水を入れ、空気をパンパンに膨らませそれを持って帰る。
それを手際よく若旦那が裁いていく。
鯉の洗いに鯉こくがこの旅館の昔からのおもてなしのようだ。
夕食が済むと布団の準備に食器洗いが待っていた。
寝るのはいつも夜中の12時をまわってからだった。
再び朝になり泊まり客を送り出すと布団干しから一日が始まる。
その当時はまだ近くの旅館街もお客が多く、結構賑やかだった。
バイトを終え帰る日になった。
若女将がワインをグラスに持ってきてくれた。
甘酸っぱいワインを飲み干しお別れだった。
その味だけは今でも忘れられない思い出になった。
英彦山には何年ぶり、いやいや何十年ぶりだろう。
今ではすっかり寂れた感じで、まだ朝も早いせいかもしれないが人影はまばらだった。
赤い鼻のお父さんも、おしゃれなお母さんも、そしてあのワインをついでくれた若女将も今はいない。
そしてあの旅館も跡形も無くなってしまった。
あのお腹にいた赤ん坊が今や2児のお母さんになっている。
時代の移り変わりだ。
まだ学生だったので新幹線に乗り、博多駅で在来線を乗り継いで行った記憶がある。
父から、鹿児島本線の羽犬塚という駅で乗り換えて行くようにと言われた記憶がある。
どこをどう行ったのか覚えていないが列車で行ったのは確かだった。
今思えば小倉からの方が近いような気がするが記憶違いかも知れない。
結婚式は長い階段を登った先に神社がありそこで行われた。
祖父も祖母もまだ元気で、その長い階段をみんなで登った思い出がある。
厳かな結婚式だった。
それから数年して英彦山の中腹近くのある、古い旅館で1ヶ月近く住み込みのアルバイトにかり出された。
学生だったので夏休みの間、妹と一緒に住み込みで働いた。
旅館は初老のご夫婦と若夫婦の4人で切り盛りしていた。
若夫婦の奥さんは子供を身籠もり、大きなお腹を抱えて四苦八苦されている。
老夫婦は赤い鼻の気さくなお父さんとおしゃれでおしゃべりが好きなキュートなお母さんだった。
旅館の仕事は結構な重労働で、布団の上げ下げに、天気の良い日は布団干しなどある。
部屋の掃除もこれまた大変な作業で、箒で掃除した後はぞうきんがけを丁寧に一部屋行う。
確か古い建物で2階建てだった。
階段の上り下りも布団や座布団を持ってだから毎日くたくたに働いた記憶がある。
旅館の庭は何か由緒ある庭で、それがこの旅館の唯一の自慢だった。
部屋の掃除が終わると庭の掃除になり草取りが待っていた。
たまに若旦那と山の麓の添田町まで買い物に出る。
宿泊客に出す料理の食材の買い出しだ。
行きつけの魚屋で丸々と肥った鯉を2,3匹買う。
ビニールに肥った鯉と水を入れ、空気をパンパンに膨らませそれを持って帰る。
それを手際よく若旦那が裁いていく。
鯉の洗いに鯉こくがこの旅館の昔からのおもてなしのようだ。
夕食が済むと布団の準備に食器洗いが待っていた。
寝るのはいつも夜中の12時をまわってからだった。
再び朝になり泊まり客を送り出すと布団干しから一日が始まる。
その当時はまだ近くの旅館街もお客が多く、結構賑やかだった。
バイトを終え帰る日になった。
若女将がワインをグラスに持ってきてくれた。
甘酸っぱいワインを飲み干しお別れだった。
その味だけは今でも忘れられない思い出になった。
英彦山には何年ぶり、いやいや何十年ぶりだろう。
今ではすっかり寂れた感じで、まだ朝も早いせいかもしれないが人影はまばらだった。
赤い鼻のお父さんも、おしゃれなお母さんも、そしてあのワインをついでくれた若女将も今はいない。
そしてあの旅館も跡形も無くなってしまった。
あのお腹にいた赤ん坊が今や2児のお母さんになっている。
時代の移り変わりだ。