打越通信

日記ふういろいろ

休息の場所

2017-04-11 20:52:18 | 日記ふう
博多に引っ越してきて1年になる。
博多にというよりマンション暮らしをして、といったらいいかな。
狭い2Kの部屋では息がつまりそうになる。
平日は仕事に出ているし、夜は寝るだけの生活なのでそんなに苦にはならない。
しかし、休日ともなれば狭い部屋では息がつまり外に安らぎを求めるしかない。
マンションの8階の部屋からの眺めもほとんど緑もなく、ただただビルが建ち並んでいるだけだ。
郊外のちょっと緑がある場所が良かったのかもしれないが、せっかくの賃貸なので都心のちょっと歩けば博多駅や天神といった場所が便利だと思った。
確かに商店街は近くにあるし真下にはコンビニもあり、生活するうえでは機能的でありがたい。
隣とも壁一枚なのだが防音もしっかりしているのでほとんど雑音は聞こえない。
隣にはどんな人が住んでいるのかは未だに不明だし、このマンションもかなりの個数があると思うのだがそれだけの人を一度に目にしたことはない。
何とも不思議でしょうがない。
そういえば出張や通勤疲れでウィークりマンションを借り住んでいた頃もあったので、経験が無いことはなかった。
しかし、いざこうやって暮らしてみると何ともやるせなさを感じる。



福岡もどこに行ってもマンションが連立していて、隣町の竹下にも巨大なマンション群がある。
ここにも何世帯もの生活(人生)があるのだと思うと不思議でしょうがない。
転勤族や一時的に借りている人たちはそれなりに意味があると思うのだが、購入して家族で住む人たちにとってはどうなんだろうと思う。
家族で住むにはそれなりの広さがいるし、それなりの負担がかかる。
構造物はどうしても永久には存在できない。
何れは取り壊して新しくしなければならない。
それを承知で購入して、次々と新しいところに移り住むということも考えられるが、それではいつまでたっても落ち着くところが決まらない。
年齢が行けばバリヤフリーだし、エレベータもあるし、近くにはコンビニもあるし、手に届く所になんでもある狭い部屋が良いのかもしれない。
知り合いの中にもせっかくの戸建てを売り払い、そんな理由でマンションに引っ越していく人も多々いる。
まあ、そんな経験をただ今経験中ということで、今の感想はと聞かれれば
<浮き草のような生活だ>
としか答えようがない。
あの広大な土地がある中国でも、ある一角を整備して高層の住居を作りそこに住もうというわけだから、人間はすごいなと感心するしかないな。