ウィキペディアによれば国道202号線の起点は博多区堅粕1丁目交差点(国道3号線)から始まり長崎市の江戸町交差点 の 国道34号・国道57号終点までとされている。
福岡市内では国体道路、けやき通りを通り、糸島、唐津、伊万里、有田、佐世保(早岐)、西海市から長崎に入るルートだ。
今宿道路から西九州自動車道に入ると伊万里市内のすぐ近くまで延長されている。
妻の実家(佐世保)に帰るとき使う道なのだが、インターチェンジが一つ先まで出来ていて、ナビにも載っていなかった。
伊万里で左折し陶器で有名な有田町に入る。
佐世保市早岐より針尾(針尾送信所で有名)の巨大な電波塔を見ながら西海橋までくる。
さてここからが初めて通るところで、大村湾の反対側(西海岸)へと進む。
しばらく山道が続くがそのうちに海岸線が見えてくる。
島が見えてくる。
大きな橋が架かっているので島なのだろう。
大きな橋を渡り、ここが大島といわれる所だと知った。
結構大きな島のようで、その沖合に五島列島がある。
しばらく美しい海岸線を走ってると再び大きな島が見えてくる。
松島といわれる島のようで、こちらには橋が架かってなく離島になっている。
町営なのだろうかフェリーが行き来しているようだ。
大瀬戸といわれる町からは海岸線を走ることになるのだが、遠目に島らしきものが見えてくる。
クルマを停め写真に収める。
望遠レンズを取り出し撮る。
海から突き出したような島でとても人が住めるような場所も無いような島だ(いやいや瀬かもしれない)。
あとから調べてみると母子島という島だった。
ローソクのように突き出た島(瀬)があちらこちらに見ることが出来る。
そんな美しい海岸線を見ながら進むと、集落が所々に現れる。
その集落の中心は教会だ。
休憩所のような所で休憩、その場所から出津川の集落を見ると出津教会があった。
休憩所の下には遠藤周作文学館なるモノが出来ていて、彼の代表作「沈黙」の舞台となったところのようだ。
しばらく走ると黒崎という町に出た。
ここにも黒崎教会という堂々たる教会がある。
残念ながら中は撮影禁止となっていて写真はない。
黒崎を出てだんだんと長崎市内に近づく、稲佐山の反対側なのだろうか、高層のマンションが立ち並ぶところに出た。
それからものすごい坂を上り、稲佐山中腹のホテルに着いた。
続く
福岡市内では国体道路、けやき通りを通り、糸島、唐津、伊万里、有田、佐世保(早岐)、西海市から長崎に入るルートだ。
今宿道路から西九州自動車道に入ると伊万里市内のすぐ近くまで延長されている。
妻の実家(佐世保)に帰るとき使う道なのだが、インターチェンジが一つ先まで出来ていて、ナビにも載っていなかった。
伊万里で左折し陶器で有名な有田町に入る。
佐世保市早岐より針尾(針尾送信所で有名)の巨大な電波塔を見ながら西海橋までくる。
さてここからが初めて通るところで、大村湾の反対側(西海岸)へと進む。
しばらく山道が続くがそのうちに海岸線が見えてくる。
島が見えてくる。
大きな橋が架かっているので島なのだろう。
大きな橋を渡り、ここが大島といわれる所だと知った。
結構大きな島のようで、その沖合に五島列島がある。
しばらく美しい海岸線を走ってると再び大きな島が見えてくる。
松島といわれる島のようで、こちらには橋が架かってなく離島になっている。
町営なのだろうかフェリーが行き来しているようだ。
大瀬戸といわれる町からは海岸線を走ることになるのだが、遠目に島らしきものが見えてくる。
クルマを停め写真に収める。
望遠レンズを取り出し撮る。
海から突き出したような島でとても人が住めるような場所も無いような島だ(いやいや瀬かもしれない)。
あとから調べてみると母子島という島だった。
ローソクのように突き出た島(瀬)があちらこちらに見ることが出来る。
そんな美しい海岸線を見ながら進むと、集落が所々に現れる。
その集落の中心は教会だ。
休憩所のような所で休憩、その場所から出津川の集落を見ると出津教会があった。
休憩所の下には遠藤周作文学館なるモノが出来ていて、彼の代表作「沈黙」の舞台となったところのようだ。
しばらく走ると黒崎という町に出た。
ここにも黒崎教会という堂々たる教会がある。
残念ながら中は撮影禁止となっていて写真はない。
黒崎を出てだんだんと長崎市内に近づく、稲佐山の反対側なのだろうか、高層のマンションが立ち並ぶところに出た。
それからものすごい坂を上り、稲佐山中腹のホテルに着いた。
続く
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