あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

父の命日~思い出~

2006-10-02 22:09:13 | Weblog
今日は父の命日である。

私が結婚した年に父は逝った。
1月に妹の結婚、4月が私、父が10月に逝って母はひとりになった。
私は父ちゃんっ子だった。いつも父のあぐらの中にいた。

父が危ないと電話をもらい、慌てふためいた私は110番に電話した。本当は病院の電話番号を知りたくて番号案内にかけるはずだったのに。

翌朝、飛行機に乗りドキドキしながら病院へ行ったら、いつもの父がいた。スカートに着替える私に「太ったね」と笑った。「赤ちゃんはまだか?遅いと苦労するよ」と言った。父は苦労したんだなと思った。そして私の複数の友人達のこともきかれた。

父は私達の結婚に反対した。横浜は遠いと。たぶん、母がひとりになることを心配したのだろう(その後、私達はつとめて帰省した。母が淋しいだろうと・・・でも助けられたのは私達だったのだけど)そして「遠くに行くと親の死に目にあえない」と言っていた。

でも、結局、母の「私はいい」という言葉を聞いて、賛成したと後に母に聞いた。

明日は流動食を食べられるだろうと言われていたのに、父は「周りをみまわしたい」と起こしてもらい、周りの景色を満足げに見て亡くなった。

病室には母と大阪の兄と私がいた。父の最期にいた。遠くに行った二人が・・・。
妹や姉達はよく看病し、お見舞いしていて、病状が安定したということでそれぞれ帰っていた。妹は自分の家に帰りながらも、気になってまた父の病院に向かっていたのだけど。

秋の青空とみどりの山々があった。

今日、帰宅して父の好きなお煮しめを作った。
鹿児島の「ついでこん」の入っているお煮しめを作って父にお供えした。
父は「すんかんだよ」と、ときどき、作ってくれていた。小学生の私は「またお煮しめ・・・?」とそのことを作文に書いた。その作文が地元で入賞して文集に載った。その作文の最後には「父に花嫁姿を見せたいです」と書いていた。

でも、父は熊本での結婚式には来られなかった。あの頃から具合が悪かったのかもしれない。花嫁姿を見せられなかったこと、それだけが悔やまれる。
あの時、父は何を考えていたのだろう。夜、電話しても出なかった。もう寝ていたと言う。
父の気持ちを考えると切ない。いっぱい、いっぱい、かわいがってもらったのに何も親孝行できなかった。せめてもの気持ちで新婚旅行を沖縄にして家に寄った。

父ちゃん、ありがとう。私のお煮しめおいしいですか。

父はひとことで言うとやさしくてかっこよかった。おしゃれだった。
ひとことになんないね。

お仏壇のお花をかえると「きれいだねえ」。庭掃除をすると、また「きれいだねえ」と。父に誉められたくて家のことをいっぱいした。自転車の前に乗せてもらったこと・・・魚釣り、その頃は珍しいレストランでの洋食・・・モダンだった。字もきれいだった。

今夜は子ども達も夫も手を合わせた。ロスの娘の分のお煮しめもよそった。

ありがとう、父ちゃん。父ちゃん、母ちゃんと仲良くね。

これからも私達を見守ってくださいね。





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