あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

友だちだったら

2009-12-07 19:35:04 | Weblog
室内はあったかいのに外の風は師走の風。
冷たかった。
休み明けの今日はちょっと疲れ気味。
昨日、出かけたからかしら?
できるだけ、日曜日は外出を控えているのだけど、昨日はやむを得ない用事ゆえ仕方なかった。

仕事があるのは幸せなことか。
そろそろやめたいなあ、書くことに専念したいなあと思ったり・・・(はっはぁ~作家みたい・・これは誇大妄想だね)
いずれにしても中途半端。仕事をやめて書くわけはないのだ。
おおかたの知り合いは仕事をしながら書いている。
今の私はバッグに児童文学に関係ある本を入れて読まなきゃ、書くことと縁遠くなる。
Oさんはよく書いているし、Kさんも来年の大会作品に取り掛かるという。どだい私と意識が違うよね。

職場でいろんなことがあり、こんなときは友だちだったらどうするだろうと思うことがある。何を言うだろうかと。
少なくとも、私みたいにはおとなしくないだろうと思う。
いろいろはっきり言うだろうし、矛盾点もつくだろうと思う。
私は少なくとも学生時代や勤めていた頃は物事をずばっと言っていたと思う。
意見はよく言っていた。
今は、のむことも多いよねえ。
まあ、これが大人になったということ?

でもね、だから、はっきり言う人を見るとすっきりするし、尊敬してしまう。

でも、それって高校時代もそうだった。
先生に反抗できるY君がまぶしかった。
彼は歯科医になって・・・でも、亡くなった。
医者になりたいと言っていた。
一緒に英文を訳していたっけ。

自分の意見をはっきり言える人はそれだけしっかりしているし、責任感を持っていると思う。
真摯に生きていると思うのだ。
生きるということにまじめである。

その点、今日ランチを一緒にとったH.Mさんは明日で71歳と言うけど、若々しく、堂々としている。
言いたいことはきちんと言われる。そして優しい。
今日、久しぶりにもうひとりのK.Mさんと三人で食事。
きれいな京弁当を前に介護のこと、旅行のことと楽しかった。
イスラエルに行かれるとか・・とにかく気をつけてと思う。
世界を見ている人はやっぱり同じ言葉でも違うのかなあ?
かといって、外国へ行っていない人が必ずしも視野が狭いわけではないしね。

ああ、わからなくなったね。
まあ、いろんな友だちがいて幸せな私。

お土産にもらったK.Mさんの伊豆長岡の桜葉ようかんとお茶ようかんの甘さが優しく口に広がった。
ありがとう・・・です



コメント
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