9月の最後の業務は、9月28日(金)の高知での講演でした。
高知県のコンクリート診断士会の10周年の記念イベントで、「コンクリート サミット in 高知」と題された講演会でした。講演者は、岡村甫先生、魚本健人先生、JR東日本の松田芳範さん、四国地方整備局、高知県と、私でした。そうそうたる方々とご一緒できて幸せな時間でした。
私は70分の講演で、「コンクリート構造物の品質・耐久性確保と生産性向上へのチャレンジ」と題して話しました。
山口システムの本質(困難なひび割れ問題のマネジメント、One for all, All for one、様々な問題のマネジメントに対するEncouragement)、ひび割れ問題の難しさとマネジメント、化学混和剤の力と可能性、様々な問題の一例として維持管理の再劣化の克服、資源の枯渇という人類史上でも最大級の難題が前提条件となる中でのコンクリート舗装の活用と可能性、などについてお話をしました。
懇親会ではいろいろな方と新たなご縁をいただき、島根、福井などの診断士会からぜひ来てほしい、というオファーもいただきました。やはり一つ一つ、誠実に仕事を重ねていくことで輪が広がり、信頼も積み重なっていくのだろうと思います。島根は私のルーツなので、ぜひとも貢献したいと常々思っていました。
9月の後半も各地を行脚し、多くの出会いと再会があり、自分自身の責任の重さも痛感し、10月からの新学期に向けて気持ちが引き締まってきています。
9月14~15は鞆の浦。初めて鞆に来てくれた方々も多く、鞆のファンが増えてくれることを願っています。鞆小中学校での防災授業も新たなステージに入ってきているように感じ、私も一緒に勉強を重ねたいと思います。
9月17~19は山口県。土木学会技術賞受賞の記念講演もさせていただきました。山口システムに深く関わることができたことは、私の人生の確実に大きな転機になりました。これからもともに学んでいければと思います。
9月22~25はベトナムのダナン。直接の研究室の教え子や、学科の教え子たちが着実に増えており、極めて居心地もよく、大学での研究・教育を続けていくことの意義を、私や同行した有馬さんも肌で体感しました。今後の連携に私もさらに貢献したいです。
(右端:私の最初のドクターのSonさん(ハノイから来てくれました)、右から2番目:4番目のドクターのNam先生、3番目:IMPスタッフの有馬さん、左端:現在、研究室でM2のPhan君)
9月27は学部1年生を引率して、大成建設の技術センターの見学と、NEXCO中日本の新東名高速の厚木工事事務所管内の橋梁現場3つと山岳トンネル現場1つの見学。技術センターの見学は7、8年ぶりでしたが、内容が極めて進化しており、Zero Energy Building や、タブレットを使った実験動画の見せ方、など極めて刺激を受けました。トンネルでは掘削の先端までマイクロバスで連れて行ってもらい、学生たちも大迫力を感じたようです。新東名高速は、国土の強靭化に確実に貢献する大プロジェクトです。まだまだひよっこたちですが、将来を支える土木技術者になってくれるものと期待しています。
そして、昨日、高知でのコンクリート サミットで講演。講演後には、師匠の岡村甫先生からも多くの示唆やご助言もいただきました。すべて吸収して、消化していきたいと思います。
やはり私は、多くの方々と夢を語り合いながら、現状の問題を少しずつ解決、状況の改善を行い、少しずつ輪を拡げていく生き方が好きです。
すでに節制モードに入っていますので、心身の調子を自分のリズムの中でも最高レベルに引き上げる努力をしながら、研究・教育に全力を挙げたいと思います。
ほとんど「休日」はありませんでしたが、特に心はリフレッシュで、「夏休み」が終わろうとしています。
2019年4月1日着任の予定で、横浜国立大学のコンクリート分野の准教授を公募しています。
前川宏一先生、細田と一緒に研究分野を運営していくことになりますが、明るく元気な研究室です。
応募の締め切りは2018年12月7日です。奮ってご応募ください!
7月があっという間に終わり、8月も序盤が終わろうとしています。
ブログの更新が1ヵ月以上途絶えていましたが、その間、国内のまさにあちこちを動き回っておりました。多くの方々との新たな出会い、再会、を積み重ねて、研究・実務プロジェクトの推進や種まき等をやってきました。ブログも書く頻度が減ると筆が重くなったり、書くのが下手になったりしますので、今回のエッセーを転機に、また「書くモード」に転換したいと思います。
今回は久々ですし、茅ヶ崎から神戸への移動中、ということもあり、内容は無いかと思いますが、一ヵ月を単に記録的に振り返るものとしようと思います。
それにしても、国内を動き回った一ヵ月でした。来年以降、これほど機動的に動き回れるかは、「?」です。
7/2:仙台(高耐久床版の手引きのための打ち合わせ)
7/5:鞆の浦(鞆小学校での防災授業)
7/6:神戸(日本コンクリート工学会の年次大会、3日間の学会でしたが、諸事情により一泊で即帰宅、西日本豪雨災害)
7/7:豊橋(エアドーム工法による貯水池の建設現場視察)
7/9-10:十和田(上北建設による十和田の高耐久床版の試験施工の視察)
7/13:つくば(農村工学研究所での共同研究打ち合わせ)
7/17:大阪(高田機工との共同研究打ち合わせ、高耐久床版の施工のための出稽古)
7/18-24(宮崎、熊本、那覇、品質確保の試行工事の調査・視察)
7/27-28:(水沢江刺:共同研究先の工場での実験、宮古:復興支援道路のトンネル建設現場の視察)
7/30-31:函館(北海道開発局での品質確保の試行工事の調査・視察)
8月に入ってからも動き続けており、
8/2:福島(復興支援道路の桑折高架橋の高耐久床版の勉強会)
8/5-6:鳥取(連続鉄筋コンクリート舗装の建設現場の視察、供用中の連続鉄筋コンクリート舗装の観察)
8/7-8:茅ヶ崎(八洋コンサルタントでの供試体作製)、終了後に台風を避けるため、研究室夏合宿のために茅ヶ崎から神戸に移動。
8/9-11:神戸発の四国での研究室夏合宿
動き回ると、どうしても滞ってしまうデスクワークもあり、大きなご迷惑のかからないように8月12日(日)に出勤して片づけますが、その翌日から家族での夏休みの小旅行、です。
もうすぐ新大阪に到着。小松さんと新大阪駅で夕食の予定です。
あっという間に梅雨が明けました。水不足や様々なことが心配になりますが、まずはこの暑さに自身を適応させないといけません。
昨日で、14年9月の准教授職を終えました。私自身も慣れ親しんだ職で、この期間に学んだこと、経験したことは数え切れません。多くの方々に支えられ、充実した期間を過ごすことができました。感謝いたします。
本日より、教授職にて奉職することとなりました。部屋も大部屋のままですし、本日は休日なので、なかなか心機一転とまではいかないですが、職位にふさわしい働きができるよう、努力を重ねる所存です。
今後も、多くの方々に支えられ、多くの方々と連携して、様々なプロジェクトを遂行していくことになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
4月の上旬が終わりました。研究室の居室も皆で議論しながら移動したり、ものを廃棄したり、新しく設備投資したりして改善を重ねています。私自身の机は大部屋の中でのそのままの位置ですが、2016年度までの私自身の旧居室(305室)のものはかなり廃棄しました。ほとんど物が無くなったかと思います。
組織は基本的には活動のスペースを必要とします。スペースの活用の仕方を見ると、その組織のリーダーの哲学や、力量なども見えることが少なくないかと思います。
私自身は30歳5ヵ月で助教授として赴任し、当時の教授、助手の方々と連携しながら今の研究室を何とか運営してきました。この組織においてリーダーシップを取るのは私の役割であると早々に判断し、私のでき得ることから少しずつ実践していきました。とは言え、私も未熟ですし、できることとできないことがある(特にものを廃棄することは難しい)ので、居室、実験室等すべてを含めた研究室のスペース資産のマネジメントはわずかずつしか改善できませんでした。
昨年度、前川先生もクロスアポイントメントで来られ、椿先生の最後の1年となり、私がさらにリーダーシップ(というかマネジメント)を発揮すべき状況となり、まずは居室スペースの大幅な改善に着手しました。その一環での教員の相部屋でした。長年の悩みの種でもあった、実験室の廃棄やデッドスペースの回復にも思い切って着手し、2018年3月までに実験室の様子は見違えるようになりました。
そして、2018年4月に入ってから、いよいよ居室の本格的な改善を実行し、学生が大きな机を共有する「長屋システム」も部分的に導入し、改善の完成はもう少し先ですが、かなり良いところまで来ました。
研究室として、恐ろしいほどの書籍、書類を廃棄しました。
私の観点では保管しておく価値の無いもの、でしたので廃棄しました。それだけの「廃棄物」を収納・保管していたスペースがデッドスペースとなっていた、という解釈もできます。
全く同じ居室群・収納庫を持っていたとしても、デッドスペースが多く、汚く、メンバーの交流も少ない活用法か、そうではないきれいで、交流も活性化する活用法か。研究室のパフォーマンスは大きく大きく異なることでしょう。大学、という公共のインフラを活用させていただいている立場を、しっかりとした責任感で認識し、学生たちとともにスペースを最大限に有効に、創造的に活用すべきと思います。
実験室の悩みの種も解消し、徹底的に廃棄もし、私自身もすっきりした気分です。
多くの留学生を含む学生たちも、意欲が高まっているようにも感じます。もちろん、教員たちも。
私の動き回る活動も、今週から始まります。山口県徳山から盛岡宮古横断道への連続強行週末出張が14~16日に組まれていますが、動き回っているうちにテンションが一気に上がってくるものと思われます。。。
昨日、研究室の新入生のメンバーを迎えての歓迎会も行い、研究室の2018年度がスタートしました。
椿先生が退職され、教員としては、前川先生、細田、小松の体制で、新しくスタートしました。博士課程が6名(うち5名が留学生)、修士課程が15名(うち留学生が4名)、4年生が6名、研究生が1名(留学生)で、30名を超える大所帯です。
昨年度も教員が相部屋になるなど、居室スペースの大幅な改善を実施しましたが、今年度はさらに改善を重ね、まだ完了はしていませんが、30名を超えるメンバーでも、快適なミーティングルームも確保しました。
昨年度は積年の課題であった実験室の超大幅な廃棄も敢行し、昨日は歓迎会を例年通り実験室BBQで行いましたが、過去にないほどすっきりした実験室で快適に歓迎会ができました。
全学や、土木工学教室で、スペースマネジメントが大きな課題になりつつあります(どこでも同じかと思いますが、スペースは既得権益の象徴で、常にケンカ、争いの種になる)が、私たちの研究室は先手を打ってこの問題をすでに克服しつつあるように感じています。環境、場は創造的な活動のために極めて大切で、私はそれを非常に大事にする人間のつもりですが、その観点ではこれまでにない最良の形でスタートを切れたように思います。
私自身は、今年度は、大学院の入試や教務を担当する仕事で、実は初めてです。おおよその仕事の見当は付いていますが、初めてなのでミスは小さく留めるよう、自分なりに最大限の慎重さで職務に当たっています。専用ノートも作っています。。。
昨日でようやく年度当初の教務関係等の仕事が一段落し、今日から研究活動に本格的に時間を投資していきます。国交省の助成による大型研究プロジェクトの研究代表者も今年から務めますので、地味に張り切っています。
最近は、私も数値シミュレーションを使った研究が増えてきていますが、実構造物での計測や、JR東日本との共同研究での載荷実験による検証など、徹底的な検証にこだわってやってみたいと思います。泥臭いですが、やるなら徹底的にやる、という方針を愚直に貫きたいと思います。
実験オンリーの研究もいくつかありますが、これも、やるなら徹底的にやる、という気持ちを高めております。
勉強したいことは研究面でもたくさんありますが、思想、哲学、教養、資源・エネルギー、自然科学等についてもたくさんあり、読みたい本もたくさんウェイティングリストに入っています。
5月20日の大槌でのヒルクライムへは登録も完了し、宿の手配も終わっており、これからトレーニングも本格化しようと思っています。
学生たちとも、同志の皆さんたちとも、活発にコミュニケーションしながら、1年間、チャレンジを重ねたいと思います。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
大学も年度末ですので、繁忙期であることは当たり前なのですが、いよいよもみくちゃになる直前、といった感じです。
体調はほぼ万全に戻り、特殊な体勢(仰向けに寝転がった瞬間など)にかるーい目まいを感じることもありますが、ほぼ解消されたかと思います。三半規管の調子でもくるっていたのでしょう。。。
講義も最終版に入っており、土木史もいよいよ来週で最後です。講義スタイルも確立しているので、以前よりも肩の力を抜いてできるようにはなりましたが、相変わらず毎週、若者たちのレポートを200枚以上、目を通しています。20歳前後の若者たちとこうやって毎週対話できることは、実は貴重で幸せなことだな、と今は思っています。
大学院の講義を2つ英語で提供していますが、これも一つは昨日終わり(ゼミ形式)、講義形式のものでは耐久設計が昨年末に終わり、今年に入って耐震設計を話しており、来週終わります。多くの留学生が受講してくれており、これも貴重な対話、です。やはり基本的には講義が大好きな人間のようです。
現在、4名の博士課程の留学生を指導している(D3が2名、D2が1名、D1が1名)ので、研究に真剣な彼らとの議論も、もちろん時間はかかりますが、大切な時間です。
修士や卒論の学生たちも佳境に差し掛かってきました。なるべく研究の完成度が高まるよう、研究の指導や論文の添削など、私の時間も限られているのででき得る範囲で、ですが、本務として責任を果たしたいと思います。
体調のこともあり、1月は遠方への出張は控え、足元を固めることを意識してきましたが、そろそろいつもの動き回るモードに入りそうです。
手始めに、明日は鞆の浦へ出張。福山市主催のまちづくりビジョンのワークショップも明日で最終回です。私も何度も参加して、発言もしてきましたが、どのような形でまとまり、来年度以降の福山市の行政にどのように反映されるのか、引き続きみまもっていきたいと思います。
2月に入ると、2018年初めての外部での講演になりますが、2日に新潟県のコンクリートの品質確保の勉強会で60分の講演をします。なんと、350名近い参加者の予定、とのことで、気合を入れて臨もうと思います。
2月下旬には、久しぶりに本格的な実構造物調査を企画しており、釜石付近のトンネル構造物で、SWAT等も活用した品質等の調査の計画を始めました。楽しみ。。。
2月は入試、教務、論文審査会等、ただでさえもみくちゃになるのはいつものことなのですが、ようやく精神的にも迎え撃てるような状況になってきたように思います。。。
2018年の1月も半分が終わりました。
4日に軽いめまいのする体調不良で新年がスタートしたため、無理をしないで最重要業務に絞って最初の週を乗り切りました。
10日ごろに回復してきたかな、と思った矢先、11日に再び悪化し、2回の講義中にも何度かめまいを感じたので、周囲の勧めもあって念のために、12日の朝に耳鼻咽喉科で診察を受けました。原因は特定できず、めまいの症状も非常に軽い、とのこと。。。一般的な飲み薬を処方されて、様子見になりました。。。
翌13日、14日はセンター試験の監督でフル拘束。15日の15時がJCI年次論文集の締切りで、研究室内からは私の指導学生が3名投稿したため、朝晩や隙間の時間を使って添削作業を行いました。無事投稿できたようで良かったです。
何とか乗り切った感じの1月の第一週でした。しかし、家では全く仕事をする気になれなくても、やはり職場に来ると身が引き締まり、仕事は普通にできました。
病は気から、とも言いますが、耳鼻咽喉科で大した症状でない、と言われ気持ちも安心し、ゆったりした気持ちで行けるようにもなりました。
結局のところ、この私もこれまでの仕事を通じて自分の能力を鍛えさせていただいたのだな、と改めて仕事をすることの喜びを覚えました(完全にワーカホリック?)。学生の投稿論文の添削も数え切れずやってきましたが、その過程で結局は私自身の文章力も鍛えられてきたのだと思います。今では多少のめまいがする状況でも学部、大学院の講義(英語でも)も大した準備もせずにできますが、これもこれまでの数知れない講義で鍛えられてきた結果です。
社会人としての能力(供給能力)は、基本的には仕事を通じてしか鍛えられません。
仕事のありがたみは重々分かっていたつもりではありますが、軽度の体調不良を経て、改めて感じ入りました。新年に入って、土木史の講義も今日で2回が終わりました。今回の体調不良の間に考えたこと、勉強したこと、経験したことはすべて講義でのメッセージ、情報に入れ込んだつもりです。いつもよりもさらに真摯に、土木史の講義に臨んだつもりです。レポートを見る限り、それなりの数の学生たちとの信頼関係はすでに構築されたようです。
1月はあまり出張を入れないようにしています。その分、デスクワークでやるべきこともそれこそ無数にあると言って過言ではないので、そういう月もあってよいかと思います。1月の終わりごろからまた各地を動き回る生活に戻ろうかと思いますが、それに耐え得る完全な健康体に戻れるよう、じっくり英気を養いたいと思います。
新年、2018年に入りすでに10日が経過しましたが、初めてのエッセーです。
近年、というかここ10年くらいでは最もスタートダッシュに失敗した年になってしまいましたが、正月明けの4日にめまいがして一日寝込んでいました。このときのめまいはそれなりにひどく、娘たち二人と過ごす一日でしたが、昼食、夕食ともに娘たちに買出しに行ってもらって乗り切り、私はほぼ終日横になっていました。まあ、そういう日もあろうかと。
翌5日にはめまいは無くなっていたので、午後から岡山へ出張。6日には閑谷学校を訪れ、年初に教育のあり方、近代の矛盾等を強烈にかつ厳粛に感じ、身が引き締まる思いをして帰路につきました。
仕事をバリバリ開始しようと思っていた3連休でしたが、どうにもギアが入らず、8日にはまた軽めのめまいを感じました。4日のめまいよりは全然軽いものでしたが、これまであまりめまいなど感じたことがなかったので少し警戒して、この日も仕事は抑え気味にして翌日からの本格的な仕事に備えることにしました。
そして、私にとっては本格的な仕事開始である9日を迎えました。土木史の講義もこの日から始まりました。やはり仕事の日は起床後も気が張っており、長女と自分のお弁当も作って、次女と一緒に通学して(その途中で、「電気」のことを教え始めました。後で解説。)、職場へ。この日も体や頭の回転が急だったりすると、ほんの少しめまいを感じるような状況でした。ニットの帽子をかぶったりして、慎重にスタートすることにしました。
静かにしていると頭は冴えているので、結局9日もほぼ休憩なしで朝から夕刻まで仕事となりました。職場にいると人間はシャキッとするのですね。土木史の講義ではすぐに声がかすれ気味になってしまいましたが、第12回目「都市を支える上水と下水」を無事に終えました。年始の横になっているときにいろいろと勉強し感じることが多く、講義の冒頭で「夜と霧」「死の淵を見た男」「後世への最大遺物」等を紹介してスタートしました。職業によりシャキッとし、フルパフォーマンスを引き出していただけることが本当にありがたく、学生たちに「講義をさせていただきありがとう」とお礼も言いました。
今日10日も、9時から18時前まで、昼食を除いてほぼすべて研究ミーティングと教育の時間でした。論文投稿の締切りも5日後に迫っていることもあり、何名かは原稿作成の追込みです。体調は9日とそれほど変わりませんでしたが、朝、晩とお風呂に入り、朝の体操もし、なるべく心身をリラックスするように心がけています。
というような新年のスタートとなりました。まあとりあえず丸二日、フルに仕事ができてホッとしています。
先に紹介した「死の淵を見た男」は福島第一原発の事故発生直後からの吉田所長らのまさに地獄との格闘ですが、本日10日から読み始めました。概要は、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」の過去の番組で知りました。
次女に「原発って知ってる?」と聞いたら、「知らない」とのことだったので、電力から教えることにしました。
9日の新年初登校の朝からレクチャー開始。土木史で大学生たちに教えるのも大事ですが、我が娘に社会のこと、インフラのこと、歴史のことを教えることはもっと大事です。
最初の朝(レクチャー時間はたった5分強)は、「電気が無くなるとどうなるのか?」でした。次女の友達も通学時に一緒になり、面白そうに二人で聴いていました。
本日、二日目のレクチャーは、「電気はどうやってつくるのか?」でした。熱、の話から始めましたし、タービン、水力、火力、風力等はもちろん説明しました。興味を持った次女の質問「じゃあ、私の体の中にも電気になるようなエネルギーがあるってこと?」。いい質問です。自転車を漕ぐことで電気が灯ることを例に、その質問に答えました。水力発電の位置エネルギーの説明もし、水をその位置まで持ち上げるのは太陽エネルギーであること、を説明した辺りで時間切れ。
さて、奥さんが今朝から海外出張に出かけたので、今夜は娘たちと私の三人の夜です。明日もお弁当二つ作って、次女と通学時に電気のレクチャーの三回目。何とか5回目くらいには原発の説明をできれば、と思います。。。
繁忙期も最初のピークに差し掛かり、人間の体の中で最もエネルギーを消費するらしい、脳みそが非常に疲れます。
昨日の火曜日は、毎週恒例の土木史の講義ですが、昨日のテーマは「世界を変えた鉄道」です。毎回、深くて重いテーマですが、今回も全力で講義しました。
冒頭は、福沢諭吉の「文明論之概略」から引用する形で、文明(Civilization)について説明しました。土木工学がCivil Engineeringですので、9回目の講義になると、今日の説明もすんなりと入る学生も少なくなかったようです。
私の講義のこの回では、元JR東日本会長の山之内秀一郎さんの著書「新幹線がなかったら」「なぜ起こる鉄道事故」や、仁杉巌さんの「鉄路の安全を守る」から引用する形で、鉄道システムを安全に運用することの難しさ、歴史を教えます。列車が高性能であることももちろん重要なのですが、それよりもむしろ、線路、軌道をしっかりと維持することの過酷さ、難しさ、重要さについて学生が気づきます。
最近の火曜日は、土木史の講義を全力で行った後、夕方に仕事をしていると脳みそのエネルギーが枯渇し、頭の働きが極めて鈍くなるのを何度か経験しました。
昨日の場合、朝も、土木史の講義の直前まで研究のミーティング。講義終了後に会議一つ、その後、また研究のミーティングが続く、というスケジュールでした。明らかに脳みそのエネルギー不足に陥りそうだったので、15:50からの博士課程の学生の毎回ヘビーな打ち合わせの前に、学内のコンビニで、たけのこの里(練乳いちご味)なるものを購入。事務室の女性スタッフたちにもいくつかおすそ分け。私もいくつかほおばって、さらにジンジャー風味のカゴメの野菜ジュースも飲んで、研究打ち合わせへ。
エネルギーを補給した頭の働きはいつもより格段によく、この研究のある局面も打開できたように思います。
その後も、何度か脳みそがガス欠になりかけたので、そのたびに、たけのこの里とジュースでエネルギー補給。18時ごろまで研究ミーティングをいくつかこなすことができました。
帰宅後は、珍しく家族そろって夕食。手伝いに来ている母親の鍋料理で皆で団らん。長女は中間テスト真っ最中でストレスが溜まっているようでしたが、皆で健康的な食事をいただき、会話しました。
夜は疲れ切った脳みそも休めるため熟睡。
脳みその働きがいまだに向上しているのか、すでに衰えに入っているのか分かりませんが、とにかく鍛え、栄養を与え、よく休ませるしかありません。
脳みそが酷使される環境で働けることに喜びを感じ、トレーニングを重ねていければと思います。そうすることで社会に何らかの貢献を続けることができるかと思います。
今日の水曜日は、つくばで屋外試験体の非破壊試験での計測。様々なツールを持ち寄っての計測です。寒い。
明日、木曜日の夜に、釜石に入ります。8日の金曜日は一日、南三陸国道事務所の管内で、復興道路プロジェクトの実務・研究です。
職場環境が激変しました。
私自身の部屋も13年半住み続けた部屋から変わりましたので、それだけでも大きな変化ですが、前川宏一先生が来られて教員も相部屋にし、スタッフの間ではコミュニケーションが極めて多くなったと思います。すべてはコミュニケーションですから、まずは良い方向に変化したことを喜びたいと思います。
3月は都市科学部の開設に向けての準備のみならず、前川先生をお迎えするための準備も、全く時間の無い中で何とか進め、非常に不安を感じながら4月を迎えましたが、1ヵ月が過ぎました。不安もどこへやら。GW明けは、前川先生も月曜、火曜、水曜とYNUに来てくださり、毎日フルに滞在されるわけでもありませんし、私も外出をしょっちゅうする人間ではありますが、たくさんコミュニケーションできました。火曜の朝は同じバスになり、昨日水曜日は18時から20時過ぎまで大学で話していましたが、帰りのバスも一緒でした。ずっと話しています。
今年度の学生たちの研究テーマも決まる段階になってきました。研究室の全員でメールも使いながらですがコミュニケーションして、研究テーマの調整を行っています。当たり前ですが、昨年度までよりテーマの幅も格段に拡がり、学生たちにとっても選択のしがいがあるのではないでしょうか。
教員、学生みんなが満足できるように研究テーマの分担案を決めるのはマネジメントですが、そこは私の得意とするところなので、まずは皆さんが納得する形で研究テーマが決まるようにもう少し努力を続けます。
それにしても、私が赴任した2003年10月の状況とはあまりにも違い、やや感慨深くなります。13年半前のことです。
そもそも私自身も全く未熟ですし、その状態で助教授をスタートし、この研究室を何とかそれなりの状態にするには10年では難しく、20年くらいかかるかもなーと30歳の私は多少暗い気持ちであったのも覚えています。そのときのスタッフや学生たちが悪いということは全くなく、いろいろな状況が重なり、私が赴任したときには研究室がかなり苦しい状況にあった、ということです。
私自身も13年半も経てば、多少は成長はしますし、現在は自立した研究者ではあると思っています。
前川先生が来られると、私自身も研究室の中で相当なインプット、刺激を受けることができるので、前川先生の研究を身近で見ることができるだけでなく、様々な効果も生まれます。
また、やる気のある若いスタッフや学生たちも多いし、13年半前は一人しかいなかった留学生が、現在は非常にたくさんいます。博士課程も修士課程も。
秘書さんもいませんでした。事務作業も自分でやらないといけないので、会計・出張書類が机の上に溜まって、それを見るだけで暗い気持ちになっていたときも少なくなかったです。
というわけで、いきなり環境が激変したわけでは全くなく、私が来る以前の状況(赴任以前のスタッフの方々も全力で努力してこられた。私が来た時にスタッフの人手が足りなかったりして窮地に陥っていた。)から、じっくり時間をかけて改善してきましたが、結果的には激変しました。
この状況に全員が感謝をし、最大限に活用させていただくべきと思います。
どのような成果が出るかは神のみぞ知る、ですが、恥をかかないよう、全力で努力したいと思います。
年度当初の激務の期間が一段落しました。ふー。3日の週は腰の張りも限界近くまでに至り、7日夕方のカイロプラクティクで持ち直しました。
学部の教務委員を務めるのは少なくとも4回目で、もしかすると5回目かもしれませんが、これまでで最も真面目に教務委員の仕事をしています。
これまでが不真面目だったというわけではなく、当時なりに全力でした。今年は、教務事項に関する理解が深まり、またそもそもモチベーションも以前より高くなったことにより、最も真面目に取り組んだのだと思います。
そのきっかけとなったのは、もちろん都市科学部の設立です。都市基盤学科も誕生し、学生定員も33名から53名(高専からの編入生も含む)に大幅に増えました。もちろん良いことなのですが、学生の人数が増えたからと言って、教育の質は絶対に落とさないように、学科の教員の問題意識、当事者意識も高まってきているようにも感じます。私もその一人です。ピンチになればなるほど燃えるのがCivil Engineerです。
新しい都市科学部と従来の理工学部では、学生の履修やカリキュラムの体系も異なるため、オリエンテーションのためにもいろいろ準備し、勉強しました。その分、過去に教務委員だったときよりも、学生たちとの現場でのコミュニケーションは格段に増え、それは双方にとって良いことなのだろうと感じています。
年度当初の教務の仕事は、これでもかというくらい降って湧いてきますが、今日でピークは終わったように感じます。
さらに、4月から前川宏一先生が着任されましたので、研究室の教員・スタッフ・学生の居室の再配置にも着手しているため、年度開始から10日経過しましたが、まだまだバタバタの状況です。
今週の金曜日ごろに、私が横浜国大に赴任してから13年半住み続けた土木工学棟の305室から撤退します。私の出た後は、学生たちの居室になる予定です。
305室から飛び出して、どこに住むかはまだブログでは紹介しないこととしますが、研究室全体のパフォーマンスが大きく向上できるように、居室の再配置を話し合っています。
環境が大きく変化することは、自らにとっても大きな刺激になるので、結果的には必ず活性化すると思います。
今日から私の講義も本格スタートしました。「材料と複合」(一般の呼称は「建設材料学」)の講義を、火曜日の2限、3限とお昼休みを挟んで連続で行う、というスタイルです。初めてのチャレンジです。そうすることで、通常は7月末ごろまでかかる講義を6月の頭で終わってしまいます。今年度から導入されたターム制(イメージ的には、春学期を二つ、秋学期も二つに分割するというようなもの)をしっかりと積極的に活用しようとしている事例の一つと認識しています。本当は、みんなが連携してターム制を活用すると、いろいろクリエイティブな時間が教員にも学生にも生み出せるのですけどね。難しいチャレンジかもしれませんが、模索してみたいと思います。
研究活動もそろそろスタートしますが、本格化は来週になりそうです。今年もいろんなことにチャレンジしたい気持ちが強く、どのような展開が待っているか楽しみです。
今日は18時から、研究室配属の決まった新4年生や、前川先生、M1の新しい留学生を歓迎するパーティーです。すごく寒いけど、盛り上がることでしょう。
新年度が始まりました。
昨日の土曜日は4月1日で、ほぼ完全オフ、としました。
今日の日曜日から始動。翌日3日の新1年生のオリエンテーションや、翌々日の学部生のオリエンテーション+保護者会(学部1年生)をまずは無事に乗り切ることがとても大事です。もちろんそれ以外にも対応すべきことは多々あるのですが、とにかく優先事項を明確に把握して、無数の作業をこなしていく状況です。
本日から完全節制モードに一気に移行しました。少し太り気味でもあるので、昼食も控え、本日から節酒も再開です。
明日から次女の学校もスタートするので、お弁当も再開。なんと、今年から長女も毎日お弁当だそうで、我が家では、お弁当作りは父親の役割と皆が認識しているようです。。。
4月の最初の週は出張が全くないので、新しく教員が研究室に加わることもあって、グチャグチャの状態と言ってよい研究室、教務関係、新生活を始めるメンバーもいる家族、が安定的に4月をスタートできるよう、私の時間を捧げようと思います。