今日は研究室の学生を2名、JCIの委員会にオブザーバーとして同行させ(私自身もオブザーバー)、5時間の濃厚な議論の後、学生2名と少しお酒も飲みながら復習し、人生論も説きましたので、その延長で若手へのメッセージとして記します。
「自制心」「自己制御」「自己管理」。これらはとても難しいものであり、過去の日本人は自然に身に付けていたものかもしれませんが、現代の日本では大人でも十分に身に付けている人は稀かと思います。私の目で見てすごいな、と思う人たちも多くはなく、身近な例で言うとイチローです。大多数の日本人はこれらについて悩み、最善を尽くそうともがいていると想像します。私のいう「自己制御」とは、自己のことを深く分析できて理解しており、自分のやるべきことがミッションステートメントに基づいて明確であり、自分のやるべきことを着実に実行できるためのマネジメント全体、を意味します。
私も自己確立を模索する中で、自己制御できるように少しずつ成長してきましたが、9月の中盤は自己管理能力の欠如に悩まされました。やはり、どのように高いモチベーションを持つか、保つかというのは人生を通じての課題であると再認識しました。
見かけ上自己制御できているようにするための簡単な方法は「忙しい日常とする」ことです。自己制御云々を論じる前に、そんなことを考える余裕をなくしてしまうことが一番簡単な方法です。普段の私はそういう状況で、やるべきことが一応明確で適度に忙しいと悩む時間もないので、それはそれで充実します。しかし、多くの人は自身の行動と自分の本当にやりたいことが一致していない、もしくは一致しているかどうかも分からない状態なので、忙しいことのみに飲み込まれて別の悩みに遭遇します。
この9月に私が悩んだのは忙しいのとは反対で暇になったからです。追い立てられるような切迫した状況からほんの一時的にせよ解放されたということがあります。ここ数年で初めてに近い経験です。奥さんが育児休暇をとっていることも一因です。ふっと予期せぬ暇な時間ができて、「悩む」時間を与えてもらったと理解しています。(本当は暇でも何でもなく、その時間をクリエイティブな作業に投資すべきなのですが、エアポケットのように気が抜けてしまいました)
ほんとに忙しい人であれば、そんな暇も与えてもらえないでしょうから、まだまだそんな暇を享受できる「若手」なんだと思いました。自分のことに時間を使える若手であり、だからこそ自身に時間を投資すべきである、と認識しました。
普段は共働きの奥さんと家庭を回すのに必死なので、悠長なことは言ってられませんが、たまたま今はそういう時期だったのだと理解しています。
9月も終盤に入り、結局いつもの自転車操業に戻りつつあるので、ほんとに束の間の「バカンス」であったように思いますが、「自制心」を持って日々を全力で生きたいと思います。
学生たちへアドバイスするとすれば、学生の間は所詮は暇人であって、悩む時間があることをありがたく思うべきです。大いに悩んで、自己と向き合い、将来に社会に貢献できる人材となるべく、自己に投資をしなさい。すぐにそんな時間を確保するのが困難な社会人になりますから。
「自制心」「自己制御」「自己管理」。これらはとても難しいものであり、過去の日本人は自然に身に付けていたものかもしれませんが、現代の日本では大人でも十分に身に付けている人は稀かと思います。私の目で見てすごいな、と思う人たちも多くはなく、身近な例で言うとイチローです。大多数の日本人はこれらについて悩み、最善を尽くそうともがいていると想像します。私のいう「自己制御」とは、自己のことを深く分析できて理解しており、自分のやるべきことがミッションステートメントに基づいて明確であり、自分のやるべきことを着実に実行できるためのマネジメント全体、を意味します。
私も自己確立を模索する中で、自己制御できるように少しずつ成長してきましたが、9月の中盤は自己管理能力の欠如に悩まされました。やはり、どのように高いモチベーションを持つか、保つかというのは人生を通じての課題であると再認識しました。
見かけ上自己制御できているようにするための簡単な方法は「忙しい日常とする」ことです。自己制御云々を論じる前に、そんなことを考える余裕をなくしてしまうことが一番簡単な方法です。普段の私はそういう状況で、やるべきことが一応明確で適度に忙しいと悩む時間もないので、それはそれで充実します。しかし、多くの人は自身の行動と自分の本当にやりたいことが一致していない、もしくは一致しているかどうかも分からない状態なので、忙しいことのみに飲み込まれて別の悩みに遭遇します。
この9月に私が悩んだのは忙しいのとは反対で暇になったからです。追い立てられるような切迫した状況からほんの一時的にせよ解放されたということがあります。ここ数年で初めてに近い経験です。奥さんが育児休暇をとっていることも一因です。ふっと予期せぬ暇な時間ができて、「悩む」時間を与えてもらったと理解しています。(本当は暇でも何でもなく、その時間をクリエイティブな作業に投資すべきなのですが、エアポケットのように気が抜けてしまいました)
ほんとに忙しい人であれば、そんな暇も与えてもらえないでしょうから、まだまだそんな暇を享受できる「若手」なんだと思いました。自分のことに時間を使える若手であり、だからこそ自身に時間を投資すべきである、と認識しました。
普段は共働きの奥さんと家庭を回すのに必死なので、悠長なことは言ってられませんが、たまたま今はそういう時期だったのだと理解しています。
9月も終盤に入り、結局いつもの自転車操業に戻りつつあるので、ほんとに束の間の「バカンス」であったように思いますが、「自制心」を持って日々を全力で生きたいと思います。
学生たちへアドバイスするとすれば、学生の間は所詮は暇人であって、悩む時間があることをありがたく思うべきです。大いに悩んで、自己と向き合い、将来に社会に貢献できる人材となるべく、自己に投資をしなさい。すぐにそんな時間を確保するのが困難な社会人になりますから。