細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

時代遅れ

2014-03-16 20:48:19 | 家族のこと

一つ前の記事「与えられないこと」と絡む話です。

その記事の内容を、昨夜、一緒に寝た長女に話しました。反対側には、すでに強力な「ギュー」を10回以上、本人の希望で実施して、ぐっすりと寝ている次女がおりました。

長女は寝る前の読書を終えて、少し目が冴えていたようで、私と話をしたかったそうなので、「与えられないこと」の話をしました。

納得していたようですが、聞き終わった後に、「『ごっこ遊び』をしているなんて、時代遅れかなあ。9歳にもなって。」と発言しました。

5歳が近づいた次女と様々な遊びをやっていますが、ごっこ遊びもやっています。

私は、「時代遅れ???時代の最先端の遊びをやるほど、バカになるよ。」と伝えました。

現在読んでいる「塩の道」の著者、宮本常一氏(高名な民俗学者)の著書「忘れられた日本人」(早速アマゾンで購入しました)が藤井先生らの「大衆社会の処方箋」でも引用されていましたが、宮本常一氏の祖父は「カニとり」を孫たちに素晴らしい遊びとして教え、もちろん捕まえたカニは逃がしてやることとともに教えました。

まさに時代遅れ?のカニ採りですが、長女と私は日本では多摩川の土手に住んでいたこともあり、カニ採りに興じていました。

カニ採りがいかに素晴らしい遊びであるか、長女にも伝えました。

そして、「ごっこ遊び」がいかに素晴らしいか、伝えました。「何なら、パパと科学者ごっこでもやる?それとも、おじいちゃんとおばあちゃんになったつもりで素敵な老夫婦ごっこする?」と話しました。

下手に時代の流行など追う必要は全くない。私も時代の流行など、無視はしませんが、どうでもよいと思っています。

今朝は、長女が「魚の図鑑」を自作で作り始めました。学研の図鑑で自分の気に入った魚を自分のノートに色鉛筆で説明付きで描く、という遊びですが、作品が仕上がるたびに見せに来ます。魚はとても色彩が鮮やかで、長女の描いた魚もとても美しいです。



次女がそれを真似しています。



確実に崩壊に向かっている高度大衆社会ですから、「時代遅れ」の方がよいのかもしれませんね。

私も徹底的に時代遅れの熱血で行かせていただきます。 


与えられないこと

2014-03-16 00:45:03 | 教育のこと

長女の遊び開発力に感心することは、何度かブログでも書いています。自然の流れとして、その影響を大きく受ける次女も、いろいろな遊びを開発して、勝手に遊んでいます。テレビも、テレビゲームも無いので、開発せざるを得ないことが主たる原因であると思います。従たる原因もいくつかありますが、ここでは省略します。

選択肢の多いことは良いことなのだと思いますが、あまりにも多くの選択肢を「与えられる」ことは良くないことなのだと思います。

子どもに個室を与えない方がよいのだと思います。個室にテレビ、ゲーム、インターネットなどが装備されると、無限の選択肢が与えられ、子どもは一切の思考停止に陥り、大衆的な情報をむさぼることになるのでしょう。

私の家族が日本にいたときも、テレビはリビングでない和室にひっそりとたたずんでおられました。現在、パリの家ではテレビがセットアップされておらず、見ることができません。私は見たいという気持ちもほぼゼロですが。結婚した前後は、プレイステーションのゲーム機も持っていましたが、かなり以前に捨てました。

私が育った家庭では、個室の子ども部屋は無し。割と大きな部屋でしたが、子どもたち三人が同じ部屋でした。その部屋にはテレビはもちろん無し。リビングにテレビはありましたが、食事をする部屋とは別で、基本的にリビングのテレビで見る番組を決められていました。

しかし、二階の父親の書斎には小型の古いテレビがあり、私はそのテレビで見たいものをこっそり?見ていました。西遊記の再放送や、おれたちひょうきん族(家では禁止)、Gメン75など。また、リビングで見ることは絶対に許されない、大人のための?番組などもこっそり見ていました。こっそり見る、ということが重要です。こっそりとたくさん見てしまったので、私も大衆的な悪い面をたくさん身にまとうことになってしまいました。ですが、そのため、大衆的な考えも理解できるので、大衆的な方々とコミュニケーションをいつまでも続ける教育者、研究者となろう、と開き直っています。

リモコンをかちゃかちゃ動かして次から次へと番組を換えたり、ゲームでうまく行かなくなったらすぐにリセットしたり、インターネットでへどが出るような情報に触れ続けたりしていては、まともな大人になるはずがありません。ケンカをすることもなく、自己の閉じこもった世界の中でまさに万能の王様になり、傲慢のかたまりのような人間がいとも簡単に養成されるものと思います。

我が家の娘たちは、自分たちの開発した様々な遊びをしていますが、しょっちゅうケンカをしています。そのたびに親に叱られていますが、生身の人間がケンカし、叱られたり反省したりすることが、実はとても大事なんだろう、とこの記事を書いていて感じます。

このブログを読むほとんどすべての人は大人だと思いますが、大人ははっきり言ってどうでもよいし、改善の余地もほとんど無いと思われます。が、無限の可能性を秘めた子どもたちのことを思うなら、テレビ、ゲーム、インターネットなどと子どもの関わりについて親が採るべきアクションはかなりあるように思います。

また、誤解の無いように最後に記しておきますが、あまりにも多くの選択肢を「与えられる」ことは良くないですが、自分の努力で可能性や選択肢を開拓していくことは何ら悪いことではないと思っています。