この世に生きるということは、とかく手間のかかることです。
教育が大事、と誰もが言うけれど、教えている側も、教わっている側も、双方が心から教育が大事である、と思うようになれば、大半の問題は解決するようにすら思います。
そのように教える側も教わる側も双方が感じることのできる場は、現場にしかありません。
授業評価アンケートをやろうが、その結果に対する改善案を大学に提出しようが、何をしたっていいのですが、現場が大事です。
第5回目が終わった土木史の講義は、変わらず300名程度が受講しています。この人数で最後まで行くものと思います。
レポートには、自分がいかに無知であるか毎回痛感させられる、正しい情報を得るということがいかに難しいことであり大事なことであるか強く認識している、結局世の中が正しい方向に行くためにも教育が極めて重要である、などの学生の意見が多いです。
教育は極めて重要です。私自身は教える側と教わる側の間の信頼関係を大切にします。教わる側は盲目的に信じなさい、という意味では決してありません。教わる側は、ぜひ教師を乗り越えて行っていただきたい。そのためにも、信頼関係が大事です。
土木史の講義には非常に多くの工夫を凝らしてはいますが、一言でいうならば、「誠実に学生に接する」ということに尽きます。300枚のレポートを毎週見ることは相当な負担ではありますが、必要だからこの方法を選択しているのであり、結局は私も多くを学ぶことになっているし、学生たちとのわずかなりとも双方向のコミュニケーションにもなっています。そして、誠実に接していることが、学生たちにも通じるのです。
このような講義を行うことは大変に手間がかかります。でも、場として整備しているので、やらざるを得ません。そして、手間がかかるのですが、場ができれば、その場で多くの精神が育っていったり、私自身もその場から数えきれないことを学び、種まきもさせてもらっています。
実践するための場を創ること、これに尽きるのであろう、と思います。