久しぶりに「荘子」のエッセンスを復習しました。色々な本が出ているとは思いますが、入門としては、「100分de名著」(玄侑宗久著)が私は大好きです。同じく玄侑さんの「荘子と遊ぶ」もすごく面白い本で、荘子の本質を理解できる良著です。
とかく人間は、「計画」したがる。現代社会や組織においては特に計画がないと何も前に進まない状況と言って過言ではありません。ですが、あらかじめ立てた計画通りにことは進むでしょうか?計画に縛られてしまうこともしばしばあるし、想定外の事象が起きた場合にあたふたするのは目に見えています。
幸せの語源は、「為合わせ」だそうです。
「為す」の主語は、天、です。私たち人間が主語なのではない。天が為すことに、私たちは合わせていくしかない。合わさっている状態がしあわせ、なのです。
そこから言葉が変化し、「仕合わせ」になる。この仕、の主語は人間になります。この辺りから人間中心の奢った考え方がはびこるようになったのでしょうか。
武道の試合も、もともとは仕合。相手の動きに合わせ、相手と自分が一体になって場の中に存在する。老荘の自然観です。
荘子では、受け身こそが最強の主体性、という考えが説かれます。
社会や組織では、状況に合わせていく受け身だけではうまく行かないとは思いますが、個人の生き方としては一考に値する考え方だと私も思います。
社会や組織ではどうしようもないこともある。そのどうしようもない、変化を続ける状況に、自分がレスポンスするしかない。そのレスポンスの仕方(Responsibility、責任)が問われている。
「計画」の苦手な自分の言い訳をするわけではありませんが、あまりにも計画計画ばかり言われる世の中なので、人間らしく生きるために荘子がおすすめ、です。