ここのところ、私のブログで、「土木史と文明」の最終講義のレポートから2つ、面白いものをご紹介しました。
昨年度から新たに立ち上げた「メインテナンス工学」も、私自身はとても大切に思っている講義でして、この講義についても改めてエッセーを書くことにしますが、今年度の最終回の講義でのレポートから、下記の秀逸なものをご紹介します。学部3年生の時点でこれだけの視点を持てる方の将来のご活躍を心から願います。
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他の学生の感想の中にあった「建設と維持管理を対等に見る」というフレーズには、「建設」と「維持管理」がそれぞれ独立した行為であるという双極の構図が見てとれる。私はこれに少し違和感を感じた。きちんとしたConceptual Designが行われていれば、主体が違っても「建設」と「維持管理」は時間的に連続した行為ではないのか。しかしこの理由は冷静になって考えてみると実は簡単で、もしはじめの建設段階できちんとしたConceptual Designがなされており、構造物自体の想定に変化や問題はなかったとしても、その構造物のユーザーや維持管理者といった人の状況(関係主体のネットワークやコスト面での状況など)は変化しうる。つまり、維持管理の手が加えられて成り立つ性能維持は、同様にその構造物のConceptual Designが想定する時間軸から人為的な原因で外れてしまう恐れもある。ここに、「建設」と「維持管理」の連続性の確保(つまり構造物の性能維持に時間軸に沿って付き合うこと)が難しい理由を見出せるのではないかと考察する。
首都高のトピックから日本橋の景観についての話があったが、高架がかかっている現在の日本橋の状態について「景観を損ねていない」という主張を聞いたのは初めてだった。私自身は日本橋を実際に渡ったことがないのではっきりとした主張はできないが、日本橋の景観の良し悪しは確かに賛否両論あるだろう。おそらく日本橋以外で名前もそこまで有名ではないような橋ならば、このような議論にはならないのではないかと思う。それは橋自体が、日本橋という地域のコンテクストを含むアイコニックな役割を果たしていること、あるいは国や東京(江戸)にとっても歴史的文化的な価値があることが、あまり実感できないという問題から「景観を損ねている」という形で議論になっているのだろう。そこで、上に挙げたような日本橋の役割や価値を、メインテナンスにおける「機能」に結び付けて考えてみるとどうだろうか。日本橋の上を大きく高架が覆っている状況を見ると、地域の人々やユーザー、あるいは国民にとって目に見える形で機能(役割や価値)が果たされているとは肯定できない人がいるのも不自然ではないと思う。こうした捉え方で見れば、現在出ている地下化の案は、かつての日本橋の景観を取り戻すことでそうした地域のコンテクスト、日本橋の歴史的文化的価値をより引き立たせることができ、ある意味「機能増強」とも捉えられるかもしれない。
この講義の初回のレポートで、Conceptual Designから派生して「用・強・美」について触れた。その時は「用(utility)」に注目して考察したし、講義を通じてメインテナンスでは「用・強」の要素が主に扱われているように感じたが、日本橋の事例によって「美」の要素についても構造物のfunctionやperformanceは発揮されていて、同様にメインテナンスの対象となる要素だということに気づくことができた。これは、道路舗装における快適性という要素にも関連している。性能維持というメインテナンスの本質から外れずに考えれば、まず最優先は安全性であるが、快適性や景観、ユーザーが感じる「美」の要素もまたメインテナンスによって維持することが目指されるべきだと指摘できる。
最後に毎回の私の考察を簡単に振り返る。参加のしかたには個人差はあるだろうが、私は具体的な技術についてよりも、主に言葉や行為、操作の意味について厳密になってメインテナンスを考えることができた。「メインテナンスとは何か」という質問から始まったこの講義で、そうした厳密さに基づいて各回のプロフェッショナルから得た知識や哲学は、近い将来の実践の機会に大きく役立つのではないかと思う。失敗も含めて、自己形成や専門領域での学びに努めたい。