細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(110)「日本史にみる土木と義務教育のあるべき姿」 秋田 修平 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:33:04 | 教育のこと

「日本史にみる土木と義務教育のあるべき姿」 秋田 修平 

 我々日本人は、非常に恵まれたことに小学校・中学校の義務教育課程において多くのことを学ぶことが可能である。その中でも、「歴史」という分野をいかに捉え、教え、学んでいくのかということは、義務教育課程での教育の中で一つの重要な点であるように思われる。特に、「歴史」は一つの出来事や一人の人間に対してであっても観点を変えて多角的な見方をすることができる、とても興味深い分野であるといえるであろう。
そこで今回は、日本史の中でも多くの人からの人気を集める戦国・安土桃山時代とそれに続く江戸時代について、戦乱の時代から江戸に都市の礎が築かれるまでを土木の観点から分析していきたい。

 まず、戦国時代についてであるが、戦国の世の中で力をつけていった大名の特徴はどのようなものであろうか。私は、その一つの特徴として、土木の素養の高さが挙げられるのではないかと思う。

 第一に、戦国武将の中でも高い人気を誇る織田信長であるが、「付城戦略」を実施するだけでなく、本拠地を清洲城から石垣造りの小牧山城に移すなどの大掛かりな土木工事を行うことで、周囲の今川義元や斎藤道三といった大名たちを圧倒していったとされている。次に、信長の死後に全国統一を成し遂げた豊臣秀吉であるが、こちらも土木のセンスが抜群であったといえよう。秀吉は、信長の後を継いで全国統一をしただけでなく、京都の土地を傾斜を利用した下水網を整えるなど、土木によって京の街の骨格を形成した人物でもあったのだ。また、秀吉が京の街に構築した「お土居」は、防塁としての役割はもちろんのこと、鴨川の氾濫に対応するため堤防としてのため役割を担うことも目的としていたというから驚きである。

 ここまででも、土木がいかに戦国の世で重要であったかが垣間見えたように思われる。では、この土木のエリート揃いの戦国時代を勝ち抜き、江戸という新たな土地で一時代を築いた徳川家康はどうであったのだろうか。言うまでもなく、こちらも土木の天才である。まず、家康が都を築きあげた江戸という土地であるが、家康が整備に取りかかる以前は集落や村々が点々と存在するのみでとても都とは程遠い状況であった。家康は、そのような状態から現在の首都東京の基盤となる江戸の街を築いていったのである。具体的には、城の拡充・城への直接的な水路の確保から始め、入江の埋め立て、家臣の屋敷の整備など、様々な土木事業を展開していったのである。

 その中でも着目するべき事業は、小名木川の開削である。現在の千葉県の上総地区は、良港が連なり東日本への玄関口としての役割を担う交通の要所となっていた。家康が江戸に入った当初、東北では伊達政宗が大きな勢力を誇っており、家康は伊達からの上総への攻撃に備える必要があった。しかしながら、江戸には大きな問題が存在していた。伊達が関宿を南下し陸路で上総を狙った場合、上総が占拠されてしまう危険性があったのだ。家康は、この危険性をいち早く発見し、小名木川、新川という運河を整備して軍の移動をより高速で行うことができるようにしたり、関宿での堀の建設により川を防衛のために利用したりと様々な対策を施した。実際に、現在でも小名木川は隅田川と荒川を結ぶ川として存在しており、家康の考えていた進軍の道筋を今でも地図上で辿ることができる。

 そして、この工事の甲斐もあってか、家康は伊達からの攻撃にやられることなく全国統一を成し遂げることになるのだ。つまり、家康は江戸の街だけでなく関東地方全体をきちんと調査した上で、その弱点を土木事業によって的確に補修することにより、江戸時代という歴史上の一大時代の基礎を作り上げたのである。

 ここで、江戸時代の土木事業に関して興味深いのは、伊達からの脅威が消えた中でも幕府が利根川の工事を継続していたことである。つまり、土木事業の目的が防衛から変化したのである。これは、当時暴れ川として恐れられていた利根川の洪水から関東平野を守るためであったのではないかと考えられている。実際、これにより関東平野は日本随一、世界有数の都市へと成長と遂げたのである。

 このようにして考えると、家康の地域調査の能力、的確な土木工事により今の日本は支えられていると言っても過言ではないのではなかろうか。
 
 ここまで、戦国時代から江戸時代に活躍した「超有名歴史人」たちを例に土木と歴史の繋がりについて考察してきた。恐らく、この「超有名歴史人」たちについてであっても、私を含めてほとんどの日本人が、このような土木の成果を義務教育の授業の中で教わることはないであろう。前述したように、歴史は切り取る観点を変えるだけでそれまでとは違ったことに気づき、学ぶことができる、とても面白い学問である。9年間もの義務教育という素晴らしい制度が確立されている日本では、ただ教科書に書いてある事実を教えるだけでなく、このような学問の捉え方や学び方、すなわち「受験だけのため」でなく本当の意味で「自分のため」になる、武器としての学問の使い方についても子供たちに伝えていく必要があるのではなかろうか。


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