「災害対策は常在戦場の心構えで」 大倉 風芽
今回の講義では新潟平野の関屋分水路の話を中心に、災害対策は地域に産業を生み、生活を一変させるイノベーションたり得るということを学んだ。
しかし、私は災害対策によってもたらされるのは必ずしも良い結果だけではなく、災害対策を行うことによって失われるものやデメリットもあると感じる。そして、日本では大規模な災害が起きてから対策を求める世論の声が大きくなり矢継ぎ早に災害対策が行われていくことが多いが、平時から十分な検討を行った上で大きな被害が生じる前に対策を講じることが重要だと考える。
ここで私にとって身近な事例を2つ紹介する。
斐伊川の事例
斐伊川は島根県奥出雲町を起点に出雲平野を通り宍道湖、中海を経て日本海に注ぐ一級河川で日本神話の八岐大蛇のモデルとされたほどの暴れ川であり、 記録が残る元和7年(1621)から慶応2年(1866)年までの245年で62回もの大規模な洪水を起こしている。 このように洪水が多発していたのは古代から行われていた鉄穴流しによるものが大きい。 鉄穴流しとは山を切り崩して土砂を川に流すことで沈んだ比重の重い鉄を取り出すという鉄の採取法である。出雲地方で行われた鉄穴流しは1トンの錬鉄を得るために約560万m^3の土砂が排出されるという歩留まりの非常に悪いもので、排出されて堆積した土砂の合計堆積量は2億5千万m^3にものぼると言われている。そして、排出された土砂は川に流されるため土砂が川底に堆積し、斐伊川は人の住んでいる標高より高いところを川が流れる天井川となり水害が多発した。このようにして起こる水害に対応するため松江藩は川の流路を人工的に変更する川違えや放水路の建設、鉄穴流しの禁止などの水害対策を行った。しかし、経済の観点から鉄穴流しの禁止は続かず抜本的な対策には至らなかった。そのため水害はその後も続き大きな被害が発生し続けた。
その一方で水害による堤防の決壊や鉄穴流しによって宍道湖の東岸に位置する簸川平野のおよそ2/3は300年程度という極めて短期間で堆積によってできるなど、出雲平野の土地が拡大し新田開発が行われるなど必ずしも悪い点ばかりではなかった。このような背景から洪水や洪水リスクとなる鉄穴流しは絶対悪と言えず、対策が進まなかったという状況が存在した。
明治になって近代製鉄法の確立や資源の枯渇によって鉄穴流しが先細りになる一方で、行政や商工業の中心地となっていった松江を水害から守るために本格的な治水が計画されるようになった。明治26年の洪水の後、内務省から出向し島根県の土木課長として治水計画を立案した関屋忠正は藩政時代の治水について「藩が水治めるときは常に新田増設、若しくは射利(目先の利益)をもって着目する所も、また全局に及ばず」「一時の急を救うも、未だもって百年の体系とするに足らず」と述べ藩政時代の治水を批判し、斐伊川の水流の一部を宍道湖に流し、残りを日本海に流す計画などを明治29年に報告した。 その後関屋が尽力した計画は明治43年に国の直轄事業として行われていき、その後も予想以上の洪水に見舞われるなど紆余曲折を経て治水事業が行われ、現在も斐伊川治水のための工事が続けられている。
災害のリスクを受け入れ災害を活用するという鉄穴流しや新田開発と明治以降の治水そのどちらかが欠けても今日の松江の繁栄はなかったであろう。
日野川の事例
鳥取県の東部を流れる日野川でも鉄穴流しが盛んに行われていた。 その状況は明治の鉄道開業記念で作られた山陰鉄道唱歌で日野川の様子について、「海をはるかに眺めつつ淀江の町を過ぎ行けば濁れる水の日野川に鐡の採取ぞしのばるる」と歌われているほどである。 そして出雲平野と同様に日野川での鉄穴流しによる土砂の堆積によって現在の弓ヶ浜半島が形成された。しかし、鉄穴流しの衰退やダム、砂防堰堤の建設によって土砂の流入量が減少し海岸侵食という新たな災害をもたらすこととなった。特に、日野川河口付近にあり日本海に面している皆生温泉では約300mも海岸侵食によって汀線が後退するという危機的な状況を迎えた。そのため、皆生海岸では護岸や離岸堤、サンドリサイクルなど国内でも類を見ないほど大規模な海岸侵食対策が今でも行われている。
このようにある災害リスクが減少することで別の災害リスクが高まり、対策が必要となることもある。 人間は利便性を求めて川や海の近くなど災害リスクの高い場所を選んで住み、都市を作り上げた。そのため、一度災害が起きれば被害が出るのは避けられない。そんな中でも災害の被害を減らし、繁栄を手に入れ、維持するには災害があってから考えるのではなく、平時から次の災害のことを考え対策をしていく必要があるのではないだろうか。
参考文献
森俊勇「たたら製鉄」と「鉄穴流し」 による山地の荒廃と土砂災害
https://www.sff.or.jp/content/uploads/H29houkoku.pdf
大矢幸雄 斐伊川治水の歴史と水郷松江
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/54/2/54_1/_pdf/-char/ja
日野川水系及び皆生海岸総合土砂管理連絡協議会 日野川流砂系の総合土砂管理計画
https://www.cgr.mlit.go.jp/hinogawa/2015/150325sougoudoshakanri.pdf
奥出雲町まちづくり産業課「たたら製鉄」と生活・環境 鉄によって形づくられた出雲の風景
https://tetsunomichi.gr.jp/history-and-tradition/environmental-facts/part-3/
国土交通省 斐伊川
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0713_hiikawa/0713_hiikawa_01.html
国土交通省 日野川
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0712_hinokawa/0712_hinokawa_01.html
WIKISOURCE 鉄道唱歌/山陰鉄道唱歌
https://ja.wikisource.org/wiki/鉄道唱歌/山陰鉄道唱歌
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