細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(74) 「道で道を切り開く」 You Younggeun(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:37:14 | 教育のこと

「道で道を切り開く」 You Younggeun

 1970年7月7日、その日は韓国にとって実に歴史的な日だった。街のあちこちに慶祝アーチが建てられ、全国がお祭りムードに包まれていた。史上最大の土木工事と呼ばれた京釜高速道路が完全開通する日だった。計428kmの区間の中で最後の大邱と釜山の間が完工したことにより、ついにその開通式が盛大に開かれることになった。人々の胸にもう私たちも一度やってみることができるという夢と野望と挑戦と繁栄の道が開いたのだ。今すぐ生計を立てることも難しい状況で、自動車も数台ない国で高速道路に何の必要があるのか」と強く反対する世論も少なくなかった。さらに野党の大物の一人は、高速道路の起工式を行う日、ブルドーザーの前を塞いで道端に横たわることさえあった。しかし、当時の政権勢力の考えは違った。何をしても祖国近代化と産業化を成し遂げ貧困から抜け出し繁栄の道に進むためには、この京釜高速道路を建設することが国民意識を変えるのに決定的な役割を果たすと信じた。もちろん、すぐにはこの道を運ぶ輸出商品も多くなく、高速道路の上を走る自動車もあまりないが、いつかはそのような日が来るように、私たち自らの力で作ってみようという意欲と意志があふれる起爆剤のような道だった。道が先なのか、運ぶ物が先なのかは、単に順序や方法に過ぎないという判断だった。特別な副存資源もない韓国のような国では、国民の意欲と自信が何より大きい資産だと考えた。「いつまでこの狭い地面にしゃがんで飢えてばかりいるのか。私たちも一度豊かに暮らしてみよう。そのためにはどうすべきか」この高速道路建設の夢は、当時のパク·チョンヒ大統領の西ドイツ訪問で芽生え始めた。

 1964年、朴正熙(パク·チョンヒ)大統領が借款を得るため西ドイツを公式訪問した際、国賓用乗用車に乗り込み、戦後繁栄の象徴として誇る高速道路「アウトバーン」を時速160kmで走り、歯を食いしばって決心を固めた。そして帰国するやいなや高速道路の勉強に没頭した。

 そのように1968年2月1日に着工し、1970年7月7日、約2年5ヵ月ぶりに開通したのだ。外国資本が一銭も入っていない、純粋に韓国国民が納めた税金で、純粋に韓国の技術で、物流輸送の一大転換と革命を成し遂げた。延べ900万人が動員され、建設過程の犠牲者は77人だった。この時に生じた「早く早く」は後日少なからぬ副作用を産んだりもしたが、予算の都合上、その時高速道路の幅をわずか4~6車線にしか作れなかった残念さもあった。しかし、それは当時の韓国経済力のやむを得ない限界だった。以後、高速道路が通る道ごとに工業団地と産業団地が入り、そこで生産される輸出品を果てしなく運ぶ産業の大動脈に、物流輸送の画期的な一大変化をもたらすことになった。自動車、製鉄、精油工場などの関連産業が京釜高速道路を軸に位置している。ソウルから釜山までわずか4時間で行けるというのが夢のようだった。東西と南北間でまるでクモの巣のように絡み合っており、その上に乗用車と貨物車が昼夜を問わず走っている。だから京釜高速道路は単なる道ではなく、私たちの夢と挑戦精神まさにそれだった。


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