シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

日本ダービーと作家の人生

2006-05-27 11:00:52 | 世の中あれこれ
競馬の祭典、日本ダービーが明日行なわれる。

3歳馬の日本一を決めるレースだが、
競馬界の頂点でもある日本ダービー。
これまでにも、数々の名馬や歴史を作ってきた。
同時に、人の人生にも深く関わっている。

芥川賞作家、宮本 輝氏の話を思い出す。

氏は若い頃、東京・府中の安アパートに住んでいた。
作家を目指したが売れず、その日の金にも困っていた。
昭和44年・5月の日曜日。朝から大雨だったが、
目と鼻の先の東京競馬場ではその日、ダービーが行なわれる予定だ。

氏は、栄養失調と疲れで、朝から頭痛がする。
雨の中、近くの墓地の入口で座り込んでいた。
そこに、二人の男が通りがかる。競馬場に行くらしい。

「この大雨だったら、絶対ダイシンボルガードだ。
こいつは雨が鼻に当たるだけで、大喜びして走る馬だ」

男の一人の会話が耳に残る。
競馬のことはさっぱりわからない氏だったが、
もう、いちかばちかだった。
姉から、就職祝いに貰った時計を、府中駅前の質屋で金に換えた。
金になるものは、それしかなかった。

頭痛が治まらない中、競馬場に行く。
落ちていた新聞から、男が口にした「ダイシンボルガード」を見つけ、
その馬に、持ち金をすべて賭けた。

結果、ダイシンボルガードは雨の中をついて勝った。
まとまった金を手にした氏は、なによりもまず、
(時計を流さずに済んだ)とホッとしたという。

その金を元に、本や原稿用紙を買い漁り、
投稿した作品が、権威のある賞に入る。
それが認められ、その後執筆活動を続け、
1978年、「蛍川」で芥川賞を受賞する。

氏は、受賞したその日の夜、
親父が生きていたらどんなに喜んでくれただろうと、
風呂の中でひとしきり泣いたという。
そして、自分の人生をやり直させてくれた馬、「ダイシンボルガード」。
この名を一生忘れないと誓っていた。

(1982年・雑誌「優駿」から)

写真は、今年の人気馬の一頭、「メイショウサムソン」号。
明日の府中も雨だという。