競馬の祭典、日本ダービーが明日行なわれる。
3歳馬の日本一を決めるレースだが、
競馬界の頂点でもある日本ダービー。
これまでにも、数々の名馬や歴史を作ってきた。
同時に、人の人生にも深く関わっている。
芥川賞作家、宮本 輝氏の話を思い出す。
氏は若い頃、東京・府中の安アパートに住んでいた。
作家を目指したが売れず、その日の金にも困っていた。
昭和44年・5月の日曜日。朝から大雨だったが、
目と鼻の先の東京競馬場ではその日、ダービーが行なわれる予定だ。
氏は、栄養失調と疲れで、朝から頭痛がする。
雨の中、近くの墓地の入口で座り込んでいた。
そこに、二人の男が通りがかる。競馬場に行くらしい。
「この大雨だったら、絶対ダイシンボルガードだ。
こいつは雨が鼻に当たるだけで、大喜びして走る馬だ」
男の一人の会話が耳に残る。
競馬のことはさっぱりわからない氏だったが、
もう、いちかばちかだった。
姉から、就職祝いに貰った時計を、府中駅前の質屋で金に換えた。
金になるものは、それしかなかった。
頭痛が治まらない中、競馬場に行く。
落ちていた新聞から、男が口にした「ダイシンボルガード」を見つけ、
その馬に、持ち金をすべて賭けた。
結果、ダイシンボルガードは雨の中をついて勝った。
まとまった金を手にした氏は、なによりもまず、
(時計を流さずに済んだ)とホッとしたという。
その金を元に、本や原稿用紙を買い漁り、
投稿した作品が、権威のある賞に入る。
それが認められ、その後執筆活動を続け、
1978年、「蛍川」で芥川賞を受賞する。
氏は、受賞したその日の夜、
親父が生きていたらどんなに喜んでくれただろうと、
風呂の中でひとしきり泣いたという。
そして、自分の人生をやり直させてくれた馬、「ダイシンボルガード」。
この名を一生忘れないと誓っていた。
(1982年・雑誌「優駿」から)
写真は、今年の人気馬の一頭、「メイショウサムソン」号。
明日の府中も雨だという。
3歳馬の日本一を決めるレースだが、
競馬界の頂点でもある日本ダービー。
これまでにも、数々の名馬や歴史を作ってきた。
同時に、人の人生にも深く関わっている。
芥川賞作家、宮本 輝氏の話を思い出す。
氏は若い頃、東京・府中の安アパートに住んでいた。
作家を目指したが売れず、その日の金にも困っていた。
昭和44年・5月の日曜日。朝から大雨だったが、
目と鼻の先の東京競馬場ではその日、ダービーが行なわれる予定だ。
氏は、栄養失調と疲れで、朝から頭痛がする。
雨の中、近くの墓地の入口で座り込んでいた。
そこに、二人の男が通りがかる。競馬場に行くらしい。
「この大雨だったら、絶対ダイシンボルガードだ。
こいつは雨が鼻に当たるだけで、大喜びして走る馬だ」
男の一人の会話が耳に残る。
競馬のことはさっぱりわからない氏だったが、
もう、いちかばちかだった。
姉から、就職祝いに貰った時計を、府中駅前の質屋で金に換えた。
金になるものは、それしかなかった。
頭痛が治まらない中、競馬場に行く。
落ちていた新聞から、男が口にした「ダイシンボルガード」を見つけ、
その馬に、持ち金をすべて賭けた。
結果、ダイシンボルガードは雨の中をついて勝った。
まとまった金を手にした氏は、なによりもまず、
(時計を流さずに済んだ)とホッとしたという。
その金を元に、本や原稿用紙を買い漁り、
投稿した作品が、権威のある賞に入る。
それが認められ、その後執筆活動を続け、
1978年、「蛍川」で芥川賞を受賞する。
氏は、受賞したその日の夜、
親父が生きていたらどんなに喜んでくれただろうと、
風呂の中でひとしきり泣いたという。
そして、自分の人生をやり直させてくれた馬、「ダイシンボルガード」。
この名を一生忘れないと誓っていた。
(1982年・雑誌「優駿」から)
写真は、今年の人気馬の一頭、「メイショウサムソン」号。
明日の府中も雨だという。