「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」
と詠まれた大井川
旧東海道の島田宿と金谷宿の間に流れる大井川
江戸時代、大井川は東海道の難所の一つ
というのは、この大井川、江戸時代には橋がなかったんだな…
人の往来が多い東海道なのに…
なので、大井川を越すときには、「川越人夫」に運んでもらう他には方法がなかったのです…
人の往来が多かった東海道なのに…
では、なぜ、大井川に橋を作らなかったのか…
「江戸を目指す軍勢を止めるために幕府は大井川に橋をつくらせなかった」というのが通説ですが…江戸時代のには島田宿と金谷宿の両方の宿で、「川越人足」を束ねる組織がつくられ、その業務を独占的に行うことを幕府から認められていたことから、幕府がその「川越人足」の既得権益を保護するために橋を作らなかったとか…単に土木技術の問題で、恒久的な橋をかけるのが難しかっただけだとか…諸説あるようですが…
そんな島田宿大井川川越遺跡のオブジェが
島田市博物館の駐車場のあたりに…
正面から…川越人夫を激写…
連台に乗って撮影OKとのことで、乗って撮影してみました…
大井川に落ちまいように…と、それなりに演技をしてみましたが…
廻りの樹木が邪魔…笑
「箱根八里は馬鹿でも越すが 越すに越されぬ大井川」状態に…
さてさて、今回、紹介するのが
そんな島田宿、大井川の川越の資料を主に展示する…
島田市博物館
実に…立派な…立派な…博物館の外観…
立派な…冠木門も…まるでお屋敷のイメージ…
島田市博物館の前の庭には
松尾芭蕉の句碑
「ちさはまだ青ばながらになすび汁」
島田宿の俳人、塚本如舟邸でお世話になってたときにもてなされた御馳走のことを詠んだ句
もはや初夏なのに目の前のお膳の汁には、春野菜であるちさ(チシャ菜)が、青葉のまま、そのうえ盛夏のものである茄子までが入っていて、青々として香り高いちさと色鮮やかな紫の初茄子とをご馳走をしてくれた感謝の気持ちが表れている一句
さらに、もう一つ、松尾芭蕉の句碑が
「たはみては雪まつ竹のけしきかな.」
この絵に描かれた竹のたわみ具合いは、いかにも雪の降るのを待ちこがれていつかのよう
…となれば、松尾バショウをリスペクトしている私こと、松尾ドショウも一句詠まなければ…
「ちさはまだ青ばながらになすび汁」と松尾バショウが詠えば
ここで、松尾ドショウも一句
「あすもまた あくびしながら なにをする??」
(意…暇で退屈な日が続いていることよ)
「たはみては雪まつ竹のけしきかな」と松尾バショウが詠えば
ここで、松尾ドショウも一句
「夢みては、本命こけたけしきかな」
(意…本命の馬がこけて、大穴をとった夢をみたことよ)
そんな松尾ドショウが???
島田市博物館の館内へと…
入館料は300円…でも、受付のオバサン…もとい…オネーサンが優しくて、JAFカードお持ちですかとわざわざ声を掛けてくれる…
そのおかげで、入館料240円…60円も割引…
もう、それだけで、テンションあがりますよね!!
いやあ、島田市博物館にきてよかった…受付のオネーサン、最高!!!
チャンチャン!!
???…あ、これで終わったら、今回のブログはなんやねんといった感じなので…館内をざざっと報告しましょ!!
エントランス奥の巨大ガンダムが気になるところですが…
まずは、1階の常設展示室へと
ここは、どどんと、島田宿の展示
正面に平ぺったいオジサンが座ってますなあ…
江戸時代の島田宿の雰囲気は良く感じられるので…ここは等身大人形をおいてほしかった…とは勝手なB級スポットマニアである私の個人的な感想…
島田宿のことがよーくわかる解説パネル!
東海道宿場町人口ランキング…
このように並んでいるので、てっきり第4位かと思いきや…第7位でした…
でも城下町の小田原や浜松、岡崎よりも多かったと自慢気のパネルです…
東海の奇祭「島田大祭」のメインの
神輿渡御行列
大井神社で行われる祭
神輿渡御に従って続く大名行列、鹿島踊り、屋台が全体として一つの祭事のようだけど、大名行列の際に「大奴」が左右に差した日本の太刀に帯を吊るしているさまが特徴的であることから、かつては「帯まつり」という呼称が祭事の総称として使われていたそうで
こちらが「大奴」の等身大人形
…が、まさかまさかの外国人??ラテン系???
「祭り」ときけば、ラテンの血が騒ぐということでしょうか…
江戸時代の旅人の等身大人形は…
濃いラテン系の表情とは一変…のっぺらぼう…
これが、旅の往来手形
「旅のパスポート」とカタカナ表記で言いきっちゃってますなあ…
さてさて、そんな島田市博物館の常設展示室には、キャラクターが描かれていまして
それは
大工の「太郎べぇ」と、その弟分の「次郎吉」
ちゃんとプロフィールの表示まで…
旅では
スリに遭ったり、賭博で大負けしたり…
おいはぎにあったり…
島田だけに「旅するなんてしまっだー!」もとい「旅するなんてしまったー」と逃げながら思っていたことでしょう…
飯盛女…
旅籠で美女に誘われて…
でてきた女性は…といえば…
まあ、こんなことは今の風俗でもあるある!!でしょうな…笑
続いては、松尾バショウを彷彿させる、これまたラテン系の顔立ちではなくて、のっぺらぼうの俳諧人…あ、けして徘徊人ではありませんので、お間違いなく…
「馬方は知らじ時雨(しぐれ)の大井川」
ここは、やはり、松尾ドショウも
「勝ち馬は知らじしっぱい(失敗)の大井競馬」
(大井競馬で儲けたことがない…の意)
そんな松尾芭蕉に関する解説と…
大武清助さんの作った時計の解説板
なんでも大武清助さんは旅の途中、この島田宿で川留めを喰らって(川の増水、氾濫で渡れなくなること)その間、旅籠でいろいろな人と語らう中で、時計作りをしながら…ここに定住したそうな
その看板
島田の刀鍛冶のコーナー
そして、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」
そう「川越人足」についての解説パネル
「川越しをとりしきるのは川会所」
「大名の川越しは人足を総動員」
こちらは
「大井川川越賃銭」表
オモシロいのは、その日の川の深さによっても賃銭が違っていること
帯下は安く…川の水が脇までくると値段が約2倍…
脇よりも、ちょいと安いのが乳…「乳と脇の差」…実に微妙な感じが…
危険が伴うようで…
「川越人足」の組織図…
私の年齢だと一番手前の「口取り」
川越仲間から「年寄」と呼ばれた45歳以上の者のことのようで…
ちなみに、15歳以下は「弁当持ち」
このようなハコを持って、大井川を行き来してたようで…
充実の連台ラインアップ
私がこの時代、生きていたら…どーせ、お金もないだろうし…平連台だろうな…
そして、島田と言えば、ここが「島田髷」の発祥の地らしい
花嫁が白無垢や打掛の和装を着る際の伝統的で代表的な日本髪の髪型「文金高島田」も「島田髷」の一種なんですね
島田出身とも伝えられる遊女、「虎御前」が考案したともいわれる「島田髷」…島田髷は京や江戸にも伝わっていったようで…
この左が「高島田」
トイレのイラストも「高島田」…笑
さて、2階の特別展示室では
静岡県は、東京都と並ぶ日本のプラモデル産業発祥の地らしく
それにちなんで
第87回企画展「プラモエキスポ2022 in 島田」の展示が…
エントランスには巨大ガンダム…
では2階にあがって
そうだったんだ…ちなみに、私は夢中になってはいませんでした…
静岡県の模型は木製模型から出発したとか…
こんなの、我が家にもありました…懐かしいですなあ…
こんなミニカー、いくつか買ってもらった記憶が…
そしてプラモデルへと発展し、今も日本のプラモデル産業をリードしているとか
「子なきじじい」や「砂かけばばあ」「ムーミンママ」のプラモデルが気になる!気になる!
どれも、鬼太郎やムーミンといった主役じゃないところが…笑
昭和の頃、よく走っていましたなあ…今は、さすがに、おみかけしませんなあ…
この頃は、ロシアがウクライナに戦争を仕掛けた頃でして…こんな戦車が実際に動いて、人を殺してるんなんていう現実を映像でみると…ぞっとしますなあ…
こちらは車…
さすがにロシアの暴挙には、頭にくるまー!!(くるなー!!)
プラモデルによる…ガンダムの進化
日本が、戦争をしかけたロシアのようだった頃の
零戦…
どんどん、プラモデルが芸術作品のようになっていく…
ペリーの姿はみえないけど「黒船」
さらには、安宅船…江戸時代の軍船ですな
島田宿だけど…御油宿
飯盛女が旅人を強引に旅籠に誘ってますなあ…
このブログもついでにどうぞ!!
旧東海道…御油宿に行く!!
御油の松並木資料館…に行く!!
東海道由比薩埵峠
沖縄は首里城
法隆寺の五重塔
そして姫路城
さらには、もう、ここからはプラモデルというよりも…一つの芸術…
この青木周太郎さんが制作した
まるでウクライナの首都キエフの街に侵攻したロシア軍のような…
これを見て思ったことはただ一つ…
ホントに…戦争なんて…戦争なんて…いらない…
今回のブログ…これにて…お島田??…おしまだ???…
はい…おしまいだ…チャンチャン!