島田市にある
大井神社を参拝する…
こちらは東海道沿いにある表参道の鳥居
日本三大奇祭「帯祭」で有名な神社…
日本三大奇祭とググってみると…黒石寺の「蘇民祭」、「なまはげ柴灯まつり」、吉田の火祭り、国府宮はだか祭、四天王寺どやどや(大阪市)、西大寺会陽(岡山県岡山市)、長野県の諏訪大社の「御柱祭」(長野県諏訪市)…と…三大奇祭どころか、いくつもヒットしますが…笑
日本三大奇祭であることは間違いないでしょう…ここに書かれていますからね…
鳥居のそばには
道中飛脚奉納灯籠…この看板が設置されたころから150年前…江戸時代のもので大井川川越の無事を祈って奉納されたもの…
この灯籠(とうろう)を眺めながら、とおろう(通ろう)…笑
参道の左右には
土手石垣
江戸時代、大井川の川越稼業の人達が、毎日の業を終え、帰る際に河原から石一つ選び持ち帰り、それを蓄積してこの土手(堤)石垣を築いたものだそうな…
そんな説明板が他にも
土手石垣に囲まれた参道
表参道を進むと
左側には
納札所
その奥は…神社と繋がった結婚式場「大井神社宮美殿」
納札所を越えたところに手水舎が…
柄杓はなく…竹から水が…新型コロナウイルス感染症対策ばっちりです…
ちょいと水量は弱い感じはしますが、ここで手を浄めて…さらにはひょっとしたら手にへばりついているかも知れない新型コロナウイルスを洗い流してと…
なんせ、新型コロナウイルスがおおい(大井&覆い)かぶさってきたような、ここ数年間ですからね…
参拝のしかたも動画で知る時代なんです……
そのそばには
安産祈願「帯塚」
使用した帯に感謝し供養して、この帯塚に納めた大井神社特殊信仰の故事により一家の平安と安産を祈る「帯塚」
どことなく陰陽石…女性の…にみえなくもない…
この太鼓橋(神橋)を渡ると境内へと…
平成29年度に、1712年建立の石橋が劣化のため、架替えたとのこと…
渡れなくても1712年建立の石橋を残してくれてた方がよかったような…
参道は…実はもう一つあって御社殿正面に真っ直ぐのびる参道が…
鳥居も石鳥居…こちらの方が歴史を感じる鳥居で
ご由緒書きの案内板
より新しいもの
御祭神は弥都波能売神さま(みずはのめのかみ)、 波迩夜須比売神さま(はにやすひめのかみ)、天照大神さま(あまてらす おおみかみ)の三女神
三柱共に女神様である事から「安産の神」女性や子供の守護神として信仰されている神社
参道途中に、ここにも手水舎が…
先ほどの手水舎で…新型コロナウイルスを洗い流して…もとい…手を浄めてあるので、この手水舎には立ち寄らずに…
参道の正面が拝殿…
その参道途中には
大井大明神奉献灯籠…
この灯籠(とうろう)を眺めながら、とおろう(通ろう)…笑…このオヤジギャグ、早くも2回目…
歴史を感じる狛犬2体…
さらに拝殿の左右には
テッカテカに輝いている狛犬…2体…
ではでは、3女神の鎮座する拝殿にて「二礼二拍手一礼」
「あんざん(安産)」にご加護があるらしいけど、「さんざん(散々)」な目に遭ってきたので、これからは、いやなことがおきませんように…と
神様にむかって心の中で「おおい!頼むよ!」と声を掛けてみる!!
おおい神社だけにね!
拝殿を参拝後は境内をぐるっと散策して廻る…
拝殿の前には
双龍の手水…
大井神社の最も古い信仰は、土地生命を護る水神信仰で…
拝殿脇のこの手水は境内地下より汲み上げた清らかなご神水であるとのこと…
新型コロナウイルス感染症対策で…設置された竹がなんか捉えられた龍みたいにみえますなぁ…
境内社である大井天満宮
牛さんモー、待ち構えてくれてます…
来る日モー、来る日も来る日も、勉強してきた受験生に幸あれ!
長寿、健康の神様
境内社である…春日神社
島田に疫病が蔓延した為、宿人が春日神社の御神霊を奉じて疫病退散を祈ったそうな…
天下泰平・疫病退散とありますので、ここは新型コロナウイルス感染症退散になにとぞ、お力添えを…
その横には石鳥居があり精霊神社
島田市出身の英霊1950余柱をお祀りしている神社
祓戸社
この下に清らかな御神水の湧く井戸があったようで、その上に境内社が…
古来より神前に備える浄水を汲んだ神井戸
現在では別のところからポンプで汲みあげ使われなくなっていたため、その上に祓戸神社が建造、その神水は双龍の手水として汲み上げられてるとのこと…
古くから病気平癒をはじめ清めの水として信仰されているとか
案内解説板によると
拝殿にお参りする前に祓戸社にお参りすれば身体清まり願い事叶うといわれているとか…
知らなかった…汗
これを読んでる読者のみなさん…もし大井神社を参拝することがあったら、拝殿で参拝する前に祓戸社からですぞ!!
私は、拝殿後の参拝だったので、身体が清まらなかったのかもしれません…
そして、大井恵比寿神社
商売繁盛、開運招福の神様、さらには、家庭に福を授ける家内円満の神様として信仰されているとのこと…
このそばには、
「福寿の手水鉢」
案内には、江戸時代、享保年間(1716~1736年)武州玉川の崇敬者の奉納した手水鉢であるとのこと
大井神社常夜燈灯籠
江戸時代に建造されたが、長い歳月を経て風雨による損傷が甚だしく倒壊の恐れもあったので、平成15年2月に解体…その後、島田の宮大工佐野覚氏の献身的な精進努力により1年有余ヶ月の時を経て竣工したとのこと…
元あった常夜燈籠解体にあたり、そのまま利用出来る部材は用いることにしたとか…
朱色の太鼓橋が掛けられている池には…
こいがわんさか…
「こい」が成就して結婚へと…そして安産祈願と…
しあわせの導きの使者なのかも、…あ、私も「こい」の要素をたくさん持ってますよ…私の「こい」は「しつこい」といった「こい」ですけど…苦笑…あ、もう一つ「せこい」…苦笑
大井神社最古の奉納灯籠
この灯籠(とうろう)を眺めながら、とおろう(通ろう)…笑…このオヤジギャグも3回目…これぞ「しつこい!」
鹿島踊りの「三番叟」の像
鹿島踊りは、大井神社が今の社地にお遷しされているころ、町に流行った疫病を鎮めるためにお祀りした春日神社と一緒に伝わったもので、「大井神社大祭帯まつり」が行われるようになると、一緒にお供するようになったそうな…
そして、日本三大奇祭??である「大井神社大祭帯まつり」の主役「大奴像」
島田に嫁入りをすると、大井神社に参拝の後、新婦が嫁入りの丸帯を持って町中全戸に挨拶回りをする風習があり、広域に拡大する町並みに困っていたそうで…
そこで当時から安産の守護神として信仰のあった大井神社の御神輿の行列である「大奴」の大太刀にその帯を下げて披露するようになったとか
そんな「大奴」や「三番叟」に、すぐさまなれる
B級スポットにありがちな…優れもの…笑
そう…顔ハメパネル…笑
さてさて、最後に紹介するのは
「先賢碑」
江戸時代の島田宿は度々の水害に見舞われていたけど、
寛永年間時の代官、長谷川藤兵衛長勝長春父子二代にわたって、私財をなげうって、向谷横井に水門を設け、宮川、中溝川、問屋川を堀り、水利をはかり大きな水防工事を成し遂げたそうな
文化年中、桑原藤泰は、駿河全域の文化歴史の大要、「駿河記」二十巻、「濱葛籠」四巻を執筆完成したそうな
この三人の尊い事績を伝えるため大正13年、島田町長、置塩藤四郎氏等によって建立された碑文とのこと…
これこそ、まさに
「おお、偉人じゃ!」
「おお、いじんじゃ!」
「おおいじんじゃ」
そう、これぞ「大井神社」…笑
はい、オチもついて、お後がよろしいようで…笑